〇越前への一本道・疋田の城
敦賀市の南、滋賀県との県境にある疋田の地は柳ケ瀬・海津・塩津といった南方からの道は一旦ここに集まる要衝の地でした。現在も国道8号線と国道161号線が合流し、JR北陸本線も走るなどまさに大動脈となっています。ここにすぐ傍にあるのが疋壇城です。
近江塩津から一駅、敦賀の手前にある新疋田駅は現在では大阪から新快速一本で向かえます。
無人駅ですが、ログハウス状の木造駅舎であり、中には北陸本線を走行する列車の写真が飾られていました。
国道8号線と国道161号線の分かれ辺りから疋田集落に入り疋田会館を目指し、更に日吉神社へと向かいます。10分ほどの短距離です。
森の中に眠る石垣
現在では城跡の多くは畑となっており、歩く時は要注意です。
畑に有りながらも石垣も残っており、しかも見た限りでは主郭部分は形としては残っています。
主郭中心部
主郭上部にあるのが櫓台跡
櫓台には疋壇城の石碑と共に写真を撮影しておきます。
南側には空堀部分が形状として残っています。
疋壇城は文明年間(1469~1487)に朝倉氏の武将・疋壇対馬守久保によって築かれました。疋壇は先述の通り、柳ケ瀬越・塩津越・海津越といった越前と近江を結ぶ道が集まる交通・軍事上の要衝であり、越前最南端の防衛拠点としての役割を果たしました。元亀元年(1570)の織田信長の越前侵攻の折には手筒山・金ヶ崎城と共に疋壇城も落城しました。しかしその後、浅井長政の裏切りに遭い撤退。一旦城は修復されたようで、朝倉氏の家臣・栂野三郎右衛門らが布陣した記録が残っています。天正元年(1573)8月に再び信長が越前へ侵攻すると、刀根坂の戦いで朝倉軍は壊滅的打撃を受け、城主の疋壇次郎三郎も討死して、城も再び落城しました。
〇アクセス
JR北陸本線新疋田駅から徒歩10分
「疋壇城に狼煙が一本・・・」













