『ナポレオン 覇道進撃』も気が付いてみれば5巻目、まだまだこれからも続く長い長い戦いの幕開けとなるこの巻、その表紙を飾るのは

 

ホレーショ・ネルソン

『覇道進撃』でフランス以外の異国人が単独で表紙を飾るのは後にも先にもこのネルソンだけであり(注:17巻でナポレオンと並ぶ形でロシア皇帝アレクサンドル帝とプロシアのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世が登場しました)、それだけやはりナポレオンにとって彼の存在が大きいという証でもありましょう。『銀河英雄伝説』でいえば、ローエングラム王朝におけるヤン・ウェンリーみたいなものでしょうか。何しろこの巻ではあの有名な「トラファルガー海戦」が満を持して描かれますから。本作、陸上の戦闘描写も秀逸ですが、何と言っても海戦の迫力が最もクオリティ高いものに仕上がっています。そして単なるスペクタル溢れる戦いだけでなく、そのあと見るものも鬱になるようなエグすぎる展開も実に本作らしいといえましょう。それでは今回の感想に参ります。

 

 〇指揮と統制のバランス

アバンは本作では恒例のグロテスク絵がビッシリ!多数の首つり死体とそれにたかる大量のハエが実にリアルに描かれています。この大量の首つり死体は何かと言うと

ダヴー元帥「死刑!!」

訓練に厳格なスルトに対して、ダヴ―が厳しいの軍律、少しでも軍律を破った者に対しては厳罰を与えていたのでした。今もまた違反者に対して容赦なく死刑を宣言し、必死に自分の存在をアピールしていたのですが、「酒場の用心棒をして喧嘩には強い」という兵士に対して

ダヴ―「生憎だな、優秀な兵とはよき夫・よき父親・良き市民がなれるものだ。貴様のような裏社会のクズはケンカが強くしても戦場では役に立たん」

と言うや否や容赦なく絞首刑にかけたのでした。最後の台詞がなかなか皮肉が効いていましたね~それにしても東洋では「良い鉄は釘にせず、良い人間は兵士にならず」という価値観とは全く異なるもので、まさに「近代」へと時代が突入していったことの証左でもありますね。

 さてそんなこんなで司令部周辺が首つり死体だらけという一種の異様な光景が広がるダヴ―に戦々恐々に兵士たち。ここでの会話で言及される通り「士気と規律」これは軍隊にとってはどっちも必要不可欠な要素であり、どちらもバランスを取って高くしておかねばなりません。軍律に厳しいだけでは駄目、かといって兵士たちの士気を向上させようと略奪などを許せば

「軍隊ってのは一度略奪を許すと弱くなるんだよ。兵士たちが戦いそっちのけで得物を探すようになっちまうからな。規律がなけりゃ只の群盗だ」

という台詞にある通り、一度規律を失った軍隊ほど脆いものはないのは歴史が証明しています。この辺、ダヴーは軍律には非常に厳しいものがありましたが、単にそれだけではなくしっかり兵士たちの補給と給養には十分配慮してまさにこのバランスを保っていたといえるでしょう。

 

〇総統閣下も陥った道

さてとここで彼らが何のためにこの地にいるのでしょうか?

英仏海峡に面したブーローニュの森には15万ものフランス軍将兵が集結していました。ナポレオンはイギリス侵攻のために集められたこの大軍をもって一挙にイギリス上陸と戦争終結を目論んでいました。たった34キロの海も渡れば、そこには要塞も常備軍も無いイギリス軍など歴戦のフランス軍の敵ではない。上陸さえできれば・・・・

しかしその僅か34キロの海を渡ることこそが至難の業。何しろ海には世界最強のイギリス海軍がおり、いかに陸上では精鋭といえるフランス軍も海上においてはまともに戦える相手ではない。このジレンマはこの135年後のドイツのアドルフ・ヒトラーも同じように悩みとうとうイギリスを屈服させることができなかったのでした。本作の歴史解説『大陸軍戦報』ではナポレオンは「霧の立ち込める時に船を出したらいいじゃん!」とか言い出して海軍軍人たちが大反対したとか、とにもかくにもイギリス上陸作戦はどう足掻いても無理というのが当時の状況でした。それにしてもフランスにもドイツにも屈服しなかったイギリスが今や欧州から総スカンの状態に陥るとは…

結局待てど暮らせど上陸できる環境が整わず、15万の大軍はブーローニュの森で数か月も野営をしている状況です。

一方のナポレオンを迎え撃つ英国では2人の軍人が邂逅の時が描かれます。

一人はネルソン、そしてもう一人はアーサー・ウェルズリー、後にウェリントン公と呼ばれることになる、海と陸でナポレオンと対峙する英国の名将同士が邂逅!!

これは歴史ファンなら思わず「おお!」と前のめりになってしまう場面でもあります。

が、そんな2人の最初で最後の邂逅でどうにも散文的なものでネルソンは最初は女性の話やらゴシップ話という実に平凡なものでウェルズリーを呆れさせ、ところがその後ネルソンがウェルズリーの身分を知るやすぐさま対仏政策について話を語り、その見識はウェルズリーも舌を巻くほど。ウェルズリーもネルソンならナポレオンを上陸を許さないだろうと能力については高く評価していましたが、

アーサー・ウェルズリー「相手によって態度をコロコロ変える奴は俺は好かん」

という人格面ではかなり悪印象だった模様。まあウェルズリー自身もかなり気位の高い人物ですからね。ウェルズリーの方はまたいずれ登場するとして、今巻の主役はネルソンはいよいよ艦隊を指揮して決戦へと赴きます。

 

〇こうしてまた戦場へ

さて一方、ブーローニュの森に一人の「新兵」が現れました。ってビクトル君ではないですか!一度は軍をやめて市井の庶民としてつつましく暮らしていた彼が何故「新兵」としてもう一度軍に身を投じたのか?皇帝即位編の時の騒動で、店が全焼してショックの余りに放浪していたビクトルは一度はかつての親方であるサンソンの世話を受けていました。しかしあまりのショックでビクトル君、サンソン親方の下で働いて以降の記憶を失ってしまったようで、その身を案じた親方が金を貸してやるとまで言われていたのですが、ビクトルが選んだのは再び軍に身を投じること。そこで彼が選んだのは「徴兵の肩代わり」、これは当時当たり前のように行われており、その仲介業者までいるほどでした。無論そんなことが可能なのは裕福な家の人間ばかりであり、当然この時も金が支払われ、ビクトルは貰った金を親方に渡し、ひそかに出ていくことになったのでした。

 そして到着した先はよりにもよってかつて自分をボコボコにした因縁浅からぬダヴ―の軍団。が、そこでやはり記憶は無くても経験は生きているのかあらゆる意味で「新兵」にしては怪しすぎる行動で周囲から不審がられるのでした。そりゃ死体を見てもビビらないは塩を分捕られたのに腹を立てて喧嘩して奪おうとするわ、どう見ても新兵のやることじゃねーな。そして一方、ブーローニュの森には諸外国のスパイが暗躍しており、フランス軍の動向を探っている光景も描かれます。そしてその中には、ナポレオンを付け狙うクロイセの姿もあり…