〇播磨3城の一つ
中世末期に西播磨は三大勢力がせめぎ合う状況でした。三木城の別所氏、英賀城と共にここ赤松一族であった小寺氏の本城がここ御着城でした。織田家臣の羽柴秀吉と毛利家との狭間で揺れ動き、やがて歴史から静かに消滅していきました。しかし他の2城と違うのはこの小寺氏の重臣から黒田官兵衛が出て、やがて大大名として生き残っていったということでしょう。残念ながら御着城は平城であったために残存状況は良くありません。
御着城の築城時期は長享年間~明応年間(1480年代~1490年代)とされています。その後、享禄4年(1531)に御着城は小寺氏の居城となり、この頃に黒田氏も重臣として仕え、預かったのが姫路城でした。天文14年(1545)に小寺政職が当主となり、やがて政職と家老の黒田(この時は小寺)は当主・官兵衛孝高は秀吉に付き、政職は毛利についたことで袂を分かつことになりました。
天正7年(1579)有岡城が陥落したことで官兵衛は救出され、三木城も落城寸前の状態になりました。ここまで秀吉は官兵衛の苦衷を慮ったのか御着城は放置していたのですが、三木城の支援基地となるに及んで遂に本格的な攻城を開始。この時、小寺方は一族郎党に一向宗徒も含めて2千人でした。両軍激しい弓鉄砲の射撃を応酬して、この時秀吉の千成瓢箪の馬印にあたって一時退散したと『御着落城之事』に書かれています。結局、政食は戦ったが力及ばず城を明け渡して退城したのですが、地元では勇将と伝わっています。(この辺絶対某大河は絶対にダメダメすぎたと言えるでしょう)その後、御着城は蜂須賀氏に預けられましたが間もなく廃城。小寺氏はのちに黒田家の家臣となりました。
〇播磨三大名城も今は昔・・・
JR東海道本線御着駅は姫路から数駅手前にあります。もっともここは普通しか停まらないので1時間に2本しか来ないのが難点です。
ここから国道2号線の方へ歩いていくと
生憎の雨でしたが、きれいに桜が咲いていました。この橋は文政11年(1828)に架けられた珍しい石橋が復元されていました。
御着城本丸跡
現在では城郭風の建物と城跡碑が建てられていますが、今となってはかつての城の姿を思い浮かべるのも難しい状態です。
縄張推定図
現在の状況
城跡公園の中心にあるのはやはり黒田官兵衛の顕彰碑でした。
二の丸跡のグラウンド
二の丸跡に立つ「御着城址」碑
出張所の西に黒田家の廟所がありました。
〇アクセス
JR東海道本線御着駅から徒歩15分
「御着城に狼煙が一本・・・」











