遂に因縁浅からぬ敵・瘴肝を初の自らが大将としての初陣で討ち取った時行くん。そしてその後にはこの時代を描くにあたっては避けられない描写が存在します。残念ながら、大河ドラマではコンプラが進んだせいか茶の間に「生首」が登場するのは避けられます。『鎌倉殿』でさえ、結構↓これでも結構「踏み込んだ」描写なのが少しばかり寂しい…というのは少しばかり私が

グロ系な性分からでしょうか。その点、本作は真正面から首チョンパ、でもそれでいて決して「残虐」とは言わせない当時のやむを得ざる事情もキチンと踏まえているのが非常に評価したいですそれでは本編感想参ります。

 

〇首=本人証明

遂に敵将・瘴肝を討ち取った時行くん。彼にしてみれば、多くの無辜の民衆を虐殺し、子供を売り飛ばした悪漢ではありましたが、同時に彼から色々教わったのも事実。今はこうして手を合わせて弔うことのできる慈悲深さも兼ね備えるようになっていました。

マジでできた子・時行くん

そこへ吹雪から突き付けられたのはこの時代の容赦ない現実。何とかそのままにしておいてやれないかと、言うのですが、もちろん吹雪が述べたのはこの時代のリアリズムでした。今も上では弧次郎らと征蟻党が今も命を取り合う激しい戦いをしている。その戦闘を終わらせるには大将である瘴肝の首が必要であること。

吹雪「一人でも無駄死にを減らす事は我が君にとって本意では?」

吹雪もまた時行くんに教えるのは軍略だけではない、この時代の常識そのものです。彼らが生きる武士の世とはそういう容赦ないものでもあるのです。その吹雪の正論と自分が掛けた言葉が単なる憐憫であり、大局を見据えた台詞でなかったことを噛みしめながら、時行くんは決断します。

解説「敵の首を取ることは中世においては残虐行為にはあたらない」

本作での「首=本人証明」の手段として描かれたのは結構斬新な思いでした。もちろん当時にあって「首」=「恩賞の引換券」のようなものであったのですが、「なるほど言われてみれば確かにそうだな」という視点も確かにその通りです。ここら辺は上手く落としどころをつけたな…と。「首を晒す」という行為もそれでしか「〇〇を討ち取った」ことを証明できないから。例えば、本能寺の変の時には明智光秀は信長の首を確保することが出来ず、それゆえにサルに「信長様は生きている」というデマ情報に晒されることになりました。その意味では信長の首を確保できなかったことが結果論として、光秀の謀反失敗の遠因となった可能性は否定できない。逆に信長が自分の遺骸を炎の中に隠すことで光秀に最大限の復讐を果たした…と言えるかもしれません。


大将の首が掲げられたことで、戦意を喪失し、投降する征蟻党の兵士たち。荒くれものの彼らがこうして瘴肝の首を見せられた途端に号泣するその姿からも瘴肝が士心を得た証。兵糧は確保したうえで武装を解除させ、解き放つ。吹雪がテキパキと戦後処理を行い、なおかつ時行くんの意を汲む見事な解決で戦闘を終了させました。もちろん若の初勝利を喜ぶのは逃若党の面々。弧次郎としては若の相方を務められなかったのが残念ですが、これは仕方ない。吹雪の武芸はチートすぎるだけですからね。

 そして鎌倉党の党首である三浦八郎もまたこの戦いで「長寿丸」という稚児への評価を改めていました。

まあこの後に彼には更に恐ろしすぎる衝撃が待っているのですがね

「頼重の寵愛深い稚児」としか見ておらず(まあやはり傍目には「寵童」にしか見えないのよね)、不貞腐れていた三浦八郎らもこの戦いを通じて、時行くんへの信頼を高めた模様です。

時行くん「もう鼻の穴をほじりませんか?」

三浦八郎「ああ、お前が我々の心の鼻の穴を埋めてくれた!」

弧次郎「なんだよ、心の鼻の穴って」

コイツ、どんだけ鼻の穴に拘るのよ(笑)

 

〇小笠原貞宗の信頼

さてその頃、本隊ともいうべき小笠原貞宗は未だ瘴肝の戦死を知らずにいました。しかし、他ならぬ彼のダイイング・メッセージで事態を悟ることになります。自らの戦死を予期していた彼はキチンとした言伝を書いていました。自軍の伝令が来ないという事態をもって自らの戦死と判断して、国司軍と合流するよう提言。更には自らに付き従っていた征蟻党の郎党たちの再雇用も…彼らとてキチンとした管理をし、適切な保障を与えれば、賊であった頃のことを忘れて、真っ当な武士として更生できると。彼が郎党たちの狼藉を自らの威をもって抑え込みつつ、キチンとした管理でもって更生させようとしていたこと…そして最後には自らを拾ってくれた貞宗に対する感謝の気持ちが綴られていたのです


小笠原貞宗「…瘴肝…貴様は賊としても武士としても生真面目すぎたわ。世渡りを教える前に死におって」

やだ…瘴肝も貞宗もカッコよすぎて泣けてきます。

きちんと瘴肝の素質を見抜いて更生させ、こうして信頼深い武将として期待していたであろう貞宗の期待と悲しみがこれだけで伝わってきます。いずれにせよ、そこは歴戦の将、すぐさま信頼した彼の提言通りに国司軍との合流を優先させ、彼もまた諏訪との戦いに備えるのでした。

 

〇諏訪神党、起つ!

さてその頃、まずは挙兵の先駆けとなった信濃北部川中島で保科党と四宮党が貞宗の同盟者兼恋人の市河助房と対戦中。史実においては市河も他ならぬ「諏訪神党」の一員であることを考えるとこの対戦も色々と奥が深そうです。流石に貞宗からも信頼されるだけあって、彼もまた危険で有能な敵。保科・四宮らも退却、しかし千曲川まで来たところで諏訪神党の三大将と衝突。

ちなみにこの戦いはキチンとした史実を踏まえたもので建武2年(1335)7月14日に起きた信濃北部での「千曲川沿岸合戦」をモデルにしたものと思われます。史実でも保科・四宮らが信濃守護所のある船山郷青沼を攻め寄せ、市河らの軍勢によって撃退されたことが記録に残っています。その後、八幡原(長野県千曲市)や篠井河原(長野市)などで一週間に及ぶ激しい戦闘になったこと。

 

三大将自らが率いる諏訪神党、2年にわたる建武政権側の冷遇・迫害・苛政とそれゆえに諏訪明神様による決起に備えて、怒りをため込んだエネルギーが遂に爆発。山深く囲まれた信濃の民はそれ故に独立意識が非常に強く、その強かさは戦国でもいかんなく発揮されています。「中先代の乱」はまさに彼らの闘争心を大爆発するきっかけとなって、後醍醐帝の天下を大きく揺るがすことになったのでした。


そして諏訪本陣においては頼重さんが帰還した時行くんを出迎えていました。見事に敵将を討ち取る初陣を飾った時行くんの成長が嬉しくてたまらない頼重さんとその頼重さんから褒められてそれが何よりも喜びに感じている時行くん。ああ、やはり尊い…

さてその頃の戦況はというと…北では市河助房を三大将が拘束し、一方の諏訪本軍はというと小笠原貞宗と国司軍が対峙。今までのような小競り合いの局地戦とはわけが違います。双方が千単位の軍勢を集めての今までにない大規模な戦い。しかし頼重さんには早期に決着をつける必要がありました。信濃一国に留まらない時行くんによる天下を奪回するための大戦。なんとしても短期で決着しなければならない。とはいえ、貞宗はもちろん強敵。戦って勝てるかどうかは流動的である。そしてここで遂に

頼重さん「自信は無いですが、私が出る以上不可能はありませぬ。

何せ私…神様でございますから」

遂に戦の現人神である頼重さんが起つ!!