…凄いものを見てしまった…衝撃のラストは誇大でもなんでもなかったぜ…

 

最初はTwitterで実況中継していたのですが、途中から後述する色々な事情で少しフリーズしていき、そして遂に最後は無言での市長となってしまいました。それだけ最後の場面は色々な意味での本作を象徴する場面となりました。初回から終始一貫していた本作は北条小四郎義時という主人公が如何に権力の闇に囚われてしまったのか、そしてその根源はどこにあったのか…最後にはようやく第一回目が千鶴丸の殺害から始まった意味がようやく分かってしまった…色々な意味で重すぎるラスト、でもだからこそ心打たれるものとなってしまいました。この最後の場面だけで、大河で語り継がれる場面となったと思う。

 ただし、この最終回なんですが、色々な意味で「穴」が目立ち過ぎた。いやまあ今までも「穴」はあちこちにあったのですが、極力触れないようにしていました。しかし、今回ばかりは無視できないほど穴が大きすぎた。特にラストの直前のオチはちょっと私的には納得できない箇所が多々ありました。もちろん如何せん承久の乱の尺が圧倒的に足りないので、「承久の乱」が高速移行してしまったのは仕方ないのですが、例えば、「押松=鼓判官の後身」という新解釈も結局あれなんだったの?何か意味があったの?というくらい何の回収もされないまま終わってしまいました。何だか三谷さんも小四郎同様に「闇堕ち」してしまったのか、と心配になるくらいです。本ブログ、ここまで鎌倉殿に対しては余り批判などはしてこなかったのですが、最終回ばかりはそうもいっていられない事情があります。そのため、今回の感想は少しキツメとなることご承知おきください。

あ、マツジュン家康がまさかの前年大河出演するという前代未聞のネタはスルーします。

 

〇大江殿と三善殿のマッチング

前回、尼将軍政子による大演説によって、士気向上した鎌倉幕府の御家人たち。意気揚々となって、朝廷と戦う!となったまでは良かったのですが、ヤマコー義村の眼は冷静に見据えていました。ヤマコー義村は非常に初回からそうですが、非常に冷静に観察して、何よりも現実を把握している。とかくこれまでの大河では自分の「正義」に突っ走りすぎる暴走キャラだったのを思うと非常に隔世の感があります。ただ、その一方でどことなく歴史の立会人…ようは傍観者となり、自らの意思で何かを動かそうという「熱意」に欠けている部分がある。その点が小四郎との決定的差としての答えなんじゃないかな…と。それはおいといて、後鳥羽院に対する徹底抗戦で意思統一されたかに見える鎌倉内でしたが、ヤマコー義村の観察通り、京までの進撃論と箱根に防衛線を築く専守防衛論かで喧々諤々。

 史実でもそうでしたが、この点においてはやはり喧々諤々の議論になっていました。当時の御家人たちからすれば、やはり出兵論というのは色々な意味で乗り気ではなかったのでしょう。それこそかつて富士川の戦勝の時(つっても頼朝は殆ど戦勝に貢献していなかったけどね)に勢いに乗じての京進撃が坂東武士たちから総スカンを喰らって頓挫させられた頼朝の時のように。ただ、かつてと違うのはあの頃からの粛清と統制が進んだことで、不穏分子の受け皿となりかねない有力武家は軒並み滅び、実質的に鎌倉を統べる北条の号令の下で進撃する選択肢も可能になったということ。

かつては寄り合い所帯・烏合の衆にすぎなかった坂東武士連合軍(仮称)から

凄惨な粛清と淘汰が進んだことで今や統一された指揮命令系統を持つ「正規軍」へと進化を進められた

後世から見れば、凄惨で野蛮に見える粛清劇の数々…しかしこれなくしては承久の乱における歴史的快勝は成立しえなかった。本作は決して主人公の小四郎を一方的に「闇堕ち」「悪」としているのではなく、きちんとその「業績」のプラス面も取り上げていることで見事なバランス感覚を取っていること、これは私は本作を非常に高く評価している点であります。

 例えば、フランス革命の悪名高き「恐怖政治」、これも後世の人間からすれば、罪のない女子供や言論人まで粛清対象としたことで「野蛮」で「狂気」の産物にしか見えませんが、当時のフランスは国内にあっては王党派の反乱、国外にあっては革命を押し潰そうとする諸外国との戦争で内憂外患、四分五裂状態であり、この苦境を脱するためには強権発動をするしかない、ということで市民も政治家も一致しており、その世論が後押しとなって始まったのです。これなくしては、革命の存続はありえなかった(それが良かったかどうかはまた別)それと同じように小四郎が行ってきた粛清はその「罪」と共にこのような状況を可能にならしめたという意味でも大きい。

 さて幕府内にあっては大きく進撃論を主導したのが大江広元です。本来は文官である大江殿が重視しているのは「時間をかければ有利になるのはどちらか」ということです。政治的には公的には当時の日本の最高権威である後鳥羽院が義時追討を命じている以上、政治面では鎌倉は圧倒的不利。時間を掛ければかけるほど御家人たちの間からも「熱が冷めて」結束が崩れかねない。先の平家の失敗という前例としてきちんと取り上げるなど、やはりこの人の政治的判断力の正しさは相変わらず鋭い。そこへ会議の場に杖を突きながら、途中参加してきた三善康信。

三善康信「今こそ必勝の策を献上します」

トキューサ「今ちょうど…」

政子「聞かせてもらいましょう」

三善康信「時を無駄にしてはなりません。一刻も早く出陣すべきです(キリ)」

一同「…(シーン)」

政子「皆さん、三善殿の策で参りましょう」

一見するとドヤ顔で「必勝の策」を提言したつもりが、単なる大江殿の二番煎じに終わってしまったというちょっと真相知ったら三善康信の面目丸つぶれになってしまう…そうではありません。このシーンで重要なのは

大江広元と三善康信、自他ともに正反対の性格の文官2人が特に示し合わすわけではなく、まったく同じ策を主張した

という点です。これによって小四郎ら北条家一門も「これしかない」と決断を後押する効果をもたらしたのでした。それは『銀英伝』風に言えば、マキャベリズムを地で行く策謀家のオーべルシュタインと常に正論家をもってなるミッターマイヤーが全く同じことを主張すれば、それはラインハルトも諸提督たちも「これはそうするしかねーな」と説得力が格段に増す。承久の乱における勝利の立役者としては政子の大演説も大きかったのですが、京の事情に精通する大江広元と三善康信、彼ら文官たちのこの主張こそが大きな意味を持っていたと言えるでしょう。

 自ら出馬すると述べた小四郎でしたが、これは尼将軍の政子、大江殿らから制止され、跡取り息子の泰時が総大将となります。もうここからは前回で改めて親子の関係を取り戻した小四郎と太郎の物語。惜しむらくはここら辺、もう少し詳しく取り上げて欲しかった。かつて頼朝が伊豆で挙兵した時には24騎であった故事を持ち出して、泰時にそれに倣えと訓示します。その数は18騎と頼朝の時よりも少ない。自分に頼朝のようになれるかと不安な泰時でしたが、小四郎は「鎌倉の命運をお前に託す」と全てを任せます。ああ、全ては泰時のため…しかし、それは同時に一人の女性にとっては残酷な展開でした。他ならぬ現在の正妻であるのえ。小四郎はもう彼女を見ていない。この重大事にも一言も相談もないことを静かに責めるのえ。実際、もうちょっと小四郎も気配りしていたら、違う結果となっただけでしょう。

 

〇真田丸よ、再び

泰時の出陣に合わせ、自らも出陣するヤマコー義村。前回、旗幟を鮮明にしたにもかかわらず、まだまだ野心は捨てきれていなかった模様。泰時に同陣するが、機を見て裏切るつもりだと往生際の悪さを見せます。しかし、勢いとは恐ろしいもので、ヤマコーが「二千騎ぐらいだろう」と勘定していた参陣武士の数はどんどん膨張していき万単位に。自らの優位を確信していた後鳥羽院にとってもその動きは計算外でした。

 全くの余談ですが、『吾妻鑑』の愛読者であった徳川家康は関ケ原戦役に際してこの承久の乱を念頭に置いていたのではないか、と個人的には思っています。それだけこの両戦役は非常に展開が似ている。関ケ原戦役でも、それまで圧倒的政治的優位を確立していた筈の家康は上方で起きた「内府違ひの条々」クーデター(仮称)によって、反徳川派の二大老・四奉行が結集し、更に「掌中の珠」というべき幼君秀頼を確保し、家康を「討伐対象」と名指しの弾劾状が全国にばら撒かれたことで政治的に窮地に陥っていました。会津の上杉討伐に従軍した諸侯がどれだけ家康に対して忠実でいるかもわからず、ましてや奥羽の上杉と上方の西軍による挟撃を受けかねないということで、家康自身も状況が全く読めずに江戸に留まり、一時は和平交渉による打開も考えていた節があったのでした。ところが、そこから計算外な動きからそれまで動向が読めなかった東軍に属した豊臣諸侯によって岐阜城が落城したことで状況が一変。それまで「西軍有利」と内外から見られた流れは一変。その「流れ」が変わったことを察知した家康は中山道を進む嫡子の秀忠率いる徳川主力軍が到着する前に自ら最前線への出馬を決断します。それまで自軍の有利を確信していた西軍では無能かつ怯懦な総大将自らのエゴイズムの欲望に基づいて、「家康はきっと関東から動けまい」と判断して、各地に兵力を分散させてしまっていました。そして「そんなことありえない」と思っていた西軍はそのまさかの事態に動揺が走り、最終的に無能かつ怯懦な総大将(大事なことなので二回言いました)は安全な後方に引き籠ったまま日和見を決め込み、結局「流れ」に乗った家康が最終勝者となった…という点で恐ろしいほど似ている。

全てのカードを賭けて勝負を挑んだ者に対して、日和見主義者は絶対に天下は取れない

鎌倉にあっても、江戸にあっても、古今東西普遍の法則。聞いているか、TERU?

 官軍にとっては最終防衛ラインとなる宇治川の戦い。流石に官軍もここを突破されては終わりとあって死に物狂いです。橋を全て落としての防衛戦を形成します。強行渡河すれば、官軍側からの激しい攻撃に晒されるとあって、流石に尻込みする鎌倉勢。しかし、その中で気炎を吐いたのがヤマコー義村でした。

ヤマコー義村「戦の経験のない者はこれだから困る」

北条朝時「ジジイ、うるせーんだよ」

ヤマコー義村「誰が言った?」

ジジイという言葉に凄まじい過剰反応を示すヤマコー義村。我々視聴者からすれば、1話目からまったく容姿が変わっていない宇宙人疑惑があるのですが、どうやら鎌倉殿の世界の住人達の眼から見るとやはり「口うるさいジジイ」に見えるようです(笑)あるいはメフィラス星人がまた怪しげな技術で周りの人間たちから不審をもたれないように見せている可能性も捨てきれない。朝時から何度もジジイ、ジジイと連呼され、大激怒するヤマコー。かつて十三人の宿老のメンバー選びの時に千葉の爺さんを選ぼうか、という話の時は「もうすぐ死にます。爺さんはやめておきましょう」と敬老精神の欠片も無い台詞を言っていたヤマコー義村。

これもまた「報いの時」か(笑)

そしてここでも泰時の決断で、周囲の民家を資材にして筏として、強行渡河を開始する泰時。そしてそれを鎌倉で泰時から託された頼朝の形見の菩薩像に泰時の安泰を必死に祈念する小四郎とそしてこちらもまた戦勝祈願をする政子・実衣姉妹。特に実衣の祈る姿はまさしく亡夫の全成さんの姿そのもの。

 渡河戦そのものは凄まじい犠牲の果てに遂に防衛線が破られました。河川を防衛ラインとするのは軍事上合理的なのですが、これが長期にわたって維持できた例は少ない。というのも防衛する側というのは全ての兵力を川の全域に展開することはできないので、どこを攻め手に選ぶか主導権は攻め手にある。だからなかなか河川防御というのは難しい。河川が防御線として有効となれるのは、防衛側に水軍などの水上戦力があるかどうかにかかっています。まあこの時代に河川でそんな水軍用の船舶なんて無理だけどね。それにしても泰時の筏を引いていた鶴丸こと平盛綱が矢に被弾した時は「あれ?」と思ってしまった。もちろん平盛綱がここで落命するなんて史実的にあり得ない…とは分かっているんだけどね。

 かくして最早京にまで雪崩こむ勢いにのる鎌倉勢。藤原秀康及びヤマコーの弟の三浦胤義にとって、最後の挽回のチャンスは後鳥羽院の自らの出馬にかかっている…と御所で出馬を求められる後鳥羽院。

お、『真田丸』の時の畠山重忠…じゃないや豊臣秀頼出馬による逆転を図る真田信繁の再現!

まあ大坂夏の陣の時は巷間言われるような「秀頼公の御出馬」があったとしても豊臣方に勝機は万に一つもなかったと思いますが、承久の乱の時には鎌倉方も上皇方自ら出馬することを恐れていたので、最後の逆転あるかも…?意外にもその言に頷いて自らノリノリで出馬しようとする後鳥羽院。そしてこちらもウザい大蔵卿局の如く押しとどめんとする兼子。彼女が持ち出したのは「朝廷を守り抜く」遺言を残した後白河院でした。後白河院退場の回感想でも述べたことですが、客観的に見れば後白河院は「朝廷を守り抜いた」などという手前勝手な自己評価とは裏腹に、実際にはその無定見かつ無責任な政治家としての致命的欠陥から、数々の戦乱の元凶となった挙句に、最終的には朝廷が武家の一個人に存亡を委ねられ、あわや存亡の危機に陥れた昏君でしかないのですが、後鳥羽院にとっては化石のように動かなくしてしまう呪詛の効果はありました。

よりにもよって、退場してからも負の影響を残しまくる西田後白河院

かくして、後鳥羽院は「朝廷を守り抜く」ために自らのために戦った秀康や胤義をパージする結果となります。ここら辺は、小四郎が亡き頼朝から政治家として学び、その路線を引き継いだように、後鳥羽院もまた後白河院から(君主として)政治姿勢を学び、その路線を引きついだという意味ではやはり両者は似た者同士という慈円の評は的を射ていた。もっとも後鳥羽院には「あの時(後白河院)と今とでは状況が違う」ということがどうも理解できなかったことが両者の命運を分けます。

 

ここでちょっと批判いいですか?

承久の乱が超高速展開になってしまうのは仕方ないにしても、流石に胤義の末路くらいは触れて欲しかったと思います。史実でも兄義村に見捨てられ、最終的には兄の軍勢の前で自決する最期を迎えた胤義。かつてヤマコー義村が比企能員、時政親父、和田義盛、公暁と多くの鎌倉の住人たちと裏で結託した挙句に掌返しで彼らを裏切り、葬り去る姿を目撃してきた胤義が最後は自分も連中と同じ扱いを受けたことに如何なる感慨を抱いて果てたか?というのはヤマコー義村を語る上で欠かせない要素です。正直言うと押松=鼓判官という小ネタに拘るくらいならこちらはしっかり描いて欲しかったという思いがある。

 

〇りくさんはこれで良かったのか?

承久の乱による勝報を政子に報告する小四郎。2人にとってはやはり泰時は本当に希望の子。そして小四郎はある歴史的に重要な意味合いを持つ責任者として責務を語ります。

小四郎「しかし、私はこれまでの歴史で初めて朝廷を裁くことになります」

これも日本史が始まって以来の歴史的な瞬間。これまでも確かに現今の天皇・上皇が敗れて、廃位されたり、流罪になった例はあるが、それはあくまでも朝廷内における政争のゴタゴタにすぎません。しかし、今回遂に開闢以来初めて、臣下の者が天皇家を裁くことになるのです。これもまた前例のないことでした。

 後鳥羽院は祖父院に倣うかのようにあっさり彼のために戦った武士たちを見捨て、北条に擦り寄ります。もうそれは彼と蹴鞠メイトとなっていたトキューサでさえ、ドン引きするほど。そして待っていた前代未聞の処置に呆然となります。罪人の処遇で隠岐へ流罪となった後鳥羽院。御所から護送される担ぎ手の中には文覚…ん?文覚?

文覚「隠岐はいいところだぞ~隠岐は良い所だ~何もないぞ~一緒に暮らそう」

と剃髪した後鳥羽院の頭をカジカジする文覚。まあ流石に幻影だよね?いくら罪人扱いとはいえ、上皇の頭を噛みつくとかありえないし、撮影のアングル的にも明らかに後鳥羽院が見た幻っぽい演出されていたからね。こうして、後鳥羽院はあっけなく退場。うーん、やはり京パートのスカスカさを象徴するかのような退場だったな。物語上のラスボスと目されていた後鳥羽院チームでしたが、やはり呆気なさすぎ。後鳥羽院にしても一番キャラ立っていたのが、前世(来世?)の悲願達成である蹴鞠合戦だけというのはやっぱりどうよ?この東西日本のそれぞれの旗手がかくも格差が生じては肝心の「坂東武士がてっぺんに立つ悲願」というのも伝わらんと思うのですがね…

 それとここから気になるのですが、泰時とトキューサコンビ、史実では義時の死去まで「京都占領総督」ともいうべき六波羅探題として朝廷への監視者となるのに、あっさり鎌倉と京の距離感覚が無茶苦茶になっていないか?確かに以前にも伊豆と鎌倉を1日で行ったり来たりしてガッキー八重ちゃんにストーキングする小四郎もネタにされていましたが、いくらなんでも政治的に重要な存在になった後でも同じなのはどうかと思ったのです。ここら辺の「距離の暴虐」というのは大河始め歴史劇の重要ものの要素です。まあ仮に一時的に鎌倉へ帰還するシーンがあってもいいと思うけど、2人一緒にというのは流石にOUTでしょう。

それよりも問題は久しぶりに登場したりくさんだよ!

京で公家に嫁いだ娘の家で優雅に暮らすりくさんと再会したトキューサとこちらはまったく覚えられていなかった「義理の孫」である泰時。そんな厭味ったらしく語る相変わらずの発言なんですが、爆弾発言に思わず耳を疑ってしまった。

りくさん「しいさまは?達者にしているの?」

トキューサ「9年ほど前に亡くなられました」

りくさん「あら…亡くなったの」

えぇぇぇ!!!りくさん、時政親父のこと追跡調査していなかったんかい!!

いや流石にそれはないでしょ。史実でも牧の方、確かに野心家でしたが、それでも時政親父が失脚した後でも一緒に剃髪して暮らした人で、少なくとも夫婦愛はあった人ですよ、本作だって時政親父を栄達のために利用していることはあっても愛情は本物だったじゃん。仮に離縁したのが「りくにこれ以上伊豆の流人生活を送らせるのは偲びない」という時政親父の配慮だったとしても肝心のりくさんが時政親父のこと追ってなかったのって流石に物語としてどうよ?この野心に生きる人だが、同時に伴侶への愛は本物ってのはりくさんを構成する大事な要素です。何よりもこれこそ

りくさんとのえとの決定的な差じゃないですか!

同じくふてぶてしい野心家でありながら、野心と栄達のために捨てた女性とその息子の境遇や彼女の命日までしっかり把握していたルビンスキーを見習ってほしかったです…しかもなんかこのシーン、泰時までもが感じ悪く見えてしまう。かなりマイナス

 

〇幼帝殺しはアウト!

かくしてクライマックス承久の乱はあっさり終結し、舞台は鎌倉での北条家のホームドラマとなります…まあホームドラマなんですよね…

 突然、小四郎が食事中に倒れたことで大騒ぎするトキューサ。小四郎曰く、「ちょっと眩暈がしただけ」ということだったのですが、そこでのえが出した「薬」が分かりやすすぎて、ちょっと笑う。匂いも異臭がするわ、しかもそれを呑んでからの方が小四郎も具合が悪くなるわで、あからさまに怪しすぎ。もしこれで本気でのえが毒殺を目論んでいるなら、余りにも怪しすぎ。普通こういうのって、変な匂いを打ち消す香で誤魔化すものなんですが、後述しますがのえには本気で毒殺しようという気はなかったと思います。むしろ小四郎に振り向いて欲しかっただけ。

 さて鎌倉では議題として、先に後鳥羽院の孫であり、承久の乱で廃位された幼帝…この当時「九条廃帝」後に「仲恭天皇」と諡号される廃帝の処遇です。朝廷内ではこの少年を復権させよう…という動きがあることを報告され、これが後鳥羽院復権につながりかねないとして、禍の芽を摘むことを進言する大江広元。それを認める小四郎と衝突する泰時(だから六波羅探題の仕事はどうした)ハイ、これもフィクションでもOUT

この時代の人間に「帝室の人間を殺す」などというのは発想としてすら存在しません。

というかここであっさり言ってしまうと

130年後の『逃げ若』の泰家叔父さんと西園寺卿がいかに凄まじい行為をしでかすかが伝わらないじゃないですか。多分三谷さん的には小四郎の更なる「闇堕ち」の暴走として描いているのでしょうが、いくらなんでもやりすぎ。詳しく言うと、後鳥羽院には息子の世代で土御門院と順徳院、2人の息子が帝位を引き継いでいました。で、このうち親鎌倉派として土御門院は父院に批判的で距離を取っており、一方の順徳院は父に同調し、自分もその補佐にあたれるようにまだ幼い自分の皇子で帝位に付けたのが九条廃帝でした。承久の乱後に、北条義時及び鎌倉幕府ではこの後鳥羽院ら3上皇を流罪とし(土御門院は親鎌倉派で加担していなかったのですが、後鳥羽院を止められなかったということで自ら流罪にするよう願い出ました)、まだ4歳の仲恭帝を廃位、そして後鳥羽院の弟の守貞親王を「治天の君」とし、その皇子として新たに即位したのが後堀河帝です。すなわち後鳥羽院の血統を皇統から徹底排除するという断固とした意志があったのは確かです。だからといって、帝室の人間を根絶やしにして、

禍の芽を摘むなどという発想はありえません。義高や千鶴丸、あるいは一幡といった「武士の子」とはそもそも一緒の扱いとなるなどという発想すら出てこない。もし、それができるのであれば、「A級戦犯」ともいうべき後鳥羽院こそとっくの昔に処刑されているでしょう。そんな後鳥羽院が流罪というだけでも当時としては衝撃的な出来事なのです。それが4歳で自分の意志で動いていたわけでもない幼帝を殺すとなれば、もう別次元の話です。

 

 以前の感想記事にも述べましたが、朝廷が日本史上最も存亡の危機に立たされたのは源頼朝の時です。史上初めて、天皇家と朝廷の生殺与奪の全権を握った頼朝でさえ、帝と朝廷を権威の源泉として認めたことがその後の武家政権のモデルケースとなったことは述べました。

ましてや頼朝の「政治後継者」を自負する小四郎が出来る話ではないということです。仮に隠岐にいる後鳥羽院がまだ怪しげな動きをしたので、密かにトウに暗殺命令を下した、というのならまだ分かるんですが、これはいくらなんでもダメ!断っておきますが、私はどちらかというと「不逞なる共和主義者」に近い考えの持ち主なので菊のタブーに触れるな、と言っているわけではありません。純粋に歴史的に見てあり得ないと言っているだけです。念のため。

 なお、かくして後鳥羽院の血統を皇室から排除しようとした北条義時の労苦は結局は破綻に追い込まれます。後堀河帝及びその次の四条帝が早逝したことで、結局後鳥羽院の血統から新たな帝が選出することになりました。朝廷は当初、順徳院の皇子、すなわち九条廃帝の兄弟を候補としてあげましたが、泰時は後鳥羽院に近いこの系統を拒否。最終的に親鎌倉派の土御門院の皇子が新たな天皇に即位します。これが後嵯峨帝で、この帝の継承争いがやがて両統迭立、そして鎌倉幕府を滅ぼすことになるのだからまさに歴史の皮肉という見事な見本ですね。

 

そして承久の乱の戦後処理の結果、朝廷に加担した西の武士の所領が没収され、宛がわれた御家人が領主となったことで東西対立が再燃。もともと関東独立政府という立場だった鎌倉幕府は図らずも全国政権として運営することになり、悪戦苦闘する様が泰時とトキューサの間で語られます。これがやがて御成敗式目となる…まあこのドラマではそこまでは描かれないけどね。やっぱり、スピンオフで坂口健太郎泰時主役のドラマが必要だ!

 

〇キノコショック!!

またしても斃れたことで、例の佐々木の爺さんの孫の医師から毒を盛られたことが明かされる小四郎。どう考えても犯人は妻のえしか考えられないということで、詰問すると彼女はあっさり自白します。ただね…ここまでの経過を見ると彼女は確かにミニりくさんともいうべき野心家の女性でしたが、少なくとも表立って何か悪意ある行動を取っていた描写はないんです。どう考えても仲章が接近したことで勝手に曲解して、彼女のメンタルをボロボロにさせた小四郎が悪い。まあ彼女も確かに自分の産んだ政村を後継にと動いていて、小四郎の特大地雷を踏んでしまったのですが、それは彼女の立場としては当然の事。せめて小四郎が形だけでも、ちゃんと夫婦として接していれば彼女がここまでのことをしなかったと思うのですよ。彼女としてはせめて自分に振り向いて欲しかった…だからこそあんなあからさまに怪しすぎる毒描写にしたのも、浅はかだけど旦那に振り向いて欲しかったという思いから来たのでしょう。しかし、残念ながら

小四郎「執権が妻に毒を盛られたとなれば威信に傷がつく。離縁はせぬ。だが二度と私の前に現れるな」

闇堕ちした小四郎の言葉は怒りや断罪よりものえにとっては残酷な言葉。妻としての立場を徹底的に否定されての破局。それにしても

のえ「死に際は大好きなお姉さまに看取ってもらいなさい」

図らずも小四郎の本質とフラグを立てて去っていくのえ。しかも毒の提供がヤマコー義村であったという暴露までつけて。あ、あと政子と実衣の会話。これもなかなかにこの後の展開に向けての完璧な布石でした。野心家とは程遠い権力に一切欲を見せていなかった政子、そんな彼女が生き残り、野心家たちは次々に没落していった…このセリフが最後に効いてきます。

 

病床からヤマコー義村と「のえが提供した」酒で飲みかわそうという2年前の大河のノッブと同じくらい底意地の悪さを発揮する小四郎。完全に「飲め!お前が飲め!!」のペースで、追い詰められたヤマコーは遂に開き直って酒を飲みだします。途端に気分が悪くなるヤマコー。かくして、これまで常にクールに振舞ってきたヤマコーが1話以来、初めて本音で語りだすシーン。いとこ同士の小四郎と平六、仲の良い悪友だった2人ですが、内心では小四郎に対する鬱屈していた感情を露にするヤマコー…最高。そしてドッキリだよーん、と毒が入っていないと明かすと途端に

ヤマコー義村「あ、本当だ。喋れる」

なんじゃそりゃ(笑)まあとりあえず、その後も北条と三浦の友誼を誓い合うヤマコー。うん、この後も三浦は北条の友だよ…義村が死ぬまではね。しかし、ヤマコー義村はここでそんな小四郎に衝撃を与える真相を明かします。

ヤマコー義村「大昔、俺はお前に教えてやった。『女子は皆キノコが好きだと』あれは嘘だ。出まかせよ」

小四郎「…は、早く言って欲しかった~」(汗)

うん、陰謀や毒よりもそっちの方で衝撃を受けるとか色々な意味でこのコンビは本当におかしい(誉め言葉)

まずいことに泰時にはしっかり伝わってしまったので、うん、きっとこれは北条家に代々伝わる「秘密の教え」になるな(笑)

一方の新時代の担い手となる北条家のホープとなる若い衆らが新たな時代に向けて動き出します。泰時にトキューサ、朝時、そして宇治川の戦いで死んだと見せかけて生きていた平盛綱。

平盛綱「私はいつも誰かに守られているんです」

これまで「川」というと鎌倉殿の世界ではまさに凶事の代名詞となった場所でした。しかし、ここにきて遂にその呪縛から解き放たれる時が来ました。もちろん「誰か」とはもうこれは太郎と鶴丸には分かる事実。

第1話からの呪縛がガッキー八重ちゃんによって解き放たれたことを示すいい場面でした。

こうしてトウもいつの間にか海兵隊式戦闘訓練…じゃないや武術のインストラクターとして再始動を果たします。新たな時代の担い手として泰時を中心に胎動しす。惜しむらくはこれこそが本来の「王道」からいけば、御成敗式目制定をもってドラマ終了となるべきだったでしょう。物語的カタルシスならそっちの方が正解。でもね…これは鎌倉殿。

泰時が書く『御成敗式目』の下書きときりちゃんナレーションで泰時パートは希望ある終わり方で終了します。

きりちゃんナレーション「これにより泰時が政治を行う間で鎌倉で御家人の粛清は一切起こらない」

「泰時が政治を行う間」というナレーションは未来を知る後世人にとっては辛いものです。残念ながら、泰時期の鎌倉の安寧は泰時個人の超人的な人格と力量という「特別な要素」があって、初めて成立するものでした。泰時が死んだ後は、まるで抑えられた封印が再び破れたようにまたしても血で血を洗う粛清が待っている。三浦も安達も、今度は同じ北条家内部でさえ、共食いが始まる。

史上初めての「本格的な武家政権」という前例無き政権を担った鎌倉幕府。しかし、まだ当時の時代では安定した運営作りをシステムとして確立することはできなかった。もっともそれは彼らの力量が足りなかったというわけではありません、仮に徳川家康が鎌倉時代に生まれていたとしてもそれは無理でしょう。何故ならそういった過去の歴史があるからこそ、徳川はそれを学び、安定した政権を確立することができた。

歴史とは過去の人々の苦闘、成功と失敗様々な蓄積があって初めて成り立つ。

うん、銀英伝のセリフはやっぱり響くな~。

 

〇13人問題

いよいよ伝説のラストシーンに入ります。2人で語らいあう小四郎と政子。自分たちが後世の人間からどのように語り継がれるか。悪名を背負うことになるであろうこと、でも頼朝から受け継いだ鎌倉を次代に引き継ぐことができたから満足だ。そうしてここまで「頼朝亡き後に非業の最期を遂げた人々」が語られます。

①梶原景時

②阿野全成

③比企能員

④仁田忠常

⑤源頼家

⑥畠山重忠

⑦稲毛重成

⑧平賀朝雅

⑨和田義盛

⑩源仲章…殿(笑)

⑪源実朝

⑫公暁

⑬阿野時元

なんと『鎌倉殿の13人』の真の意味はこれだった!!衝撃の真相!

っとここで政子があることに気づきます。それは「病死」したと小四郎が嘘をついていたことに。薄々と気づいていたが、今まで聞けなかった。しかし、小四郎からの意図せぬ「自白」で真相を知ってしまったことで急展開を迎えます。小四郎としては「優しさ」として話さなかったのですが、ここで修善寺での頼家の最期を観念して喋ります。って、いいですか?確かにこの展開、なかなかに衝撃的だったのですが、ちょっと私的には納得できない点が多々あります。

1.頼家の真相抜け落ち問題

私は当該回の時に「頼家の死を聞いた政子の反応が描かれないというのはおかしい。これこそ一番本作で重要な要素だろ」と突っ込みました。ある意味、「見ろ!これが伏線だったんだよ!」と返されたようなものですが、でもさぁ

それはちゃんとその時に描いてこそ、「伏線」になるんじゃないの?これって完全に『後出し』じゃん!

あそこで姉を悲しまいとする小四郎の「優しさ」からの嘘を言うシーンが描かれて、ここでのどんでん返しが初めて成立するんじゃないの?「後から実はこうでした!」なんて言われてもさ。『真田丸』の時の「ナントカ官兵衛さん」問題と同じで、そりゃ「後出しだろ」という思いしか抱けないのよ。確かにドラマには「初めて明かされる新事実!」というのがあるけど、これはそういう性質の問題ではないですよ。

 

2.13人の選定基準

そして更に釈然としないのが、この13人の選定基準がどうもかなり恣意的で基準がはっきりしないという点です。本来、このシーンで語るということは、「これまで北条による鎌倉幕府維持」のために粛清の犠牲となった者たちへの小四郎の懺悔と贖罪の13人リストと解釈したのですが、それだと13人の選定基準的に「コイツはどうなの?」と。もう一回洗いなおしてみましょう

 

①梶原景時…後鳥羽院からのスカウトを景時から打ち明けられた小四郎が頼家に報告したことで完全失脚。ある意味、小四郎が景時の命運にトドメを刺したので〇。

②阿野全成…そもそも全成を殺したのは頼家、そして手を貸したのは比企能員、直接手に掛けたのは八田知家。小四郎は助けようとした方なんで、ちょっと?。まあ時政親父らの野心の犠牲になったという意味では「北条のために犠牲になった」と解釈すべきか

③比企能員…これは当然〇

④仁田忠常…(本作では)自害なんで△。まあ最後に苦悩を相談しようとした小四郎に塩対応されたことが引き金だからその意味では〇か?

⑤源頼家…〇

⑥畠山重忠…直接討伐したのは小四郎の軍勢だから〇

⑦稲毛重成…まあこれも〇

⑧平賀朝雅…これも当然〇。ただ、本作ではどっちかというと平賀の自業自得という側面が強い

⑨和田義盛…これは当然〇

⑩源仲章…後述

⑪源実朝…(本作では)鎌倉を捨てようとしたというオリジナル設定で小四郎から見限られ、公暁による暗殺計画にお膳立てをされたから〇

⑫公暁…ヤマコーに害されたが、そもそも実朝暗殺は公暁自身の意志なので△小四郎の掌で踊らされたという意味でか?

⑬阿野時元…〇

並べてみると分かると思うんですが、かなり曖昧で中には別に小四郎が直接的に害そうと考えたわけではない人間(全成さんなど)が入っている。そして最大の問題は

一幡がこのリストに入らない理由は何でしょうか?

一幡こそ小四郎がまさに自らの手を汚そうとしてまで粛清したのに。いや、それを言うとせつや比企一族、畠山重保まで入れないといけないのですが、一幡が重要なのは、「小四郎もまた伊東祐親や頼朝と同じ幼児殺しという許されない道を辿った」という意味で他の脇キャラとは重要性が違います。公暁や阿野時元まで入っているのに?しかも政子も小四郎が一幡を死に追いやったことを知っているのに?(もっともあの時点ではまだ一幡は実は生存していたのですが)

 そしてゲスな源仲章に贖罪意識を持つかという問題もあります。何しろ本作での仲章は「小四郎の身代わりにされた」というよりは「自業自得の自ら招き寄せた禍」で破滅したのであって、別に小四郎が罪の意識を持つか疑問なのですよ。いや、確かにトウに暗殺させようとしましたけどね。

 

3.実朝の死の真相は明かされず

そしてここで最大の問題は頼家ONLYであり、実朝も13人リストに入っていることに政子がスルーしてしまった点。「いや、非業の最期を遂げた人リストなんだから実朝は入っていて当然なんだろ」という至極ごもっとも意見は当然分かります。でも、問題なのは本作では

「小四郎は公暁が実朝の命を狙っているのを知りながら、実朝が自らの障害と判断するやそれを黙認し、あまつさえお膳立てをした」

というオリジナル設定を入れてしまったことです。政子が知っているのは「公暁が実朝を殺した」という表面的な事実のみで、小四郎が間接的にそれに手を貸したということは知らない。それを知っているのは小四郎本人が喋ったトキューサとヤマコー義村、そして小四郎の反応から真相を悟った泰時だけなんですよ。(大江殿は薄々察していた可能性はある)

頼家の死の真相はここで明かされ、そこに力拳が入れられているのに、実朝の方は結局真相が明かされず(そもそも頼家の真相を明かした段階でもう実朝の真相を秘匿する理由がない)終わってしまったという点でなんかこうモヤモヤ感が残ってしまいました。

 

結論を言うと、この13人リストと頼家の死。衝撃のネタありきですすんで、ストーリーとして見た場合に不自然さが目立ちました。

 

〇FINAL:そして大河史上に残るエンディングへ…

身体の具合が悪くなったことで、医師から煎じられた毒消しを渡してもらうようにと頼む小四郎。

小四郎「私にはまだやらねばならぬことがある」

この世の悪名のすべてを背負ってでも、息子泰時のために更なる罪の道を辿ろうと最早息子への愛が妄執の領域に達してしまった小四郎。政子は遂にそんな闇の囚われた怪物と化した弟に引導を渡す選択を行いました。これまで常に「正しい」側に属してた政子が遂に選んだ「罪」。それは息子を殺されながら、自分の息子のためにと語る母としての復讐か、それとも愛する弟がこれ以上罪を重ねないための救済か。両方がありました。そしてこれが第1話から仲良く和気藹々と語っていた2人の姉弟が辿った余りにも悲劇的な結末。なおも生の妄執から烏帽子を落とし、床を這いつくばって、舐めようとまでして毒消しを口に入れようと足掻く小四郎。それをそっと床を拭うことで、「解放」させようと涙ながらの政子。

政子「北条泰時を信じましょう。賢い八重さんの息子」

小四郎「確かにアレを見ていると…八重を思い出すことがある…」

政子「でもね、もっと似ている人がいます。貴方よ」

ガッキー八重ちゃんの存在の大きさ、決して回想などという安直な手法に頼らず、それでいてその「喪失」が小四郎に与えた影響は余りにも大きすぎました(涙)

ガッキー八重ちゃんが亡くなった時から小四郎が「闇堕ち」するコースへと舵を切っていったのでした。(もちろん引き返す選択肢は何回かあった)そして一番皮肉なことは小四郎はこれまで「政治に私情を挟むことは絶対に許されない」ということを至上命題にして、それを犯した者は容赦なく粛清してきました。しかし、その根底にあったのは亡きガッキー八重ちゃんの忘れ形見であった泰時という「息子のため」という私情の極み。いや、あるいはそれがあったからこそ、小四郎はその思いを封印して、人間としての情を捨ててでも、そして自分がどんなに闇堕ちしてでも、という覚悟を決める原動力になっていたのです。そしてその建前を捨てた時、ようやく小四郎は自らの執着を捨てたと言えるでしょう。

小四郎「姉上……あれを太郎に」

政子「必ず渡します」

小四郎「姉上……」

政子「ご苦労様でした、小四郎」

第1話がガッキー八重ちゃんの愛息千鶴丸の死から始まった本当の意味。それは「報復が報復を生む」メビウスの環を断ち切ること。ガッキー八重ちゃんが小四郎にとってのヒロインだった意味はこれであったか!とこの最終回にしてようやく分かりました。いや、本当ここはまさに第1回からの終始一貫したテーマだったのですね。そして最終的にこの姉弟は自らの死をもって全てを持っていき、泰時には未来を託したのですね。史実でも政子は弟義時の後を追うように翌年に亡くなります。そこから逆算したドラマとして、これ以上悲しく、そしてこれ以上心に響く最終回はなかった(涙)オグリンが最期のセリフ、それはかつての伊豆の土豪の次男坊だったころの小四郎そのもの。ようやく小四郎は「帰還」できたのでした。エピローグも何も要らない。もう仲の良い姉弟のこのシーンだけで十分です。

 

 

これにて『鎌倉殿の13人』そして最初で最後の大河ドラマ感想記事は終了。最後に総評は来週までにお届けします。