いよいよ終盤まで迫ってきた『鎌倉殿の13人』、これが終わってしまうと果たして大河を見続けられるかな…と自信がなくなってきております。だってこれほどのクオリティを見せつけられて、面白いとあっては果たして来年の作品などはイマイチ食指が動かないもん。何か良くも悪くもビビッと来るものが無いしさ。今回もある意味、大河の王道を行っていました。

先代から引き継いで話の主軸を担う主人公が今度は若い世代の相克に遭う

これはまさに大河あるある。かつてはヤンチャに噛みついていた主人公が今度は若者たちに立ちふさがる壁となる。今回の場合、皮肉が効いているのはあれほど「鎌倉あっての北条」と言っていた小四郎がいつの間にか北条による専制という形で変質してしまい、小四郎「このままでは済まさぬ!」

とか如何に見ても悪役感満載のセリフがあるしさ。どんどん闇堕ちしていくかつての純朴な若者の理想と転落のストーリーと思うと、さあ果たして最後はどんな展開になるのでしょうか。それでは本編感想参ります。なお、今回はちょっと短め、ご容赦ください。

 

〇夢枕に立つ院

前回の和田合戦による悲惨な結末がそれまで傀儡の地位に甘んじていた実朝が遂に自ら政務に立つと覚醒。遂に実質的な最高権力者となった小四郎から「源氏の手に取り戻す!」と宣言します。そしてその実朝が対抗するうえでの切札がこの国の最高権威・後鳥羽院。そんな実朝の夢枕に…

後鳥羽院「私だよ、上皇様だよ♫」

祖父の後白河院同様、鎌倉殿の夢枕に立つ後鳥羽院の幻影。後白河院の時は本体(?)が喋る前の登場だったので、本当に本人が生霊となって枕元に立っているのか、それとも頼朝の願望が生み出した正真正銘の幻影だったのかが判別できなかったのですが、今回は先に本体が登場しているので、一発で実朝の願望が生み出したフランクリー後鳥羽院というのは分かります。だって、もう全然本体と口調が違いすぎるじゃん。やはり、孤独な環境に置かれた頼朝・実朝親子が生み出した自分の脳内で生み出した存在。

小四郎に対する敵意やら、あるいは実朝による上皇様へのジェラシー(意味深)な感情が生み出したやたらと色っぽい尾上松也の仕草とかがそれを証明していると思う(笑)

そんな実朝が協力者として選んだのは他ならぬ意中の人であり、そして小四郎の愛息である北条泰時。北条による専横を打倒するために他ならぬ北条の跡取り息子に頭を下げる。果たしてそれは吉と出るか、凶と出るか。

 

〇鎌倉内で始まった「帝党」と「太子党」対立

かくして自らの意思を持って傀儡の地位を脱しようとする実朝と、自らが政務の第一人者として立ちはだかる小四郎。その最初の鍔迫り合いの第一幕は「農作の不作」を巡る年貢の減免から始まります。将軍家領からでも減免を主張する実朝ですが、それに対して小四郎、ヤマコー義村(前回の和田合戦前の政子からの約束通り、宿老の立場を手に入れたヤマコー義村、抜け目のない男です)、大江広元というトリオが反対論を主張。それに対して「輪番制」という形で他の所領の農民にも順番で入れ替わりに減免することで不公平感をなくすという対案をもって臨む「将軍」党となった泰時。お前はどういう立場でこの場でしているんだと凄むオグリンに対して、

泰時「父上が義理の弟ということだけで頼朝様のお傍にお仕えしたのと同じです。私も鎌倉殿の従兄弟ということでここにおりますが、何か?」

と父の過去を持ち出すことでまんまとやり込めることに成功した泰時。かつて時政親父と何かと意見対立していた時に、本来は庶流の立場に過ぎない小四郎が当主である時政と対抗できていたのは「頼朝の義理の弟」という縁戚関係で頼朝から信頼を得ていたからこそ。その過去を持ち出されては小四郎も黙らざるを得ません。うーん、まさに「かつてのオレ」となったのと同じ。

 野心家の妻のえからいっそのこと、名実共に「執権」として君臨しては?と言われてもどこか躊躇がある小四郎。かつて時政親父が「執権」として権力の私物化を図って追放された、という悪評から忌避していた。実はこれ、小四郎の内心の思いとして重要な要素ですね。この後、詳細を解説します。かくして「執権」の座に就くことで名実共についた小四郎。それを昔ながらの悪友感覚で祝うヤマコー義村。のえとかヤマコーとか小四郎を最高権力者として君臨させ、ついで自らを栄達させることを考えているメンバー。ああ、どんどん小四郎の内心の思いと周囲との認識のギャップが広がっている…

 

かくして、鎌倉内は政権の実務の第一人者となった先のトリオと実朝・泰時、そして三善康信のトリオという派閥が出来上がりました。実はこれ、中華王朝で言う所の

「帝党」と「太子党」の対立構造そのもの

なんですね(ちょっと立ち位置が違いますが)現在の政治権力を握る実質的な君主(帝)と将来の権力者の座が約束されている「太子」、王朝ではこの両者は構造的に対立しやすいものでした。野心家の臣下はそれぞれの仕える君主が権力が強化されることで、自らの栄達を図ろうとする。現時点では「帝」の方が有利ですが、年齢的には「太子」の方がいずれ権力を握る。それぞれの臣下たちが権力をめぐって争う。鎌倉でも現在の実質的権力を握る小四郎と、傀儡の立場となっていた若き実朝が対立する構図が出来上がってきた。一方、尼御台の政子からすれば弟と今や唯一遺された息子の対立は懸念すべきものでした。

そんな政子の下へ訪問するのはかつて京でバチバチ散らせた丹後局でした。頼朝と後白河院、それぞれが歴史に名を遺す政治家に傍でいた伴侶の者同士の交流。未だ、自らは「家族」の妻として生きようとする政子を「権力者」として覚悟を決めろ、と激を飛ばす丹後局。そういえば、鈴木京香さんもかつて『真田丸』の時は天下人の妻・北政所でありながら、「一人の妻」として生きようとして結局激動の権力闘争の中で翻弄されていたことがありましたから、まさに前任者(?)からの激励の言葉。要するに

丹後局「ファミリー仲良くとかそんな市井のオカンのままでは結局誰も守れないんだよ!てめえはもう天下人の後家なんだ!いい加減政治家として気張れ!」

というアドバイスです。言葉は厳しいけど丹後局、やっぱり政子に対して結構色々気遣いしているんですね。これがやがて、「承久の乱」への伏線になるかと思うと、丹後局もまた結構複雑な思いだったのではないでしょうか。そういえば、この2人は沢地君江女史と圭子・シュナイダーだったな。

ここにガッキー八重ちゃんが健在でしたら、完全に『リーガルハイ』女性トリオの再結成だったのになぁ…

 

〇一大ペーシェント・大船建造

そんな中、宋の技術者・陳和卿が鎌倉にやってきたことが波紋を起こしました。実朝を前世における長老の生まれ変わりだと言って涙を流す陳和卿、それが実朝の夢日記の内容と合致していたことから、一気に2人の仲は親密となります。しかし、どう考えても胡散臭すぎる展開で、これはもう裏があるな、と思わせるもの。そして大船建造の上で、宋へ渡航したいという実朝の思いとも合致して、一気に話は進みだします。ここで待ったをかけたのは名探偵泰時の推理。頼朝の落馬時の状況の推理といい、本当に察しが良すぎる。「トリック」のタネは源仲章。事前に実朝の夢日記を見たうえで、陳和卿に仕込めることが可能であったこと。そこから「西の御方」上皇による陰謀の匂いを嗅ぎ取った小四郎は何としてでも阻止しようとします。

うーん、やっぱりこの展開か、和田合戦と言い、「鎌倉での不穏な現象全ては後鳥羽院が裏で糸を引いていた」というのは少しばかり安直すぎやしないか

まあ後鳥羽院としては曲がりなりにも武家貴族の源氏が傀儡となって、卑しい坂東武士の北条が実質的な権力者として差配しているのは身分秩序上、我慢ならんということで、後鳥羽院流の実朝へのバックアップということなのですが、やはりちょっと複雑な思い。

 実朝の京の朝廷への接近を妨げるために政子へ苦言を呈する小四郎。頼朝の時代、朝廷と一体化しないよう一線を引いていたのに、このままでは(かつての平家のように)取り込まれて、坂東武士からの支持を失いかねないと切り出す小四郎。かつて実朝の京との接近とそれに苦言を呈する北条義時、という構図で語られていました。が、これは『吾妻鑑』によって作り上げた曲筆というべきで、実際には頼朝の時代から朝廷との共存が図られており、そして義時も別にそれに反対していたというのは無さそう。この『吾妻鑑』が作り上げたこのイメージそのものがまさに「鶴岡八幡宮事件」が生み出した虚構と言えるでしょう。

 ただ非常に上手いのが小四郎の強権手法そのものが、周囲の理解を得られずに孤立しつつある状況として機能していることです。小四郎と実朝の対立がどんどん深まっていく中で憂慮する政子。どうしたら良いのか、と大江広元に打ち明けます。貴方が自らの判断で決断を下すべきと妙に熱の入った口調で政子に政治家として決断を下すよう訴える広元。自分は単なる「妻」にすぎないと言っても、その「頼朝の妻」であることが重要なのだ、と

大江広元「逃げてはなりませぬ!」

あれほどクールに、そしてストイックにいる大江広元と同一人物とは思えないくらいのパッション満載(笑)。この人も意中の女性の前ではこれほどまでに情熱的になるのか…本当に政子に対しては豹変ですね。これまで二人三脚でいた小四郎に対する完全な裏切りになってしまっていても…

 

〇陸地に乗り上げた大船

かくして実朝の夢を託した大船建造プロジェクトは泰時からフォローを頼まれた八田知家は陳和卿と共に工事責任者として、精力的に活動を開始。本当にこの人、登場当初からの土木建築のプロフェッショナルとして活動していたのは、まさにこのクライマックスでのこれにつながる形だということか、と合点が行きました。陸地に建造している大船を海上へと持っていくために、丸太による船を動かして、引き潮になったタイミングで引っ張ることで進水させる。実朝の夢、そして八田知家がテクノラートとしてのキャリアの最後の夢として精力的に活動開始。

八田知家「若く見えるが…実は貴方とそう変わらない」

三善康信「えっ」

おおっと!ここで史実を知る者、誰もが突っ込むまいと我慢していた八田知家が実はもう三善康信と変わらない70代の老体だということを三谷さん自らぶっちゃけてしまいました!

ガッキー八重ちゃんとオグリンの「幼馴染」プッシュされていたのでツッコミを我慢していたら、「実はこの2人、叔母と甥なんだよ~」という自分から暴露していたのと同じで、時々史実とのギャップさえもネタにしてしまう。それにしてもお前のような筋肉モリモリマッチョマンなジジイがいるか。小林隆と市原隼人が同年代とか腹をよじれて笑ってしまいました。

 さてそんな活気あふれる大船建造現場。しかし、その夜寝静まる波辺に不穏な影。それはトキューサとトウでした。今や、兄の忠実な補佐役として汚れ仕事を請け負うようになったトキューサもまたどんどん闇堕ちしていそう。そしてこの2人がやっていたのはなんと

設計図の数値改竄!これは現代ではむしろ重罪!

これは小四郎にしては随分、姑息にして陰険極まる妨害工作です。政子も実朝も泰時も自分の思うように動かないことに苛立つ小四郎にしては随分とまあ汚い工作に走ったものです。これも小四郎の孤独な状況の表れでしょう。かくして想定より重量のある大船は砂浜に埋まってしまい、動かすことができなくなります。

メフメト2世「もっと、もっと力を入れれば、大船は山をも越えることができる!」

(1453年、東ローマ帝国帝都コンスタンティノープルを攻略戦としたオスマン帝国皇帝で、包囲戦の中で、「戦艦を陸上から搬送して、湾内へと入れる」という奇策をもってした)

という声が聞こえてきそうなくらいで必死に浮かべようと力の限りを尽くします。

八田知家最終形態

そして何故か観覧席から脱ぎだすヤマコー義村

って!ちゃんとここはヤマコーが八田知家らと船を引っ張る絵を用意しないと、「あれ、何でメフィラスは脱いだんんだ?」となっちゃうじゃん。それにしても本来は小四郎一派に属するヤマコーが八田に力を貸すとか、あれかなプロテイン肉体を持つ者同士の共感かな?いずれにせよそんな男たちの熱情も空しく、結局大船建造は失敗に終わりました。

 史実で行くと、やはりいくら陳和卿という技術者がいようと、平家のような本格的な水軍運用ノウハウを持たぬ鎌倉がいきなり大船なんて建造しようとして失敗した、というのが私の分析。本来なら、船を建造するにはそれ相応の設備と地理的要件が必要なんですが、そこら辺に無頓着だったのが失敗の原因ではないかと、後に泰時の時代には港湾整備の整備を行い、ようやく鎌倉には船を入れるだけのインフラ設備が整うことで水運運用ができるようになりました。やはりインフラとセットでないと、船はできないのだよ。

 

〇どんどん権力の闇に堕ちていく小四郎と解放された時政

そして、気落ちする実朝を励まし、彼が政治家として大成できるために、政治家として動き出した政子。母子が用意したのは実朝の後継者に京から養子として、高貴な血筋の者を迎える、というもの。京との距離を置きたい小四郎には断固として受け入れられない内容です。本来なら源氏による血統こそが鎌倉殿の要件として、強く主張する小四郎に対して、「誰が決めた?いつ?法律として決まっているの?」と痛い所を突く実朝。武士の頂にたつ「鎌倉殿」が朝廷の人間が立つなど言語道断と反対しますが、そこへ待っていたのは政子や泰時による手痛い反撃でした。

小四郎「鎌倉殿は源氏と北条の血を引く者が務めてきました。これからもそうあるべきです」

語るに落ちるとはこのこと。北条が今、権力者として権勢を誇っていられるのはまさに源氏との縁戚関係であるが故。それが失われてしまえば、もはやその権勢を保証する正統性が失われる。かつて比企能員を騙し討ちという形で討ち取ったのもまさに北条との関係が薄い一幡に鎌倉殿の座を渡したくないが故に。その利己性を深くえぐったのは政子と泰時でした。

かつて「鎌倉あっての北条」と言っていた小四郎が今や、権力者として地位を守らんとすればするほど周囲の反発が高まっていき、遂には政子や泰時からもダメ出しされてしまいました。

泰時「鎌倉は父上一人のものではない!」

かつて権力を手放すまいと専横の限りを尽くしていた時政親父とそれを諫める関係にあった小四郎。その親子の相克が再び繰り返すことになる皮肉と、「新世界」のBGM。今や、時政親父と同じ道をたどりつつあるという皮肉。ああ、権力者の座につくことでどんどん小四郎は深みへと嵌っていきます。

 

一方でこちらは完全な漂白された時政親父。伊豆に追放され、かつてのような素朴な田舎生活を過ごし、すっかり元の「気の良いオッサン」へと戻れた時政親父。訪れたのは他ならぬ父親を追放した小四郎からの言われて訪れた孫の泰時でした。すっかりじゅじつした生活に戻れ、むしろ生き生きとしている時政親父。りくさんは京へと帰ってしまいましたが、今では面倒見てくれる女性がいることで不幸なことはない。スローライフを送る時政親父。かつて多くの者を生命を奪う罪を負った男のそれとは思えないくらい幸せな老後の生活を送り、少なくとも「権力の座にあることが幸せなのか?」と考えてしまう複雑な展開。息子に追放された父親はむしろそれによって身の丈に合った生活の余韻に味わい、一方の息子はというと何としても権力を守らんとするために奮闘すればするほどどんどん孤独へとなっていくその皮肉こそが、三谷さんが描きたかったことなのでしょう。

 ただ、小四郎ばかりが「悪」として視聴者からもヘイトを浴びるのは可哀想。小四郎としては、頼朝の、そして兄宗時の遺志を引き継ぎ、その理想を守るためには坂東武士を束ねるために強権的にふるまわなければならなかった。いわば「革命の護持者」として振舞うためにはどうしても「独裁者」になる必要があったのです。彼のような立場に置かれた者の辛いところは

「彼には『手本となるべき前例』がなかった」

ということに尽きます。当然、誰も彼もが自己主張する中においては誰かがそれを強権的な権力者として統制せねばならない。それが結果として、周囲には「権力を欲しいままにする独裁者」として非難されるのです。その意味では義時が被っている悪評もまた同じようなものでしょう。フランス革命のロベスピエール、明治維新の大久保利通…彼らはいずれも「独裁者」として非難されますが、彼らは個人的な栄達や権力行使を求めてのものではなかったし、世襲とは馴染まない必要悪のようなものということは特筆しておきたい。歴史は時には強権的な体制でいかないと回らない時がある。もちろん、気を付けねばならないのは自らの私益や縁故関係を求める三流の政治家と同一視すべきでないということです。独裁そのものは「全否定すべき悪」ではない。小四郎もまた自ら権勢を望んでいたわけではない。ただ、その「武士の世」という「革命」を護持せんとする余りに悪評を被ることになってしまった。小四郎の悲劇はそれが周囲の理解を得られず、姉からも息子からも孤立してしまうあまりにも理不尽な人生ドラマであったと言えるでしょう。