今回の目玉は何といってもこの方

ヨブ・トリューニヒトその人でしょう!

何といっても彼が画面の大半を占めるのはこれが久しぶり。石黒版では序盤からエゴイズムの怪物オーラ全開だったのですが、ノイエ版では意外にもここまでそういったオーラは控えめでした。それが今回のある意味ではやらかし…いや当人にとっては全て規定路線だったのですが、これがキッカケとなって、物語は大きく動かすことになるターニングポイントとなるのです。それだけに晴れ舞台(?)として演出的にも力が入れられたものとなっていました。そして次回にはもっと恐ろしい側面が…

それでは本編感想参ります。

 

〇ヤン艦隊、最後の夏休み

「要塞対要塞」の戦いが一段落し、ヤン艦隊メンバーはしばしの平和な日常を過ごすのほほんとした日を過ごしていました。後から考えれば、思えばこの時が全員がのんびりと過ごせた最後の期間となったでしょう。この後の彼らは一部の時期を除き、激しい時代の流れの中で戦いに身を投じ、そして…おっとここでそこまで言うのは止めておきましょう。

そんな中で司令官であるヤンはというと惰眠を貪る毎日。日常業務の事務作業は要塞事務監のキャゼルヌパイセンが、司令官業務の雑事は副官であるフレデリカさんが全部やってくれているので、本当に惰眠を貪っています。なまじ、部下が優秀過ぎるのも考えものですね(笑)そしてその間にせめてライフワークである歴史論文を書き出したのですが…

ヤン「……人類の文明は酒とともにはじまった。文明の終焉もまた、酒とともに到来するであろう。酒は知性と感性の源泉であり、人間をして野獣と区別せしめる唯一の方法だと言えよう……」  

うーん、これは酷い!!

後に「〇-ラトの和約」後の世界情勢を分析する論述で今後のするべき動きを非常に緻密で練り込まれた構想を練る人物と同一とはとても思えない恐ろしいくらいひどいクオリティです。何よりも歴史上それこそ意外にも多く存在していたマイノリティ・下戸の人々から聞いたら鼻で嗤われるレベル。まったく人類社会で「酒は飲んで当然」などというアルハラによる不当な弾圧を受けていた下戸たちの苦闘を語り継ぎたいレベルです。でもユリアンから指摘されて、ようやく自分が「スランプ」に陥っていたことを自覚した魔術師。┐(´д`)┌ヤレヤレ

この後の有名なシェーンコップとポプランの女性士官A,Bとの交換(?)エピソードが語られます。つうか、完全に女性士官の部屋の構造が完全に団地妻の不倫に出てきそうな構造なんですが…今回の会話ではアッテンボローがキャゼルヌやヤンに語る形なので、当事者たちの弁は登場せず。ちょっとこれは勿体なかったかな。

更にユリアンがフライングボールに興じて黄色い声援を独占するとか、画伯カスパー・リンツによるムライの肖像画とか、それにしてもムライさん、あまりノイエ版だとガミガミ小言を言うおっかない風紀委員キャラには見えないんだよな…やっぱりこの手のキャラとしては『フルメタルパニック』のマデューカスさんのような部下から畏れられる副将ポジションとしてはちょっと違和感あり。大塚芳忠さんのムライはそこら辺が声で温和なイメージなんですよね。いや、まあこの後はメルカッツに対しては結構シビアなことを言うんですけどね。

そして「日常シーン」の最後にはヤンとパトリチェフによる三次元チェス勝負。

やめて、やめてクレメンス。これは確実にあの「フラグ」そのものじゃないですか。

ヤン艦隊メンバーでは唯一ヤンと三次元チェスで互角のを興じる下手くそレベルばかりを集めた(BY石黒版)とも言われるくらいの彼がよりによってこの時の相手とは。なお、まだこの段階では魔術師の方が連敗を積み重ねている模様。ということはこの後は流石に成長したと言う事なんですね(笑)彼ら自身も自分達が安眠を貪っている間に事態が動いていないか、という危惧をしながら過ごし、

ユリアンによる緊急の報告、ここからいよいよ平和な日常が終り、事態が動き出します。

運命の宇宙暦798年8月20日、自由惑星同盟最高評議会議長による演説。ここからいよいよ銀河英雄伝説は大きく動き出すのです。ここで初めて、銀河帝国皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世が「亡命」したこと、彼を擁する亡命貴族により立ち上げられた「銀河帝国正統政府」を承認、というまさに爆弾会見。

欲を言えば、できればヨブちゃんとレムシャイド伯らによる虚々実々の駆け引きで、亡命政府が権力を奪回した暁には憲法の制定や議会の開設といった「民主化」要求を呑ます交渉の場面が欲しかったところです。もちろんそんな「民主化」など本来なら彼ら貴族の思想的にはNGの筈なんですが、そこは当然ながら受け入れるしかないところ。ここからはヨブちゃんの演説台詞を分析していきましょう。

ヨブ・トリューニヒト「帝国のラインハルト・フォン・ローエングラムは、強大な武力によって反対者を一掃し、いまや独裁者として権力をほしいままにしています。わずか七歳の皇帝を虐待し、自らのの欲望のおもむくままに法律を変え、部下を要職につけて、国家を私物化しつつあります」

なるほどここら辺は実を言うと21世紀の現実世界における「同盟」の為政者たちが言う所の〇〇の▲▲▲とか□□□の××××という「悪の独裁者」に対するものとまさしく固有名詞を入れ替えただけでそっくりそのままですね。彼ら曰く、「悪の独裁者」の強権体制とは自らのエゴのままに動かしているものだそうです。

「しかも彼の邪悪な野心は、わが国にたいしてもむけられています。全宇宙を専制的に支配し、人類が守りつづけた自由と民主主義の灯を消してしまおうというのです。彼のごとき人物とは共存できません

そしてここからが重要。それは「『悪の独裁者』は必ず「自由と民主主義の国を脅かす」と専制国家による侵略を所与のものとして、それに対する「戦争」を正当化し、ありとあらゆる手段で打倒しなければ、「自由と民主主義の国」は安寧できないとして、交渉や妥協といった平和路線を自ら拒否するというもの。そこにあるのは

「自由と民主主義」こそが絶対正義であるというイデオロギーに支配された固定観念

に基づく価値観の絶対化であり、そこからは真なる姿は見えてきません。銀河英雄伝説という作品が本質的に優れていると思うのはこの「自由と民主主義を絶対視しない」、「帝国と同盟という2つの異なる価値観が併存する世界」をキチンと描き、そこから本質を見極めることにあると思うのですよ。我々読者は「神の視点」から「民主主義を奉じる同盟がその内実が余りにも腐敗しきっていること」、それに対して「ラインハルトという『独裁者』に手による改革によって再生を果たしている帝国」という2つの世界が見えているからこそ相対化できる。そうこの「相対化」という視点が最も大事なのですね。現実世界の我々もまた作品世界の「同盟市民」がそうであるように限られた情報源と視野しか持ちえていない。しかし「言論を弾圧し、表現の自由を認めない独裁国家」といった視点だけで見ると、見えない部分ばかりが増えてしまうという現実があります。残念ながら、現実の世界もまたこの世界のヨブちゃん(もどき)の輩が跳梁跋扈し、その固定観念が固定化された「同盟」と同じ世界が繰り広げられ、同じ愚行が繰り返されているのが現実です。

吾々はここで過去のいきがかりを捨て、ローエングラムに追われた不幸な人々と手をたずさえて、すべての人類にせまる巨大な脅威から吾々自身をまもらねばならないのです。この脅威を排除してはじめて人類は恒久平和を現実のものとできるでしょう」

ラインハルトを旧王朝以上の危険な独裁者であるとして、旧体制下の門閥貴族と野合することを正当化するヨブちゃん。実際には彼らは特権を護持することだけに汲々とし、結果として改革を拒否したことで遂に自ら没落した時流の読めない残念な人たちでしか無いのですが、そんな彼らも「民主国家」と手を組めば、途端に「同志」と呼ばれるご都合主義。これもまた民主主義を絶対視すると本質が見えてこなくなる典型例と言えるでしょう。冷戦時代を紐解けば、「自由と民主主義」を奉じる大国が共産主義圏との支配ゲームを繰り広げる中で、自らの「手下」を増えすためには如何なる反動的な国家を支援していたか、そしてそれらが「自由と民主主義を守る」というプロパガンダの下で隠蔽され続けてきたか。かつて「帝国」の支配層が「同盟」との戦争に負けた後で、彼らがこぞって「同盟」との友好を称揚したのとよく似ています。その意味では某国というのはまさに「銀河帝国正統政府」みたいなものです。

 

それにしてもこれだけ現実世界がフィクションと相似形を成すのもまた銀英伝の醍醐味というものです。

改めてヨブちゃんと同席して、「感謝」の言葉を述べる「銀河帝国正統政府」の首相であるレムシャイド伯。彼らの空虚な互いの野合を象徴するかのように空々しい雰囲気が彼らの表情やジェスチャーでも演出されていたのは良かった。そして正統政府の閣僚メンバーが発表される中で、その中に「軍務尚書」としてメルカッツの名が出され、必死で自分達には関わり知らぬと訴えるシュナイダー。

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それまで打倒する対象だった筈のゴールデンバウム王朝の皇帝と貴族達との野合に苛立ちを隠せないポプランと、それを窘める形のイワン・コーネフ。そりゃそうだ。「昨日までの敵は今日から味方だからね!」なんて政府の都合でコロッと変わるのを「はいそうですか」なんて受け入れられるわけはない。私だって納得しない。まあそもそもこの「ゴールデンバウム王朝を打倒し、全銀河に自由と民主主義を回復する」という大義名分、これもまた同盟政府が作り上げたプロパガンダでしかないので、それが時の都合でヒョイと変わるということはそれ自体がご都合主義でしかない。

幹部会議で、「銀河帝国正統政府」についての論評をするヤン艦隊メンバー。誰もがこれは「亡命」ではなく、「誘拐」でしかないという事実の本質を突いているのはやはり彼らの優れた所。ヤンが言うように「分裂した敵の一方を結ぶ」というマキャベリズムの観点からすると間違ってはないのだが、如何せん既に力を失った門閥貴族と結んでも同盟にとっては実質的メリットは無い。
そしてこの件の背景にはラインハルトが実は皇帝が誘拐されるのを黙認したこと、実際「幼帝亡命」によってラインハルトが失う物は何もない。
 

 キャゼルヌ「七歳の子供、というだけで、おおかたは思考停止してしまうからな」

同盟国内に蔓延する幼帝に対する同情心から巻き起こる騎士症候群を苦々しく語るキャゼルヌ。ただこの前段では原作とは違う改変が成されています。それは「慎重論を唱えるだけで非人道派呼ばわりされてしまう」という前段はカット。ただし、これについては次回で述べていこうと思います。それにしても思うのは

現実世界でも騎士症候群が蔓延している現状をまるで見通したかのよう

現実世界にも具体的名前は出すのは控えますが、「幼帝」にあたる「人々の同情心を呼び寄せる可哀想な存在」を偶像化し、それをあたかも絶対正義のように語られ、それに対する異論にはまさに「非人道派呼ばわり」される現状。まさに現実が創作世界そのままで進行してしまった笑えない現実があります。

キャゼルヌ「七歳の子供、昔から童話では王子や王女が正義で、大臣が悪と相場が決まっているからな。だが童話とおなじレベルで政治を判断されたらこまる」

本当これな。現実世界でも主張したいレベル。

そういうおセンチな感情に基づく異論反論を受け付けなくなった社会が行きつく先は決まっています。

思案に暮れながら、更にその背景としてフェザーンとラインハルトが裏で手を結んだ可能性について洞察するヤン。その一方で、フェザーンの思惑について今一つ何か合理的な拝金主義の影で読み切れない何かを考え、思案にに暮れます。

メルカッツの会話はここは概ね原作・石黒版・ノイエ版と共通しています。それにしてもメルカッツ、本当に思えば真に幼帝エルウィン君のことを心配していたのは結果的に彼一人だったのは本当に辛すぎる。本当の意味で「忠臣」だったと言えるのは彼一人であり、しかし実際には彼が幼帝の現状を助けるには余りにも哀しすぎます。

 
続いてヤンとシェーンコップとの会話で、シェーンコップが少年だったころに同盟に亡命するシーンが具体的な回想シーンをもって登場。こうしてビジュアルで寒風吹きすさぶ中で待たされるショタ少年のシェーンコップの不安げな視線、そして亡命者を卑しむような入国管理者の目つきといった回想シーンを見ると、そりゃ不良中年が同盟に対して冷めた目で見るようになるのも納得。ヨブちゃんが演説で言うように「自由の国」という美名の下で、どんな亡命者も受け入れると語っていた同盟ですが、その内実は彼らをどこか蔑んでいる差別感情が滲み出ていたのも同盟の現実。この辺は「ユリアンのイゼルローン日記」でも「建国以来の同盟市民」が「亡命者の子孫」に対する差別感情が言及されていたように自由と民主主義をもってしても人々の差別感情までは消せられなかったという現実が存在します。
ラインハルト「私はここに宣告する。不法かつ卑劣な手段によって幼年の皇帝を誘拐し、歴史を逆流させ、ひとたび確立された人民の権利を強奪しようとはかる門閥貴族の残党どもは、その悪業にふさわしいむくいをうけることとなろう。彼らと野合し、宇宙の平和と秩序に不逞な挑戦をたくらむ自由惑星同盟の野心家たちも、同様の運命をまぬがれることはない。誤った選択は、正しい懲罰によってこそ矯正されるべきである。罪人に必要なものは交渉でも説得でもない。彼らにはそれを理解する能力も意思もないのだ。ただ力のみが、彼らの蒙を啓かせるだろう。今後、どれほど多量の血が失われることになろうとも、責任は、あげて愚劣な誘拐犯と共犯者とにあることを銘記せよ……」
やはり最後はラインハルトによる同盟に対する宣戦布告という形で全銀河に放送されます。それにしてもこの放送、帝国側はともかく同盟国内にはどういう形で放送されたのでしょうか?やはり強力な放送ジャック機能があるとか?(機動戦士ガンダム方式)いずれにせよ帝国による侵攻(同盟視点から立てば侵略)という規定事実が出来上がりました。もっとも先にその路線を選択したのは他ならぬ同盟政府であり、いかにラインハルトが同盟併呑が既定路線であったとしても、帝国との対話という選択肢を排除したのは他ならぬ同盟政府自身であり、それを支持した市民そのものであったという厳然たる事実は動かせません。
 
事実上のターニングポイントとなった演説合戦はなかなかに面白く見れて満足満足な回となりました。