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〇千葉北部の城の現状

首都圏の通勤圏の一部となっている千葉北部は正直言うと城を探すとなると難しい。一つには千葉北部は平地が広がり、城としての遺構が残りやすい山城が余りない。多くは平地にある平城とか、居館なので市街地化されていると多くは開発の並みに呑まれてしまっているのが現状でした。南部である上総とか安房の方が結構多くの城が残っているのとは対照。でもそれでもまだまだ知られざる城跡は結構残っているものです。今回はそんな房総半島一周旅の一つをご紹介します。

勝浦城散策を終えて再び外房線で北上を続けていくことにしました。

上総一之宮駅にて乗り換え。ここからは東京の通勤圏内。それまで内房線の木更津から2両編成のワンマン電車だったのが一気に大都市の10両以上の通勤電車へと様変わりします。

大網駅から乗り換え

東金線に乗り換えです。東金線は外房線大網と総武本線成東を結ぶ中間3駅の短い路線です。

成東駅にて到着

ここは成東線と総武本線の乗換駅

東京からここまでは1時間に2本の電車が走りますが、ここから先は本数が少なくなる総武本線の中間駅です。

成東城は結構駅から近く15分ほどで到着しました。赤い社殿が特徴の浪切不動院を目印にしていくとすぐに到着しました。

「城跡公園」ここからは城登りの開始です。

なかなか草むらが生い茂った道を登っていくと

でも数分も上がると見えてきました!城巡りをしていくと一発でこれが虎口だと分かってしまうのですから恐ろしいものです。

主郭とされる愛宕神社がある区画です。

ここからは成東の市街地を一望できます。

御神木と成東城の解説版

かつての成東城の縄張り図
 

主郭内部

見ての通り、公園といっても土塁が張り巡らされた

かつての城跡としての面影が非常に良く残っている所です。

虎口跡

空堀跡…ただちょっとここは草が生い茂っていて分かりにくいのが残念な点

二の曲輪跡

 

 

その中央部に切断するように設けられた入口

この石垣はもちろん後世のものでしょう。通路用に設けられたと思われます。

ただここも中心部こそ綺麗に整地されてしまっていますが、周囲は土塁の形状が良く残っていました。

空堀跡

一番下が三の郭跡です。

 

 

空堀跡

ここもまた中心部こそテニスコートとなっていましたが、周囲は

未だ土塁などが張り巡らされていて、よくこれだけ残っていたものだと感心しました。

かつてはこの外側にまでが城域がひろがっていたのですが、流石にそこは市街地化されてしまっています。ただ中心部がこれだけ残っていれば「御」といってもいいでしょう。

成東城全体

登ってみれば非常に短い時間で主郭まで一気に登れて、ある意味登りやすい「山城」であったと言えるでしょう。

浪切不動院
それにしてもここだけ凄い目立ちますね。結構参拝者もいましたし、この辺りの人気スポットかな?
 
〇鎌倉時代から続く城
成東城の歴史は古く鎌倉時代に下総で大きな勢力を誇った千葉氏の家臣印東四郎師常が築いたとされています。その後、成東城は一時的に廃城となりましたが、享禄3年(1530)再び千葉氏によって城が築かれ、成東氏を称して城主となりました。天正18年の豊臣政権による後北条氏討伐の小田原征伐により、北条方だった成東城は落城。その後は成東には徳川家臣の石川康通、青山忠成がそれぞれ入封。最終的に元和6年(1620)に青山氏が岩槻へ転封となると廃城となったのでした。

 

〇アクセス

JR総武本線成東駅から20分

 

「成東城に狼煙が一本…」