ちょっとここからは数年前に鹿児島県・宮崎県に廻っていた記録をご紹介します。いずれも写真記録が余り残っていなかったのでかなり短めになりますが、この機会に折角ですから紹介します。

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〇小学生も踏み入れる城跡

市来鶴丸城へはJR鹿児島本線の東市来駅から歩いて10分ほどの距離にあります。「鶴丸小学校」を目印に進んでいけば結構簡単に進めれました。

護国神社奥に入口があり、今でも居館のあった「鶴丸小学校」の土台は石垣が残っています。

山林に覆われながらも道自体は整備されており、登るのも容易でした。途中で地元の小学生らしき集団ともすれ違い、結構親しまれる場所なんだなと思いながら進みます。

南九州ではよくあるシラス台地特有の自然地形を利用した堀切

鶴丸城は標高106メートルの城山に築かれました。

徒歩10分ほどで本丸跡に到着

わずかに城跡石碑とそして土塁が巡っており、かなり広大な空間が広がっています。

礎石のある建物跡

 

市来鶴丸城は鹿児島県にある中世山城で江口川右岸の標高106メートルにある城山を最高地点とするシラス台地上にあり、東西600メートル、南北500メートル面積20万㎡に及ぶ広大な城跡でした。鶴丸城と言うと鹿児島県庁所在地の「鶴丸城」もあるので市来鶴丸城と呼ばれていました。戦国時代にはここは島津相州家(後の薩摩藩主家となる家)の島津忠良・貴久親子が攻め落とし、以降は相州家支配下に入りました。16世紀末には使用されなくなり、廃城となったと考えられています。

 この城には西洋人が九州へ上陸した時に足を踏み入れており、天文19年(1550)6月にはイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島から平戸へ向かう途中に滞在、その後8月にも市来湊から平戸へもう一度向かうために12日間滞在した記録が残っています。

 永禄4年(1561)ポルトガル人アルメイダが島津貴久に招かれ、鹿児島へ向かう途中に市来湊からこの城に滞在。この時に

「このとき市来城内は深い堀で分断され、相互に相当離れた曲輪から構成されており、曲輪間の移動には高い跳ね橋を渡らなければならなかった」と記録しています。

 

〇アクセス

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JR鹿児島本線東市來駅から徒歩20分

 

「市來鶴丸城に狼煙が一本・・・」