先週、友人からご紹介にあった書籍を読書する機会がありました。

講談社ブルーバックスの『日本史サイエンス』(播田安弘著)

「科学」の観点から日本史の歴史的な出来事を述べるという内容で、第1章の元寇、第2章の秀吉の「中国大返し」までは結構詳細な数字と科学を用いたりして、「ふんふんなるほど」という風に結構面白く読んでいました。しかし、第3章で一気に氷点下まで一気に体感温度が冷え切った思いがしました。有体に申せば

①木を見て森を見ず(科学ばかりに視点を置きすぎて、政治や経済要素をガン無視)

②カタログスペックのみで兵器の優劣を競う

というこの手の書籍で一番懸念していた内容が見事に的中してしまったからです。第3章のタイトルそのものが

戦艦大和は「無用の長物」だったのか

もうこのタイトルの時点で、地雷臭がプンプン匂ってきましたし、実際にその通りの地雷を踏みぬく結果となりました。それにしても第1章との落差があまりにもひどく、これが同じ著者が書いたのか…と呆然という思いがしたからです。実際、この章で著者の主張をご紹介すると

大和をつくったこと自体は、決して明らかな間違いではなかったと思われます。

当時の日本海軍の基本戦略はアウトレンジ戦法であり、あらかじめ敵の戦力を削っておいてから最後は大和を主体とする艦隊決戦を挑んで勝利するというものでした

世界最大の大和は、ただの飛車ではなかったはずです。飛車がさらに強力になった盤上最強の駒、竜王こそたとえるにふさわしいでしょう。これを使いきれず、むざむざと後方に置きつづけて遊び駒にしてしまったことが、海軍の大きな罪だったのです

典型的な戦艦大和は世界最強!!論そのものですね。著者が主張したかったのは大和のような戦艦群がもっと前面に出ていれば、獅子奮迅の活躍ができ、もっと「戦果」を挙げられた。その主張自体は目新しくもなんともない昔ながらの「戦艦同士の主力決戦だったら、米海軍に勝てた」という帝国海軍関係者の戦後の主張そのままです。(流石に著者も「勝てた」とまではいわず「もっと戦果があったはず」という主張でした。そりゃそうです。数字を並べれば並べるほど勝てる要素が見当たらないんですから)それにしても令和の世になってもこういう考え方が新書で登場するというのもこの手の考えが如何に根深く残っているか、という点は非常に良く分かってきました。そんなわけで今回は

本ブログ開設以来初のWWⅡアジア太平洋戦争のテーマ記事

普段は欧州戦ばかりに言及している私ですが、一応これでも地球の反対側の戦史も習ってきたので、こういうのを書く情熱が湧いてきたという意味では非常に本書の意義は大きかったと思います。

 

1.経済的に見た場合の「戦艦大和」という巨大金食い虫

『サイエンス日本史』でも書かれている通り、戦艦大和(正確には2番艦武蔵との2隻で)は国家予算の3%という主張がなされています。この数字は昭和12年度の予算55億円(注:以下に出す数字についてはおよその概算で出しています)からきているものと思われますが、実はこれには数字による錯覚があります。昭和12年というと日中戦争開戦の年であり、急遽臨時軍事費特別会計が編成され、その額は20億2200万円、一般歳出は、追加(補正)予算を含めて34億8900万円であり、なんと実際には国家予算の実質的には1割もの費やしていたのです。ちなみにこの年における日本の歳入は、税収などの一般財源では13億円、その他収益なども含めても19億円にすぎません。つまり本来の国家の歳入から言えば、

15%が2隻の戦艦に投入されたのです。

 また大和の無駄はそれだけではありません。大和は停泊しているだけでも1日60トンもの重油を消費する存在でした。停泊しているだけでもこれだけの量を消費しているのであり、出撃すればその消費量は想像だにするに恐ろしくなります。60トンといえば、駆逐艦では800キロも航行できる量であり、この数字を並べ立ててみれば、「竜王」を前に押し出すとか空想事でしかありません。何でもっと大和などを前面に押し立てていかなかったか?理由は簡単で、当時の帝国海軍にはこの巨大戦艦を運用するだけの国力も経済力もなかっただけの話なのです。それにしても「中国大返し」ではあれだけ兵士の食料消費量まで計算式に入れてまで「補給」に関して強調されていたのに…

  あと『海上護衛戦』における大井篤氏の言葉が印象的です。戦艦大和が沖縄への「特攻」を行うために当時まだ日本に残された貴重な重油が消費され、更にはシーレーン防衛を担う護衛艦隊への燃料がカットされる事態を生み出しました。「大和に死に場所を与える」という軍事的ロマンティシズム(別名:自分たちの無能を美化するための虚飾)の発露のためだけに軍事上なんら益の無い行為が行われ、本当の意味での戦争遂行に支障をきたすという本末転倒に海上護衛戦司令部参謀の大井氏は叫んだ言葉が有名です。

「国を挙げての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ。馬鹿野郎」

既に当時、常識となりつつあったシーレーン防衛の要素をガン無視した都合の良い艦隊決戦による勝利など机上の空論以外の何物でもないでしょう。結果論の観点になりますが、大和・武蔵などは早期に処分して、その分の燃料を駆逐艦群に投入した方がまだしもマシな戦争ができていたかもしれません。

 

2、「世界最強の戦艦」の実力;サマール沖海戦の場合

そして著者が主張するような「世界最強の戦艦」の実力を測るにうってつけの戦いをご紹介します。1944年10月25日のサマール沖海戦、有名なレイテ沖海戦の一環として行われた開戦で太平洋戦争最後にして最大の昼間砲撃戦となった海戦でした。そして著者があれほど特筆大書した「世界最強の戦艦」の主砲が火を噴いた戦い…のはずですが、同書ではまったくスルーされてしまったのは何故でしょうね。レイテ湾に向かって進撃する日本海軍第一遊撃部隊(栗田艦隊)は米海軍護衛空母部隊1群と早朝の海で遭遇し、2時間以上の砲雷撃戦を繰り広げました戦いで戦力の内訳は以下の通り

日本軍

戦艦「大和」他4隻、重巡6隻、軽巡2隻、駆逐艦11隻 合計23隻

米軍

護衛空母6隻、駆逐艦3隻、護衛駆逐艦4隻 合計13隻

単純に艦艇数で優っているだけでなく、砲撃能力でもどちらが圧倒的有利か一目瞭然ですね。戦闘の結果の両軍の損失はというと

米軍

護衛空母1隻撃沈2隻撃破、駆逐艦3隻撃沈2隻撃破

日本軍

重巡3隻喪失、重巡1隻大破

当日はスコールと呼ばれる嵐に遭遇されたこと、また航空攻撃などの悪条件があったとはいえ、昼間における戦闘でこれだけだったのです。また実際には戦艦群については主砲の命中率は2%強、大和と長門の2隻に至っては主砲の命中率に至ってはゼロ、これだけ優勢な戦力差と距離30キロという手ごろな砲戦距離をもってしても命中しなかったわけです。これを考えれば、アウトレンジによる日本海軍の一方的撃破などというのがどれだけ疑わしいかがこれだけでもわかります。またかくも戦果が少なかった理由としては日本艦隊が、相手を主力空母部隊と誤認して、強力な徹甲弾を発射したために逆に協力過ぎて、装甲の薄い護衛空母や駆逐艦はむしろ貫通して損害を与えられなかったのです。当時の日本海軍は敵艦種の識別能力や、艦種に応じた弾種選択ができず、砲戦能力においては日本海軍の優位など机上の空論にすぎなかったのです。またダメージコントロール能力においても両軍の能力差は歴然であり

単なるカタログスペックでは測れない総合力面での能力差。

 

結局のところ、戦艦大和が実戦にもっと投入されていたら、戦果を上げられていたか?と聞かれたら、このサマール沖海戦を見ても厳しいよねとしか言いようがないのです。

 

 

3.戦艦大和の総決算

最後に著者は大和の存在が後の日本の造船能力の発展の礎になったという評価がされています。これについてはその可否は正確に判断するのは難しいのですが、大和でなければならなかった理由とするには難しいなというのが正直なところです。それこそ、「大型空母」ではダメなんですか?

 

結局、戦艦大和というのは国家予算の1割近くを消費して建造されたにもかかわらず、それを運用する能力もないまま存在し、何ら戦果を上げられず、挙句軍事上まったく意味のない作戦に投入されて2742人もの貴重な人命を失わせるにいたったのです。もし、これを美化しているようでは今後も費用を食うだけの巨大なハコモノが次々と無くならないよなぁ。未だに大和に軍事的ロマンティシズムを感じるようでは同じ愚行は何度でも繰り返されるでしょう。「大和は造るべきではなかった」という合理的思考に至るときこそ、日本人が本当の意味での先の敗戦を反省・総括できるときと言えるでしょう。最後に銀英伝でのこの言葉を贈りたいと思います。

 

「金銭はともかく、人命以上に尊重すべきものとは何だ!」

 

 

今回の参考図書です。

日本では太平洋戦争に関する書籍は多々あれど、本当の意味での参考になる書籍というのは少ないものです。同書では巷間あふれる「日本海軍は世界最強!」だとか「こうすれば勝てたのに…」とかが全て砂上の楼閣にすぎないということをそれこそ数字を用いて実に論理的に解説されていて、本当におススメ。