image
 

 

折角四国をやっているので、ちょっと紹介できなかった愛媛の「城跡」を少々紹介。香川県と愛媛県の瀬戸内海沿岸では四国の中央にあたる伊予西条。ここにある「城跡」は西条陣屋跡があるのですが、実はもう一つありました。それが今回ご紹介する

土居構

と呼ばれる南北朝時代から続く武士の居館跡です。もちろん現在では残っている遺構は僅かですが、その貴重な部分がまたいい味を出しておられる。もっとも西条陣屋が予讃線の伊予西条駅から徒歩10分だったのに対して、こちらは徒歩30分。しかも西条陣屋とは駅を挟んだ反対側方向へ行くというなかなかの位置的に微妙だった場所。素直にタクシー使った方がいいかもしれません

image

西条駅から歩いて30分、これだけ見ると「単なる民家」にしか見えませんが、

image

image

大事なのはその基盤である石垣。実はこれこそ、まさにその土居構の遺構である石垣。600年以上前からある城の遺構なのです。

ちなみにそのうえに立ってある建物も江戸時代からこの地で庄屋を続けていた家のもの。もちろん現在でも私有地なので、勝手には入れません。

 

寛文年間に建築した建物は幾多の改造を重ねてもそれでも旧態を立て持っている貴重なものです。

周辺は巨木老樹が生い茂る緑豊かな風景。これも居住者の生活様式を類推し得るものとなっている…と解説版にありました。

この石垣こそ、ここが史跡であったことの証。

緑に覆われた貴重な石垣が更にまた数百年の時を閲してくれることを願ってやみません。

 

〇南北朝時代の居館

かつて南北朝時代に新居・字摩二郡を支配していた河野通直は高峠に築いた山城・高外木城の麓にあたり、加茂川の急流が巡るこの地に平生の居館を築きました。それこそが、この土居構の最初です。時代は変わり、石川氏が新たにこの地に拠りましたが、天正13年(1585)時期的に豊臣政権による四国征伐の時の戦乱で建物一切を消失して、僅かに石垣や犬走の芝生のみが残存しています。その後、寛永19年(1643)久門政武が中野村の庄屋としてこの土居構の地に入居。現在まで子孫が継承して今日に至っています。

 

〇アクセス

JR予讃線伊予西条駅から徒歩30分

 

「土居構に狼煙が一本…」