〇北条氏水軍の城
言うまでもありませんが、夜間の城巡り、なかんずく山城を登るなど危険極まりない話です。何しろ照明も何もありませんから、
闇夜にカラスを見に行くようなもの
です。まあそんなことをする馬鹿な人間はまずいないと思います・・・がいました。この記事を書いている人間が・・・
この日は午前中、津久井城・石垣山一夜城と回っていたのですが、色々計算外の遅延が発生してこの段階で遅れるに遅れて2時間程
あとはこの日は伊豆急行で下田まで行く予定でした。熱海駅からリゾート21に乗車していきます。
個々の車両、なかなか豪華な仕掛けとなっており、しかも特別料金無で乗れるのでオトクな列車と言えます。
途中ですれ違った特急「スーパービュー踊り子」
下田駅から普通列車に乗車
訪問時期は1月初頭、到着した17時で既に陽も暮れかけていました。
下田港
下田にあるペリー提督の胸像
下田といえばやはり開国記念の場所でもあります。
入口にある下田城の石碑
遂に時間切れで闇夜の帳が降り始めていました。
かつて伊豆周辺の制海権をにぎるために設けられた水軍の城
恐らく西側の伊豆長浜城とセットになる存在だったのでしょう。
うん?これは石垣じゃないかなぁ・・・でもかつての石垣とは違うようですが、暗くてよくわからん!!
開国広場となる駐車場
地図的には本丸跡とされていますが・・・何もわからんですね。はい私もさっぱりわかりません。
下田の夜景
畝堀跡・・・だけどさっぱりわかりません。
夜の城登りは大変危険ですので絶対控えた方がいいです。
〇北条氏水軍の城
時期は不明ですが、ここは元々北条氏水軍の城として整備されていました。天正年間当時、政権への服属を求める豊臣秀吉と北条氏の間で硬軟織り交ぜた交渉が繰り広げられる中、天正16年(1588)北条方の水軍の城としてこの城が登場します。北条家家臣の清水上野介康秀が城将となりました。海に落ちる断崖に囲まれ、まさに海賊衆の城としては理想的な地形の城であったと考えられます。
天正17年12月から翌年にかけて、籠城の準備が行われて、陸上と並行してここも双方の水軍で激しい戦闘が繰り広げられていました。豊臣水軍は脇坂安宅、長宗我部元親らで1万、一方清水ら北条方は600名余りの兵力でしたが、50日に及ぶ戦いの末に降伏開城となりました。
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