今回のストーリーの構成は『認識1335』というタイトルが示す通り、まさに『鎌倉殿の13人』の第38回「時を継ぐ者」といみじくも相似形を成すものであり、『鎌倉殿』も『逃げ若』も大ファンである私にとっても大歓喜の回。それは何といっても

それまで無名の存在だった主人公がラスボスから存在を

『認識』される




 

伊豆の地侍の次男坊という無名の存在だった北条小四郎義時が初めて京にいる至尊の地位にいる御方から『敵』として認識されたように、子孫である時行くんもまた滅び去った家として忘れらされた存在であったのが南北朝のラスボスから「脅威」として認識される。こうして主人公が歴史の表舞台に出てくる時には見ている者としても昂揚感が半端ない

 もちろんそこに至る経緯も松井センセイは丁寧に描いてくれます。ことに史料についていえば、南北朝時代は戦国時代以上に厄介な作品。一次史料そのものが少なく、しかも軍記ものも『太平記』しかない。おまけに「中先代の乱」についていうなら殆ど基礎的な情報しかないのです。そのために作品として構成するなら、作者がゼロから組み立て直すくらいの覚悟が必要です。そして松井センセイはキチンと少年漫画テイストながらそれをこの「女影原の戦い」でやり遂げました。しかも、キチンと敵側である足利家サイドのこれまた陽の当たらない集団である腹黒い弟足利直義が抜擢した若手武将たち「関東廂番衆」もこれまた敵キャラとして、まったくモブ臭のしない凄いキャラが立っている。本当に本作が大河ドラマの題材にならないか…と思うこと幾度もありました。さて、それではそんな女影原の戦いの決着とそして遂に南北朝のラスボスからその存在を認識された時行くんの戦いの物語をお届けします。

 

〇戦神の掌の上で

お互いに目の前の強者との戦にワクワクしながら戦っていた弧次郎と渋川義季の戦いは遂に弧次郎の勝利とあり、渋川に致命傷を与えます。動揺する足利勢、他らなぬ実質的に指揮を執っていた斯波孫二郎のショックは計り知れません。少年にとっては渋川は自分の「憧れ」の象徴。ただね…これは同時に孫二郎もまた表面上の渋川しか見ていなかった証でもあります。本来の渋川は優しさ故に正義に反する行為が許せない正義感の青年。しかし腹黒い弟のたっての期待によって「足利のため」という正義が上書きされていたが、それゆえにどこかで自分を押し殺した面があった。いくら軍略については才幹高くてもまだまだその点は子供ということでしょう。またこれまでは北条の残党狩り程度の戦いしかしていなかった孫二郎と、信濃で小笠原貞宗や瘴肝ら強者と命がけの戦いを経験した時行くんら逃若党の差でもある。

 それでも伏兵によって諏訪勢を押している戦況で何とか挽回を図ろうとしますが、背後から保科・四宮コンビの奇襲を喰らいます。

頼重さん「一騎討ちに衆目が集まる間に伏兵を動かす。考える戦術はどちらも同じ。

だがこれはこちらから仕組んだ一騎討ち。足利の伏兵よりずっと先に…大規模な伏兵を出発させておいたのだ」

そうまさに頼重さんはこう語った通り、この一騎討ちそのものがまさに頼重さんが足利方に仕掛けたトラップそのものだったのです。怖いよ、この人もまた戦神の名の通り、全てを見通し、心理的陥穽を仕掛け、最後にお見舞いする。もっともそのうえでも時行くんと弧次郎が渋川に敗れる可能性を考えれば、かなりの綱渡りだったわけですが…それにしても前回、あれほど取り乱していた泰家叔父さんはどうやら完全に蚊帳の外だったようです。まああの人も本家の新宮十郎と同様に絶対に軍の指揮権だけは握らせてはいけないタイプなので仕方ないよね。

 完全に頼重さんの掌で踊らされていた足利勢。部下が必死に退却を進言しようとするも、孫二郎はすっかり取り乱し、渋川の救出だけでもと完全にパニック状態です。そこに届けられた岩松と石塔の戦死の報に、トドメとなって遂に心が折れてしまいます。これまで「足利の正義」と嘯いていても所詮は頭の良い子供の論理で動いていた孫二郎でしたが、初めてここで彼は戦争とは命の奪い合いという現実を思い知らされたのでした。

解説にもある通り、「女影原の戦い」については詳細な記録は分かっていません。ただ、いくつかの記録から激しい戦いがあったであろうこと、結果的に足利方が渋川義季以下主要な将が戦死したことぐらい。それらをここまで実に数話にわたる激戦として描写し、しかもキチンとエンタメとして成立させている。まことに松井センセイの手腕には脱帽することしきり。

 

〇阿修羅からの解放

そんな中で渋川の郎党たちによる主人を救出させるための決死の攻撃が来るためにステルス待機していた諏訪時継から退却の警告を受ける時行くんたち。この描写が上手いと思うのは

「不利な情勢でも決して主君を見捨てない家臣団」

を抱えていた渋川の武将として士心を得ていたかということです。『太平記』の異本には渋川のそんな一面を示すエピソードがあります。敗北が明らかになって自害を決意した渋川はまだ新参の家臣にこう言ったと伝えられます。

渋川義季「お前は私に仕えて間もないし見知ったものもいないだろうから、一緒に死ぬには及ばぬ。合戦と私の最期の模様を直義どのに伝えてくれ。あとは好きにせよ」

しかしその家臣は断固拒否して、自ら真っ先に腹を切ったと言われています。元々関東廂番はまだ編成されて間もない「組織としてはまだなっていなかった」段階での話のことでした。逃げ若の「女影原の戦い」は『太平記』とは異なりますが、決して無頓着ではなくちゃんとそういう形でフォローしてくれています。

 一騎討ちに勝利した弧次郎を称賛し、自らの首を取るよう伝える渋川。

弧次郎「もうすぐ来るお仲間に看取ってもらえ、俺にとっちゃあんた程の男と殺し合えたのが最高の褒美だ」

弧次郎にとっては自らの個人的功名などはどうでもいい話です。何よりも彼にとっての一番の動機は時行くんという友の為である。更に言えば、既に彼は全軍が見守る中での一騎討ちという舞台で、「功績」を建てられたのですから、最早「首」という形で恩賞を証明する必要はありません。そんな弧次郎を見て、改めて弧次郎を「武士」として強者と讃え、そしてまだ幼い彼をして忠義を尽くす存在として、時行くんを認め、「敵」として手向けの言葉を向けます。

渋川義季「お前にもお前の正義があろう。正義を貫くには苦痛が伴うぞ」

時行くん「肝に銘じる。正義の豪傑の忠告を」

何かを成すには「正義」が必要。しかし戦とは戦う者同士が「正義」と「正義」をもって戦っている。当然ながら、「正義」を貫けば、それに犠牲が伴う。渋川の言葉は彼の過去を慮るに重いものです。そして時行くんもまたその覚悟を決めてこれからの戦いに身を投じるのでした。今際の際に渋川に浮かぶのは


そう語りながらもその表情は晴れやかなそして「阿修羅」とは無縁の好青年の表情。本来はそれが彼なのでしょう。直義によって「阿修羅」となって戦ってきたのは栄光であると同時に重荷でもあった。初めて「解放」されたような表情で満足気に果てる渋川。もちろんそれでも自分に期待し、引き立ててくれた直義への感謝の感情もまた忘れられません。遺してきた家族、そして足利の未来を信じて息を引き取るのでした。うーん、こうして敵方のキャラもまた立っているから本当に素晴らしい。

 

〇ラスボスの視界

そして遂に京にも信濃で起きた反乱の詳細とそして首謀者の名に激震が走ります。

まさに雷鳴の如く


いつにもまして御簾越しの眼光から凄まじい稲妻がほとぼり出す後醍醐帝

既に自らの天下になったと誤認していた後醍醐帝にはまさに青天の霹靂だったでしょう。ここまで建武政権は全く乱の詳細もつかめず、完全に後手後手に回っていました。先の西園寺公宗による前代未聞の帝暗殺計画の発覚による衝撃と混乱、その警戒が結果的に京にばかり注意が集中し、鎌倉への反乱軍の進撃を可能にしてしまったこと、そしてここにきてようやく先の暗殺計画の共犯者の名前として、泰家叔父さんの名が発覚。一連の陰謀に北条家が糸を引いていたことに愕然とする羽目になります。

かくして、時行くんの名は後醍醐帝をはじめ、京にいるまさに「南北朝の英傑たち」にも名が知れ渡ります。史実的にも恐らくこの時、彼の名が全国に轟いた時。その中で面識があったのはかつて鎌倉幕府中枢にもいた佐々木道誉。流石に時行くんの亡父である高時さんにも深く食い込んでいた経歴は伊達ではない。余り知られていなかった時行くんの人相書作成を行います。

 

まあ反乱の首謀者なんで目つきが悪いのはご愛敬なのですが、それ以外はむしろ時調を捉えている。かくしてその面相書は建武政権関係者にも知れ渡ります。新田義貞は元々鎌倉にいたのですが、見たことないと相変わらず「?」マーク。鎌倉にいながら、面識のない新田義貞に対して、西国武士でありながら、数奇な縁で知り合ったこの人はある意味では感慨深くそして、

大楠公「…なんとこれはたまげた。あの少年、世が世なら拙者の主君たる御方だったのか」

結果的に自らが忠節を尽くす後醍醐帝に反旗を翻さんとする少年、自らの逃げの極意を教えた少年が他ならぬかつての主君になるかもしれなかった王子と知って、むしろ楠木正成はどこか面白がっているよう。ちなみにこのセリフ凄く重要で、

かつて楠木正成といえば、「悪党」という名称からアウトローの武士として語られがちでしたが、最近の研究で実は北条得宗家の被官であった可能性が指摘されています。

もちろんこのセリフはいわば、「分かる人には分かる」最新の史実をきちんと反映させた演出ですが、だからといって別に歴史を知らない層であっても「?」にはならない自然な台詞。やっぱりこういうのがいいよね。なるほど、こういう面もキチンと計算させて、大楠公と時行くん、史実的には接点のない2人を結び付けたのか!と膝を打つ思いでした。できれば、この後にも是非とも接点を持ってもらいたいものですが…果たして?

大楠公とは正反対に、怒り心頭なのが高師直。何しろ他ならぬ彼が抱えていた天狗衆は信濃を調査しながら、完全に諏訪方による偽情報に引っかかってまんまと裏をかかれる結果となってしまいました。いくら優秀であってもきちんとした情報分析と裏を読む眼力が無ければ、情報の真贋を見抜けられません。世の中には優秀な忍び…今はスパイを過大評価する向きがありますが、彼らもまた人間であり、雇われ人にすぎない存在です。

忍びが都合の良い時に都合の良い情報をもたらすなんてのはご都合主義万能の創作世界だけの話です。

現に天狗衆はその存在を感知されたことで、諏訪サイドの偽編情報にすっかり騙されて偽報を持ち帰る失態を演じてしまった。一方で諏訪をよく知る小笠原貞宗、そして遠く鎌倉にいる筈の直義はそういった偽情報に惑わされることなく、洞察力と分析力をもって正しく事態を把握したのでした。いみじくも師直が最も期待していた「夏の四」が玄蕃に言い放った「所詮は手品師」という言葉はまさにブーメランとなって跳ね返ってし待ったという皮肉な展開

高師直「所詮青二才に複雑な判断は無理な話か。やはり天狗衆は俺が直接運用すべきだな」

「青二才」たちに情報探索を一任してしまったことの限界を悟った師直。

そして今一人、遂に時行くんの人相を知ってしまった女の子が一人…

大好きで惚れてしまった少年が実は敵方の「北条」の首魁としってしまった判官殿の娘である魅摩

うぉぉ!もうこれはどう考えても修羅の展開しか考えられん。

 

 

そして…最後に…遂にあの男の下にも…

腹黒い弟からの鎌倉の救援の書状、そして判官殿の人相書、そして首謀者の名前…それらが南北朝のラスボス・足利尊氏の脳内で駆け巡ります。

解説「ーある時代に一人の少年と英雄がいた」

自らが滅ぼした北条家のことなど綺麗さっぱり忘れ去っていた南北朝のラスボス。「過ぎた過去は忘れ去ってしまう」というナチュラルなサイコパスなこの男でしたが、完全に忘れ去ったわけではなく、少しずつ自分の記憶が蘇ってきます。かつて自分と交流していた北条家の少年の顔…そして自らを暗殺しようとしてきた少年の顔…それらがすべて繋がり、


遂に南北朝のラスボスの視界に入った時行くん。皮肉なことに彼の存在がそれまで順風満帆に見えたラスボスの人生を一変させる契機となります。まさに「過去からの復讐」のように。そして今時行くんを討伐するために南北朝のラスボスは出陣を決意するのでした。