〇住宅街に残る桶狭間関連史跡その1
名古屋市内はかなりの開発が進んでおり、現在では大部分の城跡の史跡が消滅していきました。しかしその中で例外的に残っているのが
桶狭間関連史跡
でやはり日本史に名高い戦いであるだけにそれなりに整備もされていました。もっとも肝心の桶狭間の戦いの概要については今ではかなり変わってきており、これもまた「見直し」の一つです。今回はそんな中から2つの砦を取り上げます。永禄2年(1559)織田信長は今川方の城である大高城、鳴海城を封鎖するために5つの砦を建設しました。中島砦、善照寺砦、丹下砦が鳴海城に。そして鷲津砦と丸根砦が大高城の周囲に築き、封鎖態勢をとったのでした。鷲津砦は大高城の北東約700メートルの丘陵に築かれた砦で、規模は東西25メートル、南北27メートルあったといわれています。今川義元は永禄3年に大々的な出兵を行い、まずより近い鷲津砦と丸根砦に攻撃をかけました。この時、鷲津砦には織田方は飯尾定宗、今川方は朝比奈泰朝で攻防戦が繰り広げられて最終的に陥落しました。5月19日のことでそれから間もなく有名な「桶狭間の戦い」が起きることになるのでした・・・
一度武豊線を乗車して武豊まで。そのあと再び東海道本線へ引き返します。かつては非電化ローカル線だったのも今は昔。現在では電化されすっかり都市近郊路線の色合いが強くなっています。
 
武豊駅前では雨模様にもかかわらず、ちょうど山車が出発するところでした。
東海道本線大高駅下車
かつての大高城はこの西の方
目的地の鷲津砦はちょうど東海道新幹線高架の向こうにある緑の丘陵地が鷲津砦のあった場所です。
幸い駅からもそんなに距離はなく5分ほどで行けます。
「鷲津砦公園」見た目は公園そのままですが…
 
森の中へ入るとうっそうとした茂みと隆起した土の中、これは遺構を探すのも苦労しそうです。
実際案内板にも「砦跡の境は明確ではないが…」と書かれています。
 
「鷲津砦跡」の石碑
 
 
ここら辺は地形的に土塁と空堀をなしたと考えられています。
 
鷲津砦案内図
ふもとにある長寿寺
もともとこの寺はこの鷲津砦の戦いで焼失し、現在のは江戸時代に再建されたものです。この後さらに丸根砦の方へと進みます。
 
〇アクセス
JR東海道本線大高駅から徒歩10分
 
「鷲津砦に狼煙が一本・・・」