今回は加賀・越中国境の城をめぐり、日帰りで帰宅する計画を立てました。そのためには前夜に福井への最終列車に乗車して、福井を朝一番に出発するというもの。もっとも朝一番に出発するのはかなりシンドイ話で、出発するのが遅くなってしまい、最初の始発列車を逃す羽目に。
結局、特急「ダイナスター」に乗車して金沢まで向かうことになりました。
金沢からは第三セクター鉄道IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道線に乗車。今ではすっかり様変わりしている旧北陸本線
高岡駅にて下車。かつての古い駅舎から今ではすっかり真新しい駅舎へとなっていました。
大伴家持像
ここからは城端線に乗車して、一路城端まで。北陸本線は北陸新幹線開通に伴い、JR西日本から経営移管しましたが、枝線はJR西日本のままという歪な状態。幸い通勤・通学の流れとは真逆であったためか、車内は余裕で席に座れました。
北陸新幹線の接続駅・新高岡駅。新幹線駅は高岡駅とは離れた距離にあるために設けられた新駅で、城端線ではここだけicocaが使えます。
終着駅の城端駅に到着
 
城端は越中の「小京都」と呼ばれる古い町並みで、駅舎内には観光案内所にて色々な案内がなされています。ここから目的地の上見城まではレンタサイクルを利用。実は城端線利用者には無料というありがたい特典がありました。公共交通機関利用者にとってこれほどありがたい話はありません。もっとも上見城の場所については地元の案内所の方も分からないという答え。事前に地図チェックは忘れずに!
山田川沿いをまっすぐ南下していくと神社のところで左折。
 
上見城の登城口にはきちんと案内板も設置されており、比較的よく整備されているのが分かります。問題は城までの案内が一切ないのでアクセスが難しい。ここを訪問するときは事前に本当に地図が要ります。
歩いて10分ほど登れば城跡到着
井戸跡
上見城は四方数十メートルくらいの小規模な城郭。中心部は非常に歩きやすい
 
周囲を覆う土塁
2曲輪
このように土塁や曲輪跡は比較的奇麗に整備されており、遺構の観察も容易なので無名の城ながらも地元愛も感じられました。問題は南砺市自治体の観光スポットから外れていること。勿体ないなぁと思うことしきりでした。
よく見ると虎口跡が残っていました。
上見城のある丘
背後には飛騨山脈が聳えます。ここ城端は五箇山合掌造り集落への道へとつながっているのです。
城端の観光スポットでも善徳寺
真宗大谷派の寺院であり、城端はもともとこの寺院の門前町として栄えた町でありました。
今でも随所に格子戸の町屋や石畳の通りがあるなど、昔ながらの街並みを見ることができます。
 
さて、ここからが旅の本題、実は今回の旅で私が一番楽しみにしていたのは観光列車乗車
城端線・氷見線の沿線の観光振興のためにキハ47系を改造した観光列車
ベル・モンターニュ・エ・メール略して「べるもんた」
高岡を起点に走る2つのローカル線城端線と氷見線はそれぞれ山と海の双方の自然車窓風景が見所。そこで「美しい山と海」を意味するフランス語がつけられたものです。
観光列車ですが、必要なのは座席指定券520円と乗車券のみというリーズナブルな列車
 
土曜日が城端線、日曜日が氷見線に交互に走るので、城端線に乗車できるのは土曜日のみ
車内は非常に沿線の伝統攻撃品である「井波彫刻」「高岡銅器」をイメージした装飾物がつけられ、非常に乗っているだけでたのしくなれそうな車内です(笑)
 
 
 
車内においてはすし職人が乗車して、すしを握ったり、富山の食材を利用した食事もとれます。私は富山のお酒を注文。日本酒を飲みながら、車窓を楽しみます。
 
沿線では地元の方がこの列車が走るときの「おもてなし」として手を振ってくれていました。
1時間ほどの旅のすえに高岡駅到着
それでは次の目的地に向かいます。
 
〇飛騨への入り口
上見城の歴史は、天正年間に篠村太左衛門が居城していたとされています。近世に編まれた加賀藩士富田景周の『三州誌古城考』に「南北四十里、東西十七間、生北東は深谷、南は山と接す。天正年間篠村太左衛門拠る」というのがその転居です。上見の地名の初見は南北朝時代に南朝の綸旨で、新田義貞が越前金ヶ崎で挙兵した際に越後の新田党が援軍として赴く途中に越中新川で北朝側の軍勢を打ち破り、その中の武士の一人である滝口蔵人が「上津見」を安堵されたとのことから、これが上見の地名の初見です。
歴史的には無名に近い越中の国人領主の城ですが、それでも奇麗に整備されており、おススメしやすいスポットです。
 
〇アクセス
JR城端線城端駅からレンタサイクル(1日1000円)で15分で登城口そこから5分で主郭
 
「上見城に狼煙が一本・・・」