〇信長三男・信孝の城
神戸城は伊勢の名族・神戸氏の居城として整備されました。しかし永禄11年(1568)に織田信長侵攻を受け、信長の要求を呑む形で三男の三七(後の信孝)を養子に迎え入れて実質織田家支配となりました。その後、信孝は犬猿の兄弟・信雄と違って父親の不興を買うこともなく大過なく従軍し、天正8年(1580)には信孝は神戸城の修築を行い、五重の天守を築いたとされています。発掘調査の結果、本丸内からは金箔瓦をが確認されており、信孝時代の下されています。本能寺の変後に信孝は織田姓に復帰して岐阜城に移り、その後、神戸城は水野忠重、滝川雄利を経て、関ヶ原の戦いで東軍となった一柳直盛が5万石で入り、その後伊予西条へと国替えとなると、石川総長、そして本多忠統が藩主となり、明治まで続きました。石川の時代には1万石であったために城の修復は許されずに城は荒れ放題となり、本多氏の時代に改めて際築上されました。
津駅から伊勢鉄道線に乗車します。
鈴鹿サーキットで有名な鈴鹿市、ここの鈴鹿駅にて下車。駅スタンプも見事に鈴鹿サーキットでした。ここから平地で歩くこと20分ほど
神戸城跡は現在、神戸城公園と神戸高校となっており、殆ど遺構は残っていません。
縄張り図
今の城跡はほぼ江戸時代の本多氏時代に再修築されたものです。
現在も残る城の遺構は信孝が築いたこの天守台石垣のみがかつての遺構を残していました。
未加工の自然石を使用して、石塔類の転用も認められるなど古い様相を残しています。
上端部や隅角部分は近世に罪直しが行われたと見られています。
僅かに残る水堀跡
〇アクセス
伊勢鉄道鈴鹿駅から徒歩20分
「神戸城に狼煙が一本・・・」










