大河ドラマで石田三成が出てくるのはいつ以来でしょうか。「おんな城主直虎」「麒麟がくる」は三成が歴史の表舞台に登場する前に終わる作品が続いていましたので、そう考えると

2016年の『真田丸』以来と7年ぶりの登場となりますか

もっとも私の記憶する限り、2000年の『葵』の江守治部以降、余りいい思い出はありません。まあここら辺、私も好きな歴史上の人物の場合、ドラマなどで見るハードルが上がっている自覚があるのですよ。ましてや『どうする家康』の場合、既に前評判では話題をさらった武田四郎勝頼の件で懲りていたので、正直、石田三成に対しても余り期待せず諦めの境地で見ていたのですが…

またしても「横取り」される運命なのか

という思いを禁じ得ないでつい書いてしまった。まあ唐入りに関しては、「独裁者秀吉の無謀なる外征」という歴史的評価は覆しようがないし、それの外征に主人公たちがノリノリな大河…なんてのは色々な意味で描けない。だから、秀吉に対比させる形で、主人公らが唐入りに批判的スタンスを取る…というのは宿命的なものです。ところがドラマにおいては、大体のところ石田三成関連にかんしては史実とかけ離れている描写ばかりになのですよ。独裁者秀吉の意向を忠実に実行する官僚、現場を知らないエリート文官、そんなキャラばっかりでウンザリ。

実はこれ史実とは全く真逆なのですよ。

今回は実際に残る「三成の肉声」とドラマなどで描かれるキャラとが如何に乖離しているかを述べていきたいと思います。いや、「大河ドラマはフィクションなのだから…」というのはあるのですが、SNSなどを見ても「だから三成はダメなんだ」とかそういう史実とフィクションがごっちゃ混ぜになったような石田三成評が未だに跳梁跋扈しているのを見ると流石に平然とはしていられない。それでは具体的に述べていきます。

 

〇浅野長吉と石田三成の対比

唐入りの進捗状況を秀吉始め大大名に報告する場で、楽観論を述べる治部と刑部。それに引きずられるように秀吉による「ぼくのかんがえたさいきょうのひがしアジアせいふくけいかく」で盛り上がる一同。それに対して、突然冷や水を浴びせるように「殿下は狂っている」と大声でその無謀さを直言する奉行衆の一人浅野長政。それをとどめんとするマツジュンの家康が取り成します。

 

間違いなく『常山紀談』に拠るエピソードでしょう。そこでは朝鮮渡海にノリノリな秀吉とそれに阿諛追従する石田三成と対比させる形で、浅野長政が啖呵を切ったという「史実」がある…とされています。

「私の首など何十回刎ねても、天下にどれほどのことがありましょう。そもそも朝鮮出兵により、朝鮮8道・日本60余州が困窮の極みとなり、親、兄弟、夫、子を失い、嘆き哀しむ声に満ちております。ここで殿下が(大軍を率いて)渡海すれば、領国は荒野となり、盗賊が蔓延り、世は乱れましょう。故に、御自らの御渡海はお辞めください」

実はこれとよく似たようなセリフを吐いた豊臣政権の幹部がいた、との史料があります。「看羊録」によれば、

『六十六州で充分である。どうしてわざわざ、異国でせっぱつまった兵を用いなくてはならないのか』

石田三成その人です。

さてそれではどちらが正しいのでしょうか。『常山紀談』は豊臣時代から150年後に書かれた書籍で、内容は当時伝わる戦国武将のエピソード集の集大成のようなものです。ちなみに浅野長政は秀吉時代には家康の取次役を務め、豊臣政権の親徳川派という立場でした。更に息子の時代には関ケ原戦役では東軍となり、徳川家と縁戚関係となって、江戸期には徳川大名の大大名として残っています。これだけでも何かを見たと言えるのには十分ですね。『看羊録』は慶長の役の際に日本に抑留された朝鮮人姜沆が日本滞在時に見聞した情報を記録した史料です。伝聞史料ですが、少なくとも同時代人の人が聞いた情報という点で一定の信頼性がありますし、何よりも彼には嘘をつく必然性がありません(姜沆が自国を侵略した豊臣政権の幹部をわざわざ捏造してまで持ち上げる理由はどこにもない)そして何よりも石田三成といえば

独裁者秀吉相手にもズケズケと言いたいことを述べる直言居士

なエピソードには事欠かないのですよ。例えば、慶長の役の際には既に独裁者秀吉の外征の強硬を繰り返し諫言しても、止まらない政権の現状の苛立ちを取次先の大名に不満をぶちまけるかのように

石田三成「愚か者には何を言っても無駄である」

という書状を残しています。これは暗に秀吉を誹謗中傷したと訴えられてもおかしくはないレベルの激烈な内容です。ちなみにこの書状を送った相手は「戦国のエゴイズムの怪物」毛利輝元。色んな意味でヤバすぎる。治部自重しろ。

 

まあ私は別に大河ドラマはフィクションなのでどんな史料のどんなエピソードを取捨選択するかは製作者の裁量だと思いますし、別に史料批判しろなどと野暮な事を言いたいのではありません。問題なのは

ドラマで突然出現した浅野長政にこれを言わせる意味があったのか

ということです。いきなりポッと出のキャラが出てきて、「殿下は狂われた」とか言われても…少なくともそれなら何故マツジュン上洛時から出しておかなかったのでしょう。このエピの前提は「浅野は家康との取次役」であるという前提がないと成立しません。

 

 

〇その後も続く横取り劇場

更にマツジュンの独壇場は続きます。どこからか入手した日本水軍敗北の情報を入手して、補給路の途絶という情報を入手するのもマツジュン。更にそれを三成らが秀吉に情報を隠蔽することを暴くのも徳川家。それに対して、楽観論を述べる三成に対して、補給が遮断してしまうと失敗を予言するのもマツジュン。更に三成に秀吉を制止するように説得させるのもマツジュン。何もかも物語は全部マツジュンが動くことでストーリーが動いていきます。

「殿下に何をお伝えし、何をお伝えするかは我らの裁量」

えーと、これはあれか。独裁者の鼻息を伺うだけの茶坊主ということでよろしいでしょうか?そんな『三国志』の黄皓みたいなキャラであるということであると…

 

ここで史実の石田三成の肉声をお伝えしておきましょう。時期はこのちょっと後になりますが、三成は朝鮮に軍目付として、朝鮮に渡海し、状況をつぶさに記した書状を大本営である名護屋城の奉行衆に送付しています。当時は、日本軍の快進撃の真っ最中で後方の秀吉らはもちろん、前線の武将たちもこのまま一気に明帝国まで攻め上る!と意気軒高な時期でした。

以下はオンライン三成会編『決定版 三成伝説 現残る石田三成の足跡』(サンライズ出版 2016)を参照します。

 

「ちょうどこの頃三成らが書いた注進状が残っている。それは三成の戦略眼の確かさを示したものである。

 注進状の中で三成は前線での兵粮不足の問題をあげ、秀吉に命じられた年内の明国進攻は不可能であることを述べている。また戦線がバラバラに延びきっており、日本側が分散していること(「日本之一ヶ国程へ人数千二千ほと参候分にて」)、治安が悪化しており往来もままならないこと(「跡之路次無人にて通路たやすからず」「国都静謐つかまらず」)などの現状の問題を指摘している。その上で、このままでは局地戦には勝てても補給の続かない日本側は全滅するだろう(「勝ち申しうちに、日本人は無人に罷りなり候」)と述べているのである。これはまさに、当時の日本側の問題点と、文禄の役の行く末を正しく言い当てたものであった。連戦連勝に浮かれる武将たちの中で、三成はこの戦役全体の行方を見据えていた。

 三成は延びきった戦線の整理と、朝鮮の治安を最重要課題に捉えているが、占領地の拡大を第一に考える武将たちとは、その見解は一致しなかった。(後略)」(前掲書p46)

 

 

まさに空気を読まない直言居士石田三成の面目躍如といったところでしょうか。快進撃の裏で、占領地は荒廃して、連絡船を保つのも難しい状況となっている。実はこれ、まさにナポレオンやヒトラーはもちろん、米国(イラクやアフガン)も辿った同じ道。緒戦の快勝に惑わされて、占領を疎かにした遠征軍は勝つことが出来ない。更に三成の直言居士ぶりはとどまりません。その後、明帝国からの援軍が派遣され、後退を強いられた時、自軍の防衛に有利な地点までの戦線を後退を進言したのも石田三成、秀吉の勘気を損ねることを恐れる一同の中で、自らの責任をもって報告するのも石田三成。お判りでしょう。

 

本作のマツジュンの行動は史実の石田三成をなぞらわせているにすぎません。

これと非常によく似た作品を私は知っています。他ならぬオカジュンが主役の大河ボンクラじゃないや『軍師官兵衛』そこでも作中にとったオカジュンの行動がそっくりそのままあの作品では三流の小悪党を演じさせられている田中圭さん演じる石田三成の行動を横取りしていたのですよ。いくら大河ドラマがフィクションだからと言って、これはもう創作としても最低の部類です。

 

〇秀吉の渡海中止について

秀吉が朝鮮への渡海をしようとして家康が取りやめを諫言するのは珍しく史実通り。ただ、結果的に言うとこれは果たして正しかったか微妙な所。というのもこれまで秀吉の戦勝は自ら陣頭指揮に立っての指揮采配の要素が大きかったのです。これはまさに現場指揮官上がりの秀吉ならではこそでしょう。ところが、この唐入りに際してはその利点を自ら潰してしまう結果となった。

結果、どうなったかというと朝鮮遠征軍は遥か後方にいる秀吉に指示を受けながら、その指令に取り組むという当時の通信技術では非常に困難な事態に直面することになりました。情報の伝達が往復で何十日もかかるような当時の伝達手段ではこの手法は限界があります。小早川隆景や宇喜多秀家らは渡海した遠征軍の大将、そして三成らの幕僚たちは非常に歪な指揮をせざるを得なかったのです。もちろん、現実問題としてそんなことは不可能であり、彼らはいずれも独断専行を行い、事後報告で秀吉に追認する行動を取ってきました。三成らがそれでも目に見えた処分を受けなかったのは秀吉が本当の意味では「耄碌」したわけではなく、それがやむを得ない事情であれば容認したからでした。もちろん、忖度に失敗すると明白な処分を受けることになります。それは官兵衛などがその典型例でしょう。更にこのときの豊臣家臣同士の対立はやがて秀吉死後に豊臣公儀が親徳川派と反徳川派に分裂する形となって最終的な瓦解をもたらします。よく本などを読むと、この時の原因として「三成らの所為で…」とか出てきますが、それは史実に反します。遠征自体は無残な失敗で終わりましたが、かくも歪な指揮命令系統の中で、局地戦での敗北や後退はあっても、目に見える惨敗が無かったという事実はいかに彼らが苦闘していたかを示すものです。でなければ、日本軍は『銀英伝』の自由惑星同盟軍の帝国領侵攻作戦の如き無残な大敗を喫していたでしょう。

 

〇おわりに

大河ドラマはフィクションなんんで、多少の史実の相違や主人公ageの描写がくることはやむを得ないでしょう。でもだからといって

「物事の推移を正しく見通すのは主人公だけで、物事を糺そうとするのは常に主人公だけで、何故か周りがそれに動く」

というのはよっぽど史実に拠らない限りは創作として見ると白けるだけなんですよ。ましてや史実の徳川家康はそもそも唐入りに関しては深く関わっているわけではない(徳川が朝鮮には軍を派兵させていません、名護屋城止まりです)のに無理やり物語の主軸に入れようとして、そのために豊臣家一同、特に石田三成関連が余りにも残念過ぎる描写になったのはちょっといただけません。特に本作の場合は折角、「治部と家康はソウルメイト」設定を持ち込んだのだから、マツジュンが関わるのは茶々に関連するパートにとどめて、唐入りに関しては三成を主軸にしても演出的にも設定的にも整合性が取れた筈です(前述の浅野のエピソードにしても三成であれば、むしろ自然な感じになれた)いずれにせよ、結果としてはかなり私的には少し腹が立ったのが本音でした。

 


本作の欠陥の一つに「誰か一人を持ち上げようとするあまりに、周りが単にそれに付和雷同するだけの存在感になってしまう」というのがあります。今回の唐入りはまさにそれを遺憾なく発揮したと言えるでしょう