門屋城から再び西明寺駅に戻り、次なる角館行き列車まで1時間をこの田舎の集落にある無人駅で待っていましたら、再び列車がやってい参りました。
最後まで田んぼアートの風景が秋田内陸循環鉄道の車窓から見れます。
やがて隣からJR田沢湖線(秋田新幹線)のレールが見えてまいり、
無事角館駅に到着
流石に秋田有数の観光スポットだけあって、観光関連の施設は充実しております。一番手ごろなのは駅前1分の所にあるレンタサイクル店。2時間300円というリーズナブルな料金で利用でき、目的地の角館の街並みまでは自転車で15分ほど
角館の街を見下ろす古城山、目的地の角館城はあの山頂にありました。
ここが「角館」で有名な「しだれ桜の武家屋敷街」
今は青々とした葉が生い茂る緑ですが、これが4月になると一面満開桜が舞い散ります。
随所に昔ながらの武家屋敷が残り、いまも現役住居として、そして見学用として
門戸は開放されています。
古城山公園入口
ここからは砂利道で坂道になりますので、自転車で上がる時はご注意を!
古城山公園案内図
どうも公園という割には残っているのは少なく、草が生い茂っていました。
曲輪跡
本丸はこの上にあります。
ここから見下ろす角館の街並み
一面草木が生い茂り、公園の割にはかなり雑草を切り開きながらの進軍となりました。
虎口跡
やがて一面が開かれた本丸跡に到着しました。
姥杉と呼ばれる大木
今ではかつて城跡を偲ばせるのはポツンとたつ石碑くらいでしょうか
いえ、土塁跡と
これも遺構かな?
まあ残念ながら角館城はそれほど整備がされておらず、未だ発掘調査も全域でなされているわけではないようです。
元々、ここは門屋城の方向から流れている桧木内川と東方から合流する雄物川が天然の堀の役割を果たし、それほど城の防備は重視されなかった印象っぽい。
ここからは角館武家屋敷内の観光を開始
一番のメジャーなのは「青柳家」
ここには職員が常駐し、色々書籍資料や案内もあるので一番良いです、
屋敷内
古き武家屋敷らしい趣を残し、あちこちが見どころ目白押し
蔵
『解体新書』関連の展示
そういえば『風雲児』でも述べられた通り、『解体新書』の絵師はここの出身だったんだなぁ…
夕方で多くの店が閉まっていましたが、唯一OPENしていた食堂で山の幸うどんを食し、秋田の観光旅行は終了。これにて秋田県域は全て回ることができました。この日はこの後角館~盛岡~八戸~青森~弘前までの6時間に及ぶ普通列車の旅となりました。
〇芦名氏終焉の地
城の歴史は「戸沢家家譜」によるかぎり、室町時代の応永三十一年(1424)に角館城主であった菅利邦を戸沢家盛が攻め落とし、それまで本拠としていた門屋城から移転したというのが一番最古の記録です。その後、戦国時代に天正十八年(1590)戸沢光盛は豊臣秀吉より本領安堵を受けましたが、その際に角館城を除く戸沢三五館を破却されることとなtり、その領域は現在の仙北市・大仙市・と横手市に及ぶ北秋田の領域を統治する大名となりました。その後、光盛の後継者である政盛が常陸→最終的に新庄(山形県新庄市)に移り、近世大名として山形にて命脈を保つことになりました。
その後、角館氏には長らく会津を統治していた大名である芦名盛重が実兄の佐竹義宣と共に国替えでこの地に移り、城代となりました。芦名氏の下で現在の角館の城下町が整備されることとなります。その後、角館城は一国一城令により破却。芦名氏の血脈は途絶え、その後は佐竹氏の分家である佐竹北家が統治されることとなり、明治維新まで続きました。戊辰戦争では久保田藩は奥羽越列藩同盟軍の侵攻を受け、多くの秋田の街が戦火で消失しましたが、ここ角館は幸いにして戦火を免れ、現在に町並みを残しています。そして角館城跡は現在も古城山公園として親しまれるスポットとなっています。
〇アクセス
JR田沢湖線(秋田新幹線)角館駅からレンタサイクル20分