〇鳥取への短距離旅は智頭急行で
鳥取へ行く時には青春18切符では山陰本線経由で向かうと大幅に時間がかかってしまうので、そんな時には智頭急行で行くと時間と費用の面から非常に有効です。智頭急行では青春18きっぷが使えませんが、それに代替する路線限定のフリーきっぷが使える。
元々智頭急行は関西と鳥取方面との短縮を目的に作られた鉄道路線なので、普通列車でも非常に速い。
平福駅にて
この駅の背後にある山頂部にあるのが利神城、ここも今では立ち入り禁止果たしてこの城に登れるにはいつの日になる事か・・・
JR因美線との乗換駅である智頭駅に到着
ここから先はJR因美線に切り替わります。
用瀬駅にて下車
ここ用瀬は古い宿場町であり、「流し雛」で有名な場所。毎年「流し雛」のイベント時には特急も停車する駅です。
あるいて10分ほどで景石城の登城口に到着、既に日も暮れかけてきており、急いで登城する必要性が生じていました。
岩による巨大堀切
空堀跡
ここは豊臣大名の城としても機能していたこともあってか非常に多くの石垣が残っていました。
 
物見櫓のあった三の丸跡
二の丸跡
斜面に延々と残る苔むした石垣は時代を感じさせ、廃城の趣を強くします。
本丸跡にはこうして全周にわたり石垣が残存しています。
景石城の標高は324メートル比高240メートルの山城です。登城口から徒歩20分ほどで到着、それほど時間と労力を要さずに登りきることができました。
比較的小規模な城郭であり10分ほどで散策を終えることができます。
かなりの断崖です。
ここからの用瀬の街並みと智頭街道が良く見渡せます。
これはある意味凄い光景でした。角部分の石垣はかなり歪んでしまっているのにしっかりと支えている。それこそ絶妙なバランスを維持して今もこうして石垣が残っているのは素晴らしいことです。
 
〇羽柴と毛利の争奪戦
因幡国(鳥取県東部)にある景石城はいつ築城されたのかははっきりしません。既に「太平記」の時代には延文年間(1260年代)には城の存在が確認されています。その後この城は山名氏の城となりましたが、天正8年(1580)羽柴秀吉が侵攻を開始、鳥取城攻略の重要拠点として家臣の磯部兵部大輔を城将として配置させて鳥取城への備えとしました。ところが磯部が若桜鬼ヶ城に赴いていた時に秀吉に反旗を翻した山名方が再度攻め落とされましたが、、翌年には天正9年に秀吉が鳥取城を再度攻め落としたことにより、景石城も再度秀吉の手中も戻り、磯部が再度城主となります。以降、磯部は城下町と用瀬宿を整備して20年程の統治を行いましたが、関ヶ原合戦時に西軍に味方したことでこの地を去ります。替わって山崎氏の持城となりましたが元和の一国一城令により廃城となりました。
 
戦国時代までの古い城郭と近世城郭として改修された部分が共存している貴重な城跡として景石城はもっと知られても良いでしょう。
 
〇アクセス
JR因美線用瀬駅から徒歩10分で登城口そこから徒歩20分で主郭
 
「景石城に狼煙が一本・・・」