岐阜県土岐市に流れる土岐川…そこを見下ろす高所に築かれたのが今回紹介する高山城です。

JR中央本線土岐市駅から目的地までは25分ほど。ウォーキングにはうってつけの距離です。

土岐市内を流れる河川の土岐川

そこを見下ろす高地に高山城はあります

 

城跡の麓はかつての中山道の脇街道の一つ下街道の宿場町として栄えていました。

 

 

麓部分の高山公園

現地案内板

麓の高山公園には池と

稲荷社

 

 

そして「穴弘法」と呼ばれる石仏群が残っています。

岩塊をくり抜いて設置された石仏群

さて高山城は更に上の方へ目指して出発します。ここから先は結構傾斜の急な登り道となっており、歩くときも結構力が要ります。

それでも5分ほどするとかつての高山城跡に到着です。

二の丸跡

もっとも城跡としての遺構はかなり整地されてしまっているので辛うじて地形から読み取れるのみ

堀切を挟んだ向こう側が

主郭跡です。今では東屋と展望台代わりの模擬物見櫓が建てられています。

僅かに帯曲輪跡がかつての城跡の遺構であることを物語っています。

全体的に見れば、綺麗に整地されているので城跡としての面影を見出すのは非常に難しいと言えるでしょう。

 

 

それでも物見櫓から見下ろす土岐市街の街並みは非常に良かったでした。

 

 

井戸跡

三の曲輪跡

この石材もかつての城跡の遺構だったらなぁ…と思わずにはいられません。

それでは2020年最後の城巡りはこれにて終了。さていよいよ2021年度。最近更新が遅くなりまして申し訳ございません。

 

高山城の歴史は不明な部分も多く、土岐氏の支族高山氏が承久の乱の頃から城主であり続けたと言われています。長らく守護大名土岐氏を守る東方の重要な存在であり、その後高山氏が断絶すると東方の戦国大名武田氏が平井頼母を城主となりました。しかしやがて武田に父を殺害された頼母は織田信長へ転向。その後、武田と織田の間で遂に開戦となると、ここ高山城もまた武田の激しい攻勢に晒されますが、死守。その後、小牧・長久手の戦い時には羽柴方の森長可によって落城。その後、頼母は一時城を奪還しますが、関ケ原戦役の際に西軍方となって、東軍によって落城したのでした。

 

〇アクセス


JR中央本線土岐市駅から徒歩25分

 

「土岐高山城に狼煙が一本…」