本ブログの管理人・装鉄城は長らく人生の目標として

全国500の城を回る

ことを目指してまいりました。人からは「ばかげたことを…」とか「もっとまともに生活していけ」とか言われていたのですが、私にとってこれは自分自身が何の為に生きていたか、その答えそのものでありました。いつからこんな「夢」を見ていたのだろうか?その始まりは安土城か姫路城か竹田城かそれは今となっては覚えていません。でもそれはかつてこの日本に存在した幾多の城郭への恋い焦がれて、それが私の生きる糧となっていた。あれから100数年、遂に日本全国はてはドイツ・ポーランドまでを回り、制覇した城郭は遂に490の大台に達しました。
もう500城まであと僅か、その最後の達成地に選んだのが信州でした。もう既に私自身の身体の衰え激しく、自分でももう山城を登るのは限界にきていることを自覚していたからこそ、ここが終わりの地に相応しい。
そうここは標高1000メートルの山々が重なる信州・長野県は一番山城でおススメの多い県なのです。

 

〇北信と中信を結ぶ要衝

北アルプスのそびえる筑摩郡北部地域、ここは南からの勢力と北からの勢力(全部、上杉です)が衝突してその度に兵火にみまわれた地域でした。この地域の在地土豪である青柳氏もその度に難しい選択を迫られ、受難に襲われたのでした。青柳氏は平安時代にこの地に置かれた「麻績御厨」の預所職を務めて、麓の居館に対する詰め城として築かれたのが始まりとされています。
まず1回目は武田信玄と上杉謙信の時、信玄は天文22年(1553)に北信信仰の途中でこの城に滞在して、降参した諸将を引見しています。その直後に上杉軍が第一次川中島合戦の余勢を駆って、深くこの地域まで侵攻して青柳城下に砲かを放ちました。
2回目は武田家滅亡後の天井壬午の乱の時、徳川家康の援助を得て旧領深志を奪還した小笠原貞慶と上杉景勝の間で、再び争奪戦の対象となったのでした。この時は1回目の比では無く、青柳・麻績両城で激戦が繰り広げられて、最終的に上杉景勝が撤退して小笠原氏の領有となったのでした。
最終的に当主の青柳頼長はこの後天正15年(1587)に9月、深志城に召喚されてそこで上杉との通謀を疑われて誅殺されるという憂き目を見たのでした。信濃は激しい争奪戦を繰り広げられ、そこで多くの家が浮き沈みを繰り返してきました。その中でここはもっとも激しい戦いだったのではないでしょうか。いずれにせよ戦国の終末を目前にして平安時代から続く領主は滅亡したことは不運と言う他ありません。
 
〇一目で分かる!青柳城の存在
前夜に松本に宿泊してこの日はゆっくり目に7時に出発した私は篠ノ井線長野行の列車で目的地へと向かいます。この区間は長野と松本を結ぶ重要幹線で、しかも路線を走るのは地域は自然豊かな北アルプスの地域を車窓に眺めながら走るので結構好きです。
40分ほどで坂北駅に到着
駅前の案内板で確認して目的地まで進みます。
青柳は江戸時代にも善光寺街道の宿場町となっていたので古い民家や石造りの水路など古き宿場町がそのまま時が止まったかのように通りも家々もそのままです。
旧街道沿いの青柳宿
確かに古い石造りの家々
黒門
歩いて10分ほどで青柳城の入口まで到着
麓の清長寺はかつて青柳氏の居館があった場所、正面の建物は旧青柳学校の校舎でした。
清長寺…なんですがこれ今も存続しているのでしょうか。立派な山門とは裏腹に脇の建物はボロボロで倒壊寸前の有様で「近寄らないでください」と貼り紙が貼ってあるし・・・
その脇に青柳城址公園への登城道が続きます。
うーん、こういう落ち葉だらけの道って嫌なんですよね。滑りやすいし、しかも道が判別しづらいから下手をすると迷いかねない。
・・・と思ったらあれ?アスファルト道に出てしまった。
駐車場にある案内図ここから歩いて30分ほどの遊歩道が整備されています。ひたすらジグザグ道を進んでいくなかで登って行くのですが
水を用意するのを忘れちゃったことを激しく後悔しながら、汗だくで進みます。5月でまだ長野は涼しいはずなのですが、それでもこの暑さは半端ない。
25分ほどしたら模擬復元された柵が出迎えてくれます。
帯郭
よく見ると随所に石が見えてかつてこの城も総石垣だったのではないでしょうか。
そして30分ほどで到着しました。復元された冠木門や郭、そして一面だけ残された石垣が残っています。
門のあるのが三の郛、上の段が二の郭と続きます。
この石垣、扁平な石の目地を揃えて積む、信州独特の積み方で、高さが4メートルに及ぶものです。その規模は単なる壁面保護の役割を越えて、近世城郭の石垣の特徴である視覚的効果を狙った示威の石垣です。
その石垣が石自体は加工されてなくてもその天然な積み方でこうして数百年保ったのだから驚嘆する他ありません。
主郭虎口跡
高原地帯であるためか桜の時期も遅めでしたが
そのお蔭で満開の桜が見ることができました。ここまで登った疲れも吹っ飛ぶ、やっぱりこれくらいの城跡でないと登った甲斐があったというものです。
 
ここからは北アルプスの山々は残された雪が白化粧となって非常に美しい。坂北の小盆地を眺めてゆっくりと楽しみました。
ここから更に延びた先の郭へと進みます。
四の郭
堀切跡
五の郭跡
ここが青柳城の一番外郭にあたります。その先端部には土塁が待ち構え・・・
土塁
そしてここからは深い堀切が待ち構えてくるのです。
城址公園の駐車場にあるのは櫓門
もちろん模擬ですが、遺構を破壊しない限りはこういうのもやっぱり雰囲気としてはあった方がいい。
実はここまでは車でなら楽勝で行ける場所、やっぱり車があれば…
そしてその先にあるのが二重堀切、ここが凄い深さで
高さ4~5メートルの土塁が遮断しており
石材の残った堀切底
竪堀跡
こうして十分な城跡散策を終えてこれにて青柳城散策は終了
麓に下りて改めてみると案内図の通り、頂上の松の木がトレードマークとなっている。
 
ここは麻績へと続く善光寺街道の切通し、最後の当主頼長により切開かれ、その後も工事を行い、善光寺までの道として重要な交通路となったのでした。
切通しの壁面には一面の仏像が建てられ、なかなかの景観です。
今でも青柳宿の民家の多くには「〇〇宿」という看板が掲げられて、いい雰囲気の城下町です。
 
 
それでは再び篠ノ井線で松本まで戻ります。
 
〇アクセス
JR篠ノ井線坂北駅から徒歩10分で登り口、そこから徒歩30分で主郭
 
「青柳城に狼煙が一本・・・」