〇九州攻略の第一歩

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2020年7月に1か月近い休息の時を得ていた私は、下旬に九州遠征を思い立ちました。これはその時の記録です。

それにしても最近の暑さはもうこれは異常を通り越して、殺人的なレベルに達していますね。まだ7月初旬の東北はギリギリ許容範囲でしたが、真夏に九州へ行った代償は非常に重く、私も悪戦苦闘することになったのでした。それではご紹介します。

前日に三原に宿泊した私は山陽本線普通列車にて一路九州まで移動を開始。

瀬戸内海を眺めながら、ゆっくりのんびりと旅を開始したのでした。

九州へ入り、鹿児島本線で一路大牟田まで

大牟田駅到着。少し前まではここまで博多から快速列車一本で乗り込めたのですが、今では例によって例のごとく本数削減&走行距離短縮のコンポで今では何回か乗り換えないといけない羽目に。ここからはバスで目的地まで向かいます。

途中の九州新幹線新大牟田駅

やってきたのは熊本県北東部の山合いにある南関バスターミナル。ここはバス会社2社が乗り入れる終点ターミナルバス停。

ここからは徒歩で目的地まで目指します。

南関町は城跡だけでなく、古い史跡などが多く残されているのも特徴。かつてはここに豊前街道の宿場町として栄えた名残でもあります。

鷹ノ原城がすぐに見えて参りました。

その麓にある建物

これは南関御茶屋

かつてここには地元の藩主・細川家をはじめ、相良氏や島津氏など南九州の大名達が参勤交代の折に休憩・宿泊した御茶屋の建物が現存しています。

嘉永5年(1852)頃に完成したもので

 

その背後に城跡への登り口があり、

裏手には庭園などが整備されていました。

 

深い森の中が或る意味で貴重な涼しい時間。何しろ大して歩いてもいないのに汗がビッシリ!

やがて見えてきたのは「城ノ原官軍墓地」

熊本で一番の大戦争はやはり西南戦争

県都・熊本をはじめ、人吉や田原坂など各地で政府軍と西郷軍の間で激しい戦闘が繰り広げられ、多くの犠牲が出ました。ここには戦死した政府軍側の死者の墓地ともなっています。

官軍墓地から更に足を進めるといよいよ鷹ノ原城となります。

南曲輪跡

雑草が生い茂っていますが、城跡に踏み入れるとそこには石垣が眠っていました。

そしていよいよ本丸内に入ります。

 

かつては石垣が張り巡らされた近世城郭として貴重な史跡

その後は破城で破却されてしまい、石垣も崩されてしまったのですが、発掘調査により地中の奥底に眠る形で残されていた基底部の石垣が姿を現していました。

破却された石垣の残骸が堀の底に転がっています。

この基底部だけでも残っていたのはありがたいことです。

主郭部

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御茶屋跡まで戻ります。

 

かつては加藤清正が築いた見事な石垣の城…破却されてもなおその石垣の残滓が往年の城を偲ばせるのに十分でした。

 
〇加藤清正が築いた石垣の城
南関城は肥後に入封した豊臣大名・加藤清正が築いた城の一つです。清正は本拠の熊本城の他にも肥後国内各地に佐敷城始め多くの城を整備しました。ここは北辺の守りとして重要視され、清正自らが普請の指揮を執ったと言われています。その規模は名護屋城や宇土城にも匹敵する近世城郭だったと言われています。慶長年間頃に築城された本城でしたが、残念ながら元和の一国一城令によって、僅か10数年の歴史でその幕を閉じたのでした。その後、徹底的に破城となり、長らく土中に埋もれ、城跡は田畑や先の官軍墓地となっていたのですが、土中に眠っていた石垣が発見され、平成になって発掘調査が入り、城跡としての整備が進められることになったのでした。
 
〇アクセス

大牟田駅から西鉄バス55系統南関町役場行きで南関まで約45分(550円)

そこから徒歩20分で主郭部

 

「鷹ノ原城に狼煙が一本…」