大河ドラマ『麒麟がくる』、実は私、大河ドラマにおける御当地ブームに乗っかったのは今回が最初。いやまあ今見たいにある程度行動の自由ができる時代だったら、『八重の桜』『真田丸』の時代にも会津や上田に行ってみたかったけど、生憎その後の時期にはイマイチな作品や大駄作など目白押しで訪問する機会がありませんでした。
そういうわけで今回はもう3回目の明智光秀生誕「候補」地である岐阜県可児市を訪問します。
多分今度こそ「本命」だと思う、多分…

名鉄広見線でその名もズバリ、明智駅に到着。「明智」はやはりこの岐阜県では特別な響きがあるようです。

もっともここも無人駅なので案内などの類は一切ありません。

幸い、丁度この年は『麒麟がくる』ブームもあってか案内の類は充実。

遠巻きに見えるあの山こそが今回の目標地である明智長山城跡です。

まずは偉人生誕地つきものの名物「産湯の井戸」まあこれも地元の伝承レベルですけどね!田園地帯の一角に明らかに真新しい案内板と共に産湯の井戸跡はありました。

さてそれではいよいよ明智長山城へと登っていきましょう。

幸い、『麒麟がくる』効果もクローズアップされたのか遊歩道の類は整備されており、非常に登りやすい山城となっています。

こうして真新しい散策路マップとなっているので、城内一円を観れるのは嬉しい限り。

「桔梗紋」の旗が掲げられた城、色々と感慨深い。

城内は随所に切岸と呼ばれる人工的に造成された人が登坂できない急斜面に晒される形で登城路を登っていきます。こうしてみるとやっぱり「戦国の城」という感じがして好き。

 

まずは一つ目の乾曲輪から

 

さきほどの登ってきた道

その先端は

「見張り台」跡となっています。

先ほどの登城路。ここからなら城を攻める敵兵は側面や上方から守備兵の攻撃に晒される訳です。

本丸跡までは更に上方にあり、更に上っていきます。

恐らくは本来の登城道ではないかと思われる道があるのですが、ここは表示板に従いましょう。危険な行為は絶対ダメ!

訪問時期は1月ということもあるのですが、それでもやはり急な登り道を歩いているとうっすらと汗が出てきてしまいます。

やはり山城は暑い時期は避けましょう。

そしていよいよ主郭や二の曲輪部分に到着!開けた展望から可児市の平野一円が見渡せます。

主郭一円には模擬復元ですが、「逆茂木」が構築されています。

西出丸跡

 

そしてこれも『麒麟がくる』効果でしょうか。主郭の部分にはこちらも非常に真新しい感じの

鉄砲を抱えた明智光秀像が聳え立っていました。

大河ドラマ主人公で鉄砲を抱えた像が建立されたのは会津の新島八重姐さんに続いて2人目(笑)

いやぁ、明智光秀も遂に銅像が建立される時代に巡り合えるとは感慨もひとしお。

本丸跡

明智長山城は遺憾ながら公園化が進んでおり、主郭部分は残念ながら城跡としての面影は少ない状態です。

辛うじてあちこちの「〇〇址」が、かつての城跡の面影を教えてくれます。

 

そう考えるとこの逆茂木は城としての雰囲気を取り戻すのには打ってつけかな?

 

二の丸跡

実は明智長山城、裏面にはすぐ近くには住宅街があり、こちらから登るとそんなに来るには苦労はせずに済みそうです。でもやっぱり城巡りならあの戦国の山城攻めを体感できる登り道行きたいものですよね。

反対側の道から下りていくとこちらも模擬ですが、大手門が建てられました。

長山城のすぐ近くには天龍寺と呼ばれる明智家の歴代墓所がある寺もあります。ここには184センチもある巨大な光秀の位牌があり、光秀が落命した旧暦6月には法要が営まれます。

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そしてここは『麒麟がくる』を記念して、フラワーパークに「大河ドラマ館」が設置されています。

ちょうどドラマのメイン舞台となった地とあってか色々「力」が入ったものとなっていました。

 

 

 

 

 

 

珠玉だったのは独自で調査していた歴代大河ドラマベストシリーズ

ここまでよく調べたな…

…まあこのラインナップは人それぞれですね

でも西田敏行の凄さは実感できました!

あ、実は大石内蔵助が最も多く主人公に選ばれているのか!

こうして、『麒麟がくる』での大河ドラマ御当地ブームに味わうことが出来ました。この後も現在まで御当地大河ドラマ館をコンプリートしているのは『鎌倉殿の13人』のみ。それだけ「麒麟がくる」は見ていて楽しむことが出来た証です。

 

〇光秀流浪人生の出発点?

明智長山城の歴史は分かっていない部分が多く、その多くが江戸時代に作成された地誌・軍記などの史料のみが頼りです。そのため、どこまで本当かは保証の限りではありません。『美濃諸国旧記』によれば、その歴史は古くは南北朝時代にさかのぼり、康永元年(1342)に土岐頼兼がこの地に城を築き、明智と名乗ったのが最初と言われます。

明智光秀はこの地で30年以上過ごし、やがて弘治2年(1556)に、主君である斎藤家が道三と息子の義龍の間で内紛となると、義龍に攻められ、落城。光秀は明智家再興を目指して、各地を流浪。やがてその後半生は織田信長の重臣として、最終的には彼の命を奪う形で歴史に名を遺す結果となりました。そしてこの城はその後は登場することなく廃城となります。

『麒麟がくる』ではこの伝承に基づき、更に『明智軍記』の記述に基づき、西村雅彦演じる叔父の光安が後事を託して、この城で奮戦の末に討死すると言う形で第1部のクライマックスとなっていました。

 

〇アクセス

名鉄広見線明智駅から徒歩20分で登城口、そこから約25分で主郭

 

「明智長山城に狼煙が一本…」