〇問題:今は何月でしょうか?

石川県白山市、丁度金沢の手前付近にあるJR松任駅前にある松任城跡公園を目指して進みます。本当は富山県森寺城を行こうとしていたのですが、ある理由から断念せざるを得ず別候補を探し回っていたのでした。

あと4年後に開業予定の北陸新幹線(金沢~敦賀間)の高架下をJR北陸本線の列車でそのまま乗車します。それにしても凄い雪だ…

松任駅前は非常に綺麗に整備された駅で、一部特急列車も停車します。

そして駅から歩いて5分、実質駅前にあるのが松任城跡公園です。

きれいな石垣が城跡公園らしい風景を出してくれますが、実はコレ模擬石垣です。

まあ一目で明らかにきれいさっぱりしすぎているのですぐにわかりました。

松任城跡の石碑が唯一の城の名残と言ってもよいでしょう。

かつての松任城俯瞰図

これを見ると往時にはかなりの規模であったようであり、櫓がまるで天守のように見えてしまいます。

現在では公園と化していますが、往時には二の丸・三の丸が広がり、かなりの規模であったようです。

矢倉台跡

 

本丸跡石碑

駅前はかなりの開発が進んでいますが、それでもなお公園として残っているので想像して歩いてみても良いでしょう。

ところでこれ訪問時期何時だと思いますか?

答え:4月初頭です。

北陸にはたまに4月初頭でもとんでもない雪が残っている時期がありまして、4月でさえもご覧の通りでした。この年は思った以上に雪の厳しい時期であったのですが、それにしてもとても4月初頭の光景とは思えない…

 

〇平安から続き、戦国まで要衝として城主が変わる

松任城の歴史は古く、平安時代にまで遡ると言われています。無論当時は地元豪族松任氏の『居館』程度でしたが、やがてこれが本格的な城として整備されるのは戦国時代のこと。一向一揆衆がまず本格的に築き、やがて加賀まで進出してきた上杉謙信の猛攻にさらされます。結局、城は力攻めでは陥落できず、講和によって堅守されましたが、まもなく織田と上杉の間で手取川の戦いが起き、ここは引き続き一揆衆の城として保ち続けました。その後、柴田勝家の攻勢によって天正8年(1580)に織田軍によって城は陥落、賤ヶ岳合戦後には前田利長に与えられ、その後佐々成政討伐で功績を挙げたことで利長は越中に異動、代わりに失態の言いがかりを付けられた丹羽長重が大幅減封ノ上でここに入りました。その後、再び長重は小松に国替えとなり、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となりました。

 

〇アクセス

JR北陸本線松任駅から徒歩5分

 

「松任城に狼煙が一本・・・」