〇自治体名になった城

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鹿児島県との県境にある宮崎県西端に「都之城(みやこのじょう)」という城があります。この城、日本全国でも珍しい

城郭名がそのまま自治体名になっている城

です。自治体名は都城(みやこのじょう)市、これはそうそうありません。

鹿児島から日豊本線で宮崎方面へ向かいます。

途中の竜ヶ水駅、この駅鹿児島から僅か1駅であるにもかかわらず普通列車でさえ一部通過してしまうほどの人家もまばらな駅です。この駅が有名なのは1993年8月6日に起きた豪雨水害の時で、この時駅に停車していた普通列車が土砂崩れで線路が両方向とも塞がれてしまい、更には駅にも土石流の危険が迫っていました。そのため、列車乗務員の機転で列車車両を堤防代わりにして乗客を避難させ、結果殆どの乗客が助かることができました。この話はテレビ番組でもしばしば取り上げられています。

霧島神宮駅

国分~西都城間の鹿児島・宮崎県境区間は普通列車の本数が非常に少なく、時間帯によっては3~4時間も待たないといけません。

都城駅

駅前の観光案内所にてパンフレットを入手します。ただし城跡自体はここから一駅引き返し

西都城駅で下車

ここから南西方向に歩くこと20分ほどで

都之城跡到着です。

9500万円にて木造復元された大手門

大手門からくぐりぬけると「本城」と「西之城」間の堀切に出くわします。現在はすっかりコンクリートで覆われていましたが・・・

本城跡に建つ都城資料館

なかなか変わった形であり、 天守のようにもあるいは御殿のようにも見え、そうではないようにも見える、ようはどっちつかずな所が興味深い。どのようなコンセプトで建てられたのかが気になります。 

縄張り図

都之城で現在も歴史公園としてのこっているのは地図にある「御本丸」と「西城」部分の2郭のみですが、他にも多くの郭を持った結構広大な城跡だったようです。ただし、現在では日豊本線の線路や住宅街で消失してしまいましたが・・・

西城跡は現在は狭野神社となっていました。神武天皇の御座所とされ、初代天皇はここから大和へと出発したそうですが・・・まあ伝説と見るかれっきとした史実と見るかは人ぞれぞれということで。見た所櫓台跡らしき遺構を発見。

他には本丸虎口

 

都之城の歴史は14世紀、南北朝時代に島津氏一族の北郷島津家の2代目当主義久によって永和2年(1375)に築城されました。その後、戦国時代末期にはここには島津家重臣・伊集院忠棟が城主となります。忠棟は豊臣政権との窓口役を務めたために大きな権勢を誇りましたが、その分島津家内にあっては憎まれる存在であり、そのため慶長4年(1599)には島津家世子となっていた忠恒に誅殺され、これに反発した伊集院家はここ都之城に立て籠もり、島津家を揺るがす「庄内の乱」へと発展します。結局この乱は家康の仲裁により、伊集院忠真が降伏と言う形で助命され、頴娃に移り、都之城には元の北郷島津家が入りました。この乱の影響は大きく、翌年の関ケ原合戦では島津家が兵力を送れなかった要因にもなったと言われています。その後城は元和元年の一国一城令により廃城となっています。

 

〇アクセス

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JR日豊本線西都城駅から徒歩20分

・資料館

開館時間  9:30~17:00

入館料    210円

休館日    毎週月曜日、年末年始

 

 

「都之城に狼煙が一本・・・」