〇真夏の松山タイムアタック

さて鹿島城から再び愛媛県都・松山まで戻ったところ、「行くべきかどうか」と悩んでいた城がありました。今日この日

松山~宇和島~高知まで1日で回る

という特急や高速バスでも結構時間のかかる移動をしなければなりません。しかも普通。ところが困ったことに乗り換え時間の関係で、どうしても松山で1時間30分くらいの余った時間ができてしまったのでした。とはいえ、流石に松山市街にある松山城や湯築城は何度も言ってしまっているので、もう一つくらい新しい城にチャレンジしたい。でも市街には他にめぼしい城跡もない…という時に浮かんだのがここ。松山市郊外を走る伊予鉄道で行く旅なのでちょうどいいかなと思ったのですが、改めて計算してみると電車の時間と駅降りてから城へアクセスし、再び戻るまでの時間的猶予はなんと30分、これではなかなか難しいと思っていたのですが、やはり時間は有効活用せねば!ということで30分だけのタイムアタック城攻めを行いました。ちょうどJR三津浜駅から歩いて10分。そこから伊予鉄道の三津駅で乗り換えて向かうというコースです。

 

伊予鉄道の三津浜駅

三津浜は松山から船の玄関口として成り立っている町。ここからなら広島や九州へ船で行くこともできます。

三津駅から伊予鉄道へと乗り換えて目的地まで

伊予ということでやはり蜜柑でしょうね。

港山駅は何もない無人駅。ここで下車して目的地の港山駅へと向かいます。

城はその名が示す通り、港の傍らにある山城という感じ。

ここ三津浜港では「三津の渡し」と呼ばれる渡し船が有名。これは対岸との間を市営の船で渡っていくためのもので、何と無料。この「三津の渡し」の風習はまさにこれから訪れる港山城と大きく関係があります。城主河野氏は物資輸送と城兵が食料を買いに行くための手段として行っていたのが淵源。それ以来、港山城が廃城となってもこの渡し船は残り、今も松山市が運営して存続しています。僅か80メートルほどの船旅。私も乗ってみたかったのですが、時間の都合で断念。

港山城は狭い民家が密集している一角に案内解説版等があるので比較的わかりやすい。

 

ここまでで全力で走ってきたせいか非常に暑い。

9月は四国ではまだまだ猛暑の真っ最中。急いで来た所為もあってか、汗まみれです。

やがて城跡内部へと入ると結構綺麗に整地されているのが分かります。

駅から歩いて15分ほどで主郭まで到達

基本的にはあまり遺構は残っていない感じです。

港山城は三津浜港での監視と海上でのルートからの攻撃防止のために築かれた山城でもあります。

かつて城兵が見たのと同じように港町である三津浜港を見渡せられます。

一応、解説などでは石垣と井戸が一部残っているということでしょうが、あまりに綺麗に整備されすぎていて分かりにくくなっている。

この辺の地形もかつての城跡遺構ではないかと思うのですがはてさて?

 

 

ようやく城の遺構らしきものにお目にかかれました。石垣です…しかし、網掛けがかかってしまっているのがちょっと残念貫が漂います。

全般的には少し城跡としての遺構は少な目でしょうか。もうちょっと時間が欲しかったんだけどなぁ…

 

 

〇港山城の歴史

港山城の歴史についてはこの伊予国における支配勢力だった河野氏の存在が欠かせません。一説には南北朝時代の建武年間(1334~1336)に河野通盛が産みの守りとして、この地に城を築いたのが始まりとされます。湯築城(現在の松山市)を居城とする本宗家に対して、こちらは予州家が城主となっていましたが、やがて港山城主が河野通春が周防の戦国大名大内氏と結び、宗家と激しい争いを繰り広げました。元々港の守りとして重視された地理を活かして、制海権を確保した通春は翁勢力を誇りましたが、やがて戦死。その後、天正13年(1585)の豊臣政権による四国征伐で、その宗家も滅び、廃城となったと伝えられています。

 

〇アクセス

伊予鉄道高浜線港山駅から徒歩10分

 

「港山城に狼煙が一本…」