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今回の訪問をしたのは2020年の8月のことでした。訪問当時、長崎新幹線開業まで3年を控え、ここも開業とともに大きく変化します。もっとも新幹線が開業するのは佐賀の武雄温泉から県都長崎までというなんだか中途半端なもの。これは佐賀県区間については地元の佐賀県が新幹線建設に反対している事情があります。時間短縮効果が薄い、でも値段は上がるなど佐賀県にはデメリットが大きいのが理由。元々の構想では武雄温泉~新鳥栖駅までは在来線区間を走り、武雄温泉からは新幹線区間を走るフリーゲージトレインを想定していたのですが、これが技術的理由により断念。その為に現在では博多から長崎まで行こうとすると1回乗り換えが発生するという何とも…というものになっていました。

 また大きくこれまでの新幹線開業と異なるのは在来線区間は従来ですと、JRから経営分離されて第三セクター鉄道になるのですが、ここでも地元自治体(在来線と新幹線はルートが大きく異なっており、「並行」というには苦しい。在来線が走る自治体にとってはデメリットしかない)の反対により現在もJRが運営しています。

 現在、肥前鹿島までは特急かささぎが走る救済策が行われていますが、これも今までのパターンからすると年を追うごとに減便→廃止になる可能性大。かつて九州新幹線鹿児島ルートの時も特急有明が何本か残されましたが、これが同パターンだったので、嫌な予感しかしません。そんなこんなで長崎新幹線が開業してしまうと光景が一変してしまいます。今回はその前に見届けたかったというのが第一の動機でした。

獅子城訪問後、再び唐津線に乗車して山本駅で筑肥線で伊万里まで。唐津線にしても筑肥線(西線)にしても列車本数が少ないので乗り換えには念入りな計算をしなくてはいけません。伊万里までは雨も上がって順調

ここからJR→松浦鉄道に乗り換えます。

松浦鉄道でまだ未踏だった伊万里~有田間を乗車。ところが走行中に叩きつけるような豪雨に見舞われました。

 

それでも列車は定刻通りに終点有田駅に到着。ここからJR佐世保線に乗り換えとなる予定…

ところが何とJR側は雨のために列車が大幅遅延!!

NOOOOO!!!

この日のうちに長崎を訪問しないといけないので泣く泣く特急を使うことにしました。

 

やってきたのは特急ハウステンボス

車内は非常にガラガラ状態。まあこんな日にハウステンボスまで行く人間いないよな。

佐世保線の終点佐世保駅まで

ここから大村線の気動車に乗って長崎まで向かいます。

 
車窓から見た長崎のテーマパーク「ハウステンボス」そういえば、売却されてしまう話が最近出ましたが、果たしてどうなるのでしょうか。

長崎駅に1時間遅れで到着

特急かもめ停車中。この列車が長崎駅に乗りいているのも今だけ!

長崎駅周辺は新幹線開業に合わせて大幅な改良工事の最中。そのためにバス乗り場や市電乗り場までは結構歩かされました。

この辺も現在ではどうなったかな?

長崎駅前

それにしてもまた県都の駅とは思えないくらいここもまたこじんまりとしたものになりました。

 

さてここからは目的地の魚見岳台場まで行くことにします。すっかりスケジュールが遅くなってしまったのですが、幸い目的地までのバスは本数が結構あるので何とかリカバリーできたのが不幸中の幸い。ただ長崎駅前は結構バス停があちこちにあるので、乗る場所を間違えると痛い目を見るので注意。

「女神」バス停にて下車。ここ自体は海岸線沿いの小さなバス停にすぎませんが

 

近くには「ながさき女神大橋」があり、その威容を下から見れます。

登り口は近くにありますので、すぐ登れるかと思います。

結構荒廃している感じがあります。そして…

 

「暑い…暑いぞ…暑いんだよぉぉぉ!!」(絶叫)

午前中が大雨だったのがウソのようにこっちに到着したと同時に晴れてきて、いきなり凄まじい真夏の暑さが襲い掛かってきました。午前中の獅子城登りの時の快適さがウソのように滝汗が流れ出します。

これが真夏の九州の暑さか!!!

ということで本シリーズタイトルの伏線回収です(笑)

登り始めて15分、早速石垣が見えて参りました。

魚見岳台場は三段の曲輪からなっていました。

遺構としては石垣、そして石碑

所々に石材が散乱しています。

魚見岳台場は女神大橋を挟んだあの対岸にある神埼台場とともに有事には長崎湾を封鎖する役割を担っていました。

 

さて一番上の一の曲輪まで登っていきましょう。

ここは石垣もなかなかの年季が入っていて、下の曲輪の石垣に比べてもなかなか城跡らしい雰囲気満載。

 

苔むした感じが非常に廃城ぽくて好き

 

 

一の台場跡

そしてこの一の台場跡の奥に

貴重な建造物遺構がありました。

御石蔵

その名称通り、ここに弾薬を保管する倉庫でした。

やっぱり建物の遺構が残っていると違いますね。

開けた部分に残る石垣

魚見岳台場跡の現況図

長崎は造船の街。今も多くの船が行き交い、魚見岳台場はそれを見守っています。

全体図

女神大橋のそばで一度海岸まで下りてみました。

こうしてみるとやはり海上貿易で栄えた長崎の港町は本当に綺麗

それではバスで長崎駅まで戻ります。

バスの車窓から見た長崎

それでは再び長崎駅から長崎本線に乗車して帰路につきます。

長崎本線が新幹線開業後に大きく変化するのは

電車が走らなくなる。

新幹線開業後は肥前浜~長崎間は電化設備を残すほどのメリットがない、ということで同駅を境にして観光特急「ふたつぼし」を除くとすべて乗り換えとなります。

すなわち現在の長崎駅に電車が入っている光景はこれが見納めです。

ここからは今だけという光景がたくさん。特急かもめがすれ違い走行するのも今のうち。

小長井駅にてあの背後にあるのは島原半島の雲仙普賢岳です。

肥前山口駅に到着

ここも駅名を変えて江北駅と改名しています。

かくして九州の旅はこれにて終了。

やっぱり九州は春先にしよう…

 

〇長崎湾防衛のために築かれた台場

江戸時代の鎖国体制下の日本で数少ない海外との窓口だった長崎。その防衛のための施設は古くから存在していました。承応2年(1652年)には「古台場」と後に呼ばれる7か所の台場が設けられ、石火矢と大筒が設けられ、九州諸藩が警備にあたっていました。しかしそれでは有事に役に立たないことを幕府側に痛感させる出来事が発生します。

文化5年(1808年)フェートン号事件

ナポレオン戦争下でフランスに占領されたオランダを敵国とみなす英国船フェートン号が侵入。オランダ商館員を人質に取り、燃料や食料を長崎奉行に要求。折しも既存の台場では役に立たず、更に長い平和の時代で警備もおざなりになっており、手も足も出ない日本側は要求を丸呑みにする屈辱を味わい、長崎奉行が責任を取って切腹する一大事件が発生。その後、幕府では九州諸藩による長崎警備強化のための台場建設を計画。「新台場」「増台場」として更に何か所かの台場が建設されたのでした。魚見岳台場も文化7年(1810年)筑前国福岡藩によって築かれたものです。

 

〇アクセス



JR長崎駅前南口からバスで約20分(200円)「女神」バス停下車徒歩15分

 

「魚見岳台場に狼煙が一本…」