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〇最後の「隠れ名城」

房総半島をJRで一周しながら、城跡も巡る旅も最終章。そして一番最後に今回の旅で一番素晴らしい城跡と巡り合える幸運という素晴らしい巡り合わせ。ただやはり電車で巡っているとどうしても城巡りに関する時間的制約が最後に響いてしまい、その後の城巡りの在り方について再考する契機ともなりました。今回紹介する師戸城はすぐ傍に白井城というこちらもまた見事な城跡があります。その白井城から印旛沼を挟んで向かいにある知名度は低いが、紛れもない千葉でも屈指の名城でもありました。こんなことなら白井城を巡った時に一緒に行っておけば良かったと今更ながら悔いがあります。

成東城の散策を終えて私は再び総武本線で千葉方面へ…さて実はこの時私はかなり焦っておりました。この日の夕刻には成田から飛行機で関西まで戻る予定。ただ、まだ残された時間からなら成田周辺ならあと1城巡ることが可能。しかし生憎成田近辺だともういい城跡が見つかりそうもない…そんな時に思い出したのが、京成白井駅近く(?)にあるこの師戸城。京成電鉄ならJRに比較しても成田空港までの列車の本数が多く便利。問題はJRから京成電鉄までの乗り換えは千葉か成田しかないのですが、そこから移動するとかなりのロスになります。そこで考えたのが、途中の佐倉駅からバスで京成佐倉駅まで移動する方法。JR佐倉駅と京成佐倉駅は同じ「佐倉」なれどかなりの距離がありますので、歩くのは論外。バスで何とか間に合わせようと必死でした。

更に問題なのは師戸城のある印旛沼公園まで。ここからはバスは1日数本しかなく、生憎バスでは間に合いません。仕方なく徒歩…というより走りでの移動となりました。結構な距離、しかも駅から白井城を越える先までは結構起伏が激しく、かなりの坂道となりました。それでもあんんと印旛沼まで到着

師戸城はこの印旛沼を見下ろす舌状台地の上にあります。ところがこの師戸城、城自体はすぐに下まで辿り着けるんだけど、城の入口は大きく回って背後の坂道しかありません。うーん、これは確かに堅固な山城らしさ全開。

必死に走って何とか駐車場のある印旛沼公園入口まで到着

こうしてみると何の変哲もない公園に見えますが、灰色の部分にご注目。これこそが、まさにかつての師戸城の遺構そのものなのです。こうしてみると各郭毎に空堀が張り巡らされ、非常に城跡としての面影が強く残る公園だと分かります。

そして公園入口に入ると早速縦横無尽に張り巡らされた空堀と遭遇!

いやぁ、まさかこんなきれいな形で整備された空堀を見たのは久しぶりな気がします。ある意味公園として整備されたうえで城としての面影もキチンと残してくれている。こんな良い「城跡」公園は滅多に出逢えません。

しかも公園ながら人気もなく、自由に散策できるのがありがたい。ここは三ノ丸跡です。

もちろんこの道は公園として造成されたものであり、かつての城の時はこんな奥まで行きやすい道ではありません。

かつての師戸城案内図

三ノ丸土塁跡

三ノ丸の中心部は今ではすっかり野球場みたいとなっています。

それでもこうして外縁部には土塁が残っているだけでも城跡としての面影は十分

土塁と土塁の間に張り巡らされた空堀

今ではこの底が散策路としてかつてのこの城を攻め手として体感することができます。かつてはこうしてすぐに三ノ丸から二の丸・主郭へと敵が侵入されにくいよう回りくどいコースとなっていたのです。

そして主郭内部は高い土塁で遮られて外からは見えないように工夫されています。

主郭内部

虎口跡と空堀跡

うーん、こうして城としての遺構と公園が見事に共存してくれているのはありがたい。遺構もキチンと観察できるし、なおかつ整備されているので歩きやすい。

主郭は展望台ともなっており、印旛沼を見渡せます。

現在では干拓などで縮小してしまいましたが、印旛沼はかつてはもっと広大で、城のすぐ傍までが水面となっていました。そうするとこの城が築かれた背景が自然と分かってくるものです。

こうして公園らしい光景もあれば

そのすぐ奥には城跡の土塁が綺麗に残っているのだから本当に見ていて飽きない光景です。

横矢掛けの土塁

そして深い空堀は間違いなく敵方にとっては攻めにくい城であったのでしょう。それにしても規模の大きさにも圧倒されます。この辺り一帯は国持ち大名のような勢力の大きな大名クラスの武将がいなかった地域。後北条氏、佐竹氏、里見氏といった関東の有力大名の狭間の緩衝地帯というべき地域でした。その中でこんな大がかりな城が建設されたのは驚異的なこと。

国衆ばかりの地域には過大ともいえる城の巨大さはこの台地を丸々城として活用した顕れでもあります。そのため、少ない兵力でも守れるよう非常に大がかりな空堀や土塁を構築したということでしょうか。本当に素晴らしかった。また行ってみたい名城でもありました。

さて遺憾ながら帰りのフライトに間に合わすためにここから全速ダッシュして

暗くなり出すころに京成臼井駅まで戻ってきました。

 

こうして2021年4月の房総半島城巡りの旅は終了。成田から飛行機で地元関西まで戻り、この日の旅は終了

 

師戸城の歴史については詳しくは分かっていません。ただすぐ近くには臼井城があり、その支城として築かれたのではないかとみられています。その歴史は臼井城の興亡とも大きく関わっており、臼井城が堅固な防衛を成し遂げ、あの上杉謙信を退却に追い込むほどであった背景にもこの城が支城として補給ネットワークで貢献したと見られています。最終的には豊臣政権による小田原征伐によって落城し、廃城となりました。

 

〇アクセス

京成電鉄京成臼井駅から徒歩25分

 

「師戸城に狼煙が一本…」