〇尼子十旗の一つ
松江城は江戸時代に近世大名・堀尾氏によって築かれた城でしたが、松江市内には尼子時代にもう一つ山城がありました。それが今回紹介する白鹿城であり、ここは永禄年間(1562~66)に出雲まで勢力を拡大する毛利家に対して軍事拠点として立ち塞がったのがこの城でした。宍道湖に睨みを利かせるこの城を巡って両軍で激しい攻防戦を繰り広げました。毛利側は犠牲をモノともせずに人海戦術で攻め続け、尼子側では積極的に鉄砲を導入した銃撃戦を繰り広げ、永禄5年(1562)に遂に落城に追い込まれたのでした。
白鹿城へは直接アクセスできる交通機関は無く、一番近いのは松江市営バス北循環線で「淞北台団地入口」まで向かい、そこから歩いて30分ほど行けばいいということ。何しろ観光案内所の職員でさえ、ネットで調べてようやくこの情報を手に入れられたので事前に私も全く分からん状態だったのです。この常福寺をめざし、
案内図
白鹿城は正確には城塞群ともいう存在でこの白鹿谷を挟んで複数の山城で攻勢されていました。白鹿城へは3つ登り口があります。
それでは雑草が生い茂った山道を登城開始。
ここもなかなか厳しいルートです。
途中から見た宍道湖と松江城がうっすらとよく見えます。
二の床跡
白鹿城の場合、変わっているのは「〇丸」ではなく「〇の床」という表記となっているところです。
一の床跡
ここが頂上となります。
本丸跡
空堀
小高丸跡
 
〇アクセス
JR松江駅から北循環バスで約20分(内回り経由)淞北台団地入口から徒歩25分で登城口そこから徒歩30分で主郭
 
「白鹿城に狼煙が一本・・・」