〇加賀南部の近世城郭
石川県南部、金沢に次ぐ第2の重要な都市である小松市には金沢城に次ぐ壮麗な石垣の城でもありました。もっとも現在は開発が進み、例によって例の如く本丸が学校敷地、周囲は住宅街となってしまっているのでみられる場所は僅かとなりましたが、それでもやっぱりみておいて損はないかんと思います。
JR北陸本線で松任から更に福井方面へと向かい…
 
小松駅はやはり県内第2の都市だけあってかなりの大きなものでした。小松城までは駅前の地図を見ればすぐに分かります。
駅前にあるかつての特急はくたかの車両展示
さて小松城本丸敷地は小松高校となっていますので、もちろん見る影もありません。それでも遺構へと通じる通路が設けられているので、きちんと城を訪問する人間へのフォローがなされているので助かります。
小松城絵図
近くの梯川の水を引き入れ、低湿地に、何重もの水堀がめぐらせたまさに典型的な水城でした。
住宅街に面した石垣が現在も残っています。
個々の階段をめぐると
小松城に残る天守台石垣
綺麗な石垣は現在も整備保存されており、学校敷地となった本丸内でここだけまさに「時が止まった」かのようです。
切り込みよる隙間の無い石垣
かつては3層の天守がたっていました。
もっとも現在では石垣上へと登ることはできません。これは少し残念!
芦城公園
三の丸跡に作られた庭園風の公園で、城としての遺構は残っていませんが非常に見所のある公園でもあります。
前田利常像
小松城は加賀藩主前田利常の隠居城として整備されたものです。
 
〇丹羽長重の復権、前田利常の隠居
小松城の歴史は伝承では一向一揆時代に築かれたとされていますが、詳しいことは不詳です。史料上の初見は賤ヶ岳合戦後に羽柴秀吉に与した前田利家が柴田勢から「小松之城」を受け取ったのが最初とされています。その後、一時松任4万石にまで減封された丹羽長重がここに12万石で転封となり、ここにおいて本格的城郭として整備されました。しかし関ヶ原合戦時に前田利長と浅井畷の戦いで抗戦したために改易。もっともその後は東北棚倉で大名として復帰するなど何度も復活した奇跡の戦国武将でもありました。
 丹羽長重の改易により小松は前田家の領する所となり、加賀藩主前田利常の隠居城として寛永17年(1640)に隠居城として現在に残る城の形と小松の城下町として整備されたのが始まりです。芦城公園はいわばその利常への敬意の証でもありました。水堀が張り巡らされ、そこに8つの「島」が兵法のように配置されていました。現在では想像できませんが、かつて小松城は本城である金沢城をも上回る面積の広大な城でもありました。金沢城の倍近い56万㎡というとてつもない巨城でもあったのです。
〇アクセス
JR北陸本線小松駅から徒歩20分
 
「小松城に狼煙が一本・・・」