さて西高木家陣屋探索を終えた私はここで折角なら関ケ原からいける城跡を目指したい…と思い、何を考えたか
県境を越えて滋賀県へ行こう
などと考えていました。もっともその距離は半端ない。何しろ関ケ原~大垣市多良~更に関ケ原一度戻り、今度は滋賀県米原~関ケ原で終了となる自転車旅、本当に厳しいものでした。
距離だけでも実に片道17キロの旅。電動自転車でなければ間違いなく挫折していたでしょう。それでは旅模様へと戻ります。
関ケ原古戦場跡を通って、いよいよ国道365号線の坂道を登っていきます。車も殆ど通らず、当然ながら歩行者などもいません。
麓の上平寺集落…雪が凄い!!まさかこんなに雪が降っているとは想定外でした。
この集落の背後にあるのが京極氏館と山城の上平寺山です。
ここは流石に北近江の有力勢力であり、一時は守護大名になった京極氏の関連遺跡が充実しています。京極氏館は集落の背後にある伊吹神社境内となっていますので、ここまでは訪問しやすい。詰めの城にあたる上平寺城があるのですが、
熊の出没地帯
にあるので、熊のマークがあります。ここの訪問は慎重に行かないと…
境内への参道を登っていきます。
京極氏館の堀跡
内側はそのまま京極氏の館の史跡となっており、かつての館の史跡となっています。薬師堂址
それにしても参道の脇の雪が凄まじい
弾正屋敷跡
家臣団の屋敷跡
物資などを集積する蔵屋敷跡
石材はかつての城館跡の名残でしょうか?
御屋形跡
その名称からも主である京極氏の屋敷跡と考えられています。
それにしても雪の埋没が半端ない。これは足を踏み入れることができないですね(汗)
伊吹神社の鳥居前では地元の方が雪かきをしておられました。私がこうしてここまで来れたのも地元の方がキチンと雪かきしていたからなので感謝に堪えません。
ここでちょっとだけ雪の中に足を踏み入れると…
京極氏館の庭園跡
この史跡では一番の目玉だったのですが、残念ながら雪で埋もれていました。
かつては2つの池泉鑑賞式庭園があり、現在でもその名残の庭石などが逆に雰囲気を残していたそうですが…
僅かに雪の中から覗かせる石では流石に雰囲気は味わえないですね(苦笑)
上平寺城
次は絶対にここを訪問したいと思います。
雪に埋もれた伊吹山系を自転車で下りながら、また来よう!と決意したのでした。
〇近江守護への念願・京極氏の栄枯盛衰
一般的には近江守護に任じられていたのは南近江を根拠地とする六角氏でした。ただその一方で北近江を勢力圏とする京極氏はかなりの勢力を有し、実質的に「北近江半国守護」ともいうべき勢力を誇っていました。ただ公的に京極氏が近江守護と公認されたのは僅かな期間。一人が南北朝時代の京極高氏…一般的には佐々木道誉…で知られるあの『太平記』でお馴染みの婆沙羅大名で知られる判官殿です。もう一人が応仁文明の大乱期の京極氏当主であった京極持清でしたが、一般的には六角氏が近江守護を独占していたのでした。
さて戦国初期の永正2年(1505年)に一族の内紛を収めた京極高清が現在の上平寺に居館を構えたのが現在の京極氏館でした。ここに京極高清が築いた城下町と城・しかし、大永3年(1523)に高清死後の跡目争いによる混乱は国人一揆が発生し、京極氏は衰退。以降、北近江はやがて台頭してきた浅井氏が実質的に支配するようになり、京極氏は形式的な存在となったのでした。しかし、浅井氏滅亡後も京極氏は生き残り、その後は江戸期には大名家として存続することになります。
〇アクセス
JR関ケ原駅から電動自転車で45分
「京極氏館に狼煙が一本…」