〇高知を一路西へ
今回向かった久礼城は大体、高知県から見るとやや西よりにある山城です。ちょうど港のある中久礼町にある高知県では良く整備された山城の一つです。最もここの土讃線区間、最早普通列車は5本しかない超絶訪問難易度の高い区間。そのため、今回は一部特急乗車で向かうことにしました。
まずは高知駅から土讃線で須崎行きの普通列車に乗車
途中の須崎駅まで向かいます。
ここまでは県庁所在地高知からの通勤区間であるので、列車本数はそれなりにあります。しかしここから先の窪川までは一気に本数は激減し、非常に訪れるのが難しい区間です。
須崎駅は高知県における鉄道発祥の地。ここで港から陸揚げされて、高知までを結ぶ鉄道が最初の鉄道開通の地となったからです。
駅前にはそれを記念するモニュメント
がありました。
ここで20分くらい時間をまって、いよいよ特急あしずりに乗車します。
あしずりはあっとういう間に10分ほどで目的地の土佐久礼駅までやってきました。
列車はすぐに走り去り、次に来る特急まで約2時間が今回の滞在時間
土佐久礼駅は無人駅、当然駅前には何もありません。ここからは山側へと向かいます。途中に中久礼町に役場があるので、そこで久礼城までの行き方を聞くことにしました。目指すは文教関係の部署。ここで親切な役場職員の方から案内してくれるとの申し出があり、大変恐縮ながら同行をお願いすることにしました。
保育所の奥に
久礼城までの
登山口があります。
ここからはそれなりのハイキングでの登城、結構道が厳しい傾斜です。
それでも中腹あたりからはここ中久礼町の
絶景ビューポイントがあります。
ドンドン登っていくこと
途中なかなか傾斜の急な部分も乗り越えて、
麓の登山口から登ること20分、遂に城跡まで到達しました。
曲輪Ⅱの石積み遺構は間違いなく久礼城の遺構です。
周囲にも土塁が張り巡らされています。
曲輪Ⅱの虎口跡
僅かに角の部分に石垣となって
こうして僅かに石が残っているだけでもありがたい存在です。
やがて30分ほどで遂に久礼城の主郭跡に到達しました。
ここにもかつてあった建物の楚石のような石材がゴロゴロと残っています。
周囲は土塁が観察できるくらいに整備されており、非常に印象度高いです。
ここにも虎口跡が
最近、嵐があったのか根っこごと倒れた倒木
久礼城のあんな自図にある縄張り
城は大体、3つの曲輪に分かれていて、それぞれが土塁と虎口、石積みで固められた遺構であると分かります
城散策を終えて、まだ列車が来るまで時間があったので港の方へ向かうことにしました。
久礼は今も現役の漁港の町
特に途中にある久礼大正町市場は今も観光スポットになっており、
カツオなどの海産物の料理が非常に上手いところです。もっとも残念ながら閉まるのも早く、16時頃に訪問したら店じまいしているところでした。トホホ…
再び列車に乗車して、更に西へと向かいます。
窪川から更に西へはJRから第三セクター鉄道「土佐くろしお鉄道」へと乗務員が交代。
西の小京都と呼ばれる中村、特急はここが殆どが終点です。
ここから更に西の宿毛へは普通列車乗り換え
中村駅にて一度下車
ちょうど更に南の先端部へ行く足摺岬行きのバスが出るところでした。
そして遂に列車は高知県の最西端である宿毛駅まで到着!ここまで長かったなぁ…!!
帰りはすぎに高知行きの最終列車となるあしずりに乗車。本日の鉄道旅を終えて、一路高知までの帰路に入ります。
車内は結構ガラガラ、ゆっくり列車は先ほどの須崎まで向かいました。
須崎駅はクリスマス間近ということで、イルミネーションが綺麗に輝いていました。これにて本日の高知県城巡りは終了です。
〇佐竹氏の城として
久礼城の城主は佐竹氏。その名でピンときた方もいたかもしれませんが、源氏一門で常陸の佐竹氏の一族であります。鎌倉時代に佐竹氏の一族がここ土佐久礼の領主となったことから、この城の歴史は始まりました。南北朝時代には北朝方に属し、やがては土佐西部に大きく勢力を張る一条氏の傘下となり、やがて戦国大名となる長曾我部氏に臣従。その後、関ケ原合戦で長曾我部氏が改易となると、堺へと移り住んだとされています。
〇アクセス
JR土讃線土佐久礼駅から徒歩10分で登城口、そこから20分で主郭
「久礼城に狼煙が一本…」






















































