〇登坂の先に見える城と城下町
北九州の旅の3日目、豊前高田城の次に目指したのは杵築城。ここ杵築は良い雰囲気で城下町の街並みが残され、観光地として見てもオススメです。
JR日豊本線で宇佐から
杵築まで向かいます。
杵築駅到着
駅舎は陣屋風、内部には観光案内所もあり、観光情報アクセスも充実していました。ここからバスで杵築市街まで向かいます。
ただし、1時間に1本なので事前にきちんと計画を立てておく必要があり。
城山公園入口
空堀跡の階段を登り、
神社境内から杵築城模擬天守が見えてまいりました。杵築城は八坂川河口沿いに位置し、三方が海と川に囲まれた要害の城
復元となる塀
史跡内はこの時、発掘調査中。杵築城は近年、復元整備に向けた調査が進められています。
模擬天守閣
この辺の石垣は古いもので、かつての杵築城の遺構の数少ない現存です。
 
 
鉄筋コンクリート造の天守閣
杵築城は近世には麓の御殿が中心であったので、当然天守はありませんでした。現在は資料館として機能しています。
天守最上階から見た豊後水道の海
 
 
この資料館の最大の目玉は石田正澄の兜(と伝わっています)正澄とはもちろん石田三成の実兄、何で九州にこれが残っているかというと、関ケ原合戦の後、宮部豊景(宮部継潤の次男)が佐和山城攻めの徳川軍に属し、正澄を討ち取ったことから下賜されたのが由来。その後、宮部家が杵築城主の能見松平氏に仕官したことから、現在に至ります。
 
ちょっと雨上がりで靄がかかっていますが、河口沿いの海の眺め
 
 
 
 
 
杵築の特色は何といってもこの古い城下町の街並み
ここは武家屋敷街
大原邸
 
杵築の城下町の特徴はV字型の地形で両側に武家屋敷街、そして「底」に当たる部分に商人街となっている構造です。現在でも様々な商店が立ち並んでいます。
 
 
こうしてみると本当にアスファルト道路を除けば、江戸時代の城下町の空気がそのまま保存されたかのような街です。ここは城廻だけでなくても来てみたいですね。
 
〇二度の城攻めも落城しなかった「勝山」城
14世紀末、室町時代中期、木付頼直が現在の台山周辺に城を築城したのが、はじまりです。この場所は瀬戸内海西端と九州の東を結ぶ窓口としての立地が注目されたためと言われています。この城は一時天正15年(1587)に島津勢が二か月にわたって攻めますが、撃退。この戦いで落城しなかった城として「勝山城」という名前を付けられました。その後、文禄2年(1593)文禄の役で主家である大友氏が改易となると、木付氏も滅亡。その後、豊後国は豊臣家の蔵入地や豊臣家臣の大名が細切れに入封う。杵築城もしばしば城主が交代します。
関ケ原合戦時に杵築城は細川家の飛び地となったことで西軍方の総攻撃に遭います。九州で明確な東軍方は中津の黒田、熊本の加藤、と細川のみ、そのため、毛利輝元の支援で旧領回復を目指す大友吉統はここ杵築城を攻め、この木付一帯は九州における関ケ原戦役最大の激戦地となったのです。この時、中津にいた長政の父・官兵衛も加藤清正も救援に出陣。かくして九州の天下分け目の合戦である
「石垣原の戦い」の前哨戦として戦われたのでした。関ケ原合戦後に細川忠興はここ木付に家臣の中で別格の重臣松井康之を城主に配置。このときに城の改修及び城下町の整備が行われたのでした。しかし元和の一国一城令で廃城となり、その後、江戸時代前期に徳川譜代の能見松平氏が3万7千国の大名として入封。この時、杵築城の機能は麓の御殿部分に移されたのでした。なお珍事として、1712年の時に将軍からの朱印状が「木付(きつき)」と書くべきところを「杵築」を誤記してしまったことから以降、「杵築」の表記となったという経緯があります。

〇アクセス
 
JR日豊本線杵築駅から国東観光バスで「杵築バスターミナル」行で約10分(290円)徒歩20分で本丸
杵築城資料館 
開館時間 09:00~17:00(年中無休)
入館料400円
 
「杵築城に狼煙が一本・・・」