〇関東のローカル鉄道線光景


戦国期北関東常陸国において勢力をふるった多賀谷氏。その本拠地が今回訪問する下妻城です。地元では「多賀谷城」とも呼称され、昭和20年代まで遺構は良く残っていましたが、関東の城の常としてその後の再開発で城跡の遺構の殆どは失われてしまいました。

そこまで行くには関東鉄道常総線で行くことにしました。この鉄道、JR常磐線とつくばエクスプレスという茨城県の通勤鉄道路線の「横」をつなげる貴重な鉄道であるだけでなく、関東でも貴重な長閑なローカル線光景が見られる路線です。

JR常磐線取手駅から乗り換えて、関東鉄道線ホームへ。10両以上の通勤電車が走るその横には1両だけの気動車が待っていました。

それでは乗っていくことにしましょう。

関東近郊とは思えないくらいの長閑な風景と化します。

車窓からは田園と茨城県の象徴ともいうべき「筑波山」が見えてきました。

下妻駅にて下車、目的地の下妻城跡はすぐ近くです。

徒歩5分ほどで「多賀谷城跡公園」に到着しました。駅から近いので、行きやすいのですが、これが逆に徒となって駅前再開発によって遺構の多くが昭和50年代に失われてしまいました。もし残っていたら、その価値が着目されていた可能性も考えられるだけに残念

現在では造成されてしまっているので殆ど城跡としての面影を見出すことは困難です。

なお、城跡公園は6:00~22:00まで開園時間があるのでご注意を。

城跡中心部に残る石碑跡と案内板

僅かに盛り上がった場所がかつての本丸跡です。

この辺りは僅かに城跡の地形を思わせるものです。

この辺の土塁が僅かに「公園」となった下妻城に残る数少ない遺構です。

全体的にやはり公園と化してしまった下妻城。かつて常陸で大きな勢力を誇った城跡としては余りにも寂しい

下妻駅に戻るとどうもラッピング列車がくるようで

多くの鉄道ファンが来ていました。

 

どうやらイベント列車来訪期間だったようです。残念ながら乗ることはできませんが…それでは折角の関東鉄道乗り放題なので

、次なる目的地へと向かいます。

 

〇常陸で繁栄を誇った多賀谷氏

下妻城は、康正~寛正年間(1455~66)多賀谷氏家によって築城され、多賀谷氏の居城として戦国の終わりまで続きました。多賀谷氏は関東の戦国情勢で時には北条氏に、あるいは佐竹氏に味方することで巧みに勢力拡大し、政経・重経の代に最盛期を迎えます。この頃には台地上に空堀と土塁を巡らし、三重・四重にものぼる外郭群も形成されるなどかなりの大規模な城郭であったと史料には残ります。その後、多賀谷氏は下総の結城氏と常陸の佐竹氏に両属する関係で、豊臣政権の国分けによる処置で、重経の養子(佐竹義宜の弟)の宣家が佐竹の与力大名に、一方実子である下総太田城主三経は結城秀康に属し、重経は下妻城内に隠居することになります。

 かくして佐竹側の与力大名となった宣家は西軍側に属した為に、下妻多賀谷氏は改易となり、下妻城も廃城となったのでした。

 

〇アクセス


関東鉄道常総線下妻駅から徒歩5分

 

「下妻城に狼煙が一本…」