〇結城合戦の舞台
結城氏の市街地北東にある、結城城、城は北東南の三方は低地帯に囲まれており、今ではすっかり公園となっており、城跡としての面影を見つけるのは難しい状態でした。それでもやはり有名な結城合戦の舞台として有名であるのか、やはり観光の名所となっています。

上野で一泊した私は常磐線で佐貫駅まで、ここから関東鉄道に乗り換えます。

関東鉄道路線は関東地方でも数少ない気動車路線
それでもちゃんとICカード利用が出来ます。
竜ヶ崎線は4.5キロ、2駅程度の短距離路線、ここから再び佐貫まで戻り、
JRで移動して取手駅で再び関東鉄道に乗り換えです。
ここから常総線に乗り換え
こちらも気動車路線、水海道駅で一度乗り換えて
終着駅下妻駅まで行き、
ここからJR水戸線に乗り換えます。
 
JR結城駅にて下車
結城市民情報センターの建物には観光案内所にて情報収集し、地図でも確認して目的地まで向かいます。早朝と言うこともあってか人もまばらな状態で静かなものです。
結城市はユネスコの無形文化遺産に指定された結城袖の産地、この日は着物祭りということであちこちに着物姿の人が良く見かけます。
 
25分ほどして結城城址に到着です。
結城城はいくつかの館と空堀で分断された居館形式となっていました。最も現在では多くの部分が宅地化によって破壊されてしまっています。
西館跡
現在は浄水場となっています。
空堀部分はかなり幅が広いのですが、その割には浅い。
実城部分
現在は公園となっており、土塁等遺構を確認するのは難しい。

結城合戦タイムカプセル埋蔵地の石碑

江戸期の結城藩水野日向守勝成を祀り神とした聰敏神社

 

 
三日月橋
中城部分
周囲は田園となっていました。
 
〇関東の名族・結城氏の栄枯盛衰
結城氏は小山政光の三男朝光に始まり、12世紀末にここ結城郡を所領として本領としたことから結城姓を名乗り、鎌倉幕府の有力御家人の一員でした。しかし、執権北条家の専制が強まると勢力を後退させ、やがて後醍醐帝や足利尊氏による倒幕の動きが強まると、結城氏はいち早く足利氏に味方して勢力回復を目指しました。しかし当主が相次いで討死して逆に勢力は更に退潮していく結果となりました。その後も南北朝動乱でも一貫して足利に味方して常陸関城で南朝と足利軍の攻防戦が展開されたときに、結城氏一族が結城郡に城郭を築いたという史料があり、これが結城城をすれば14世紀前半に機嫌が遡るとされています。
 14世紀後半から結城氏は鎌倉公方とつながってやがて、一時期は下総北部・常陸西部・下野南部に拡がる一大勢力圏にまで拡大したのでした。結城氏は鎌倉公方との繋がりが強かったため、必然的に公方家と室町将軍家補任職の関東管領上杉氏が対立すろと、結城氏もそれと敵対することになりました。そして結城氏朝の代に、永享12年(1440)、結城氏は永享の乱で滅亡した鎌倉公方持氏の支持勢力からの支持を取り付けて、持氏遺児の春王丸・安王丸を擁立して挙兵、これが結城合戦の始まりとなりました。幕府・上杉方の大軍を相手に結城方は城に篭り、1年以上の攻防戦を展開しますが、嘉吉元年(1441)4月、結城朝光は戦死、結城城は落城と言う結果となったのです。
当時の記録では幕府軍に参戦した将兵の書状から①大規模な城であること②城壁を取り除いて堀を埋めれば攻められる③大軍の幕府軍がいっきょに攻められれば「外城」は攻略できる、と書き残しています。かなりの大規模な城跡であり、しかも低湿地帯が自然要害の堅固な城であったようです。
 結城氏は合戦で断絶しますが、やがて持氏遺児の成氏が鎌倉公方を再興すると結城氏も氏朝末子の成朝も結城氏を再興。しかし、またしても関東動乱の中で当主が相次いで死去するなどして再び勢力が後退。その後、戦国時代に入ると北条と反北条方の間で揺れ動く状態となります。最終的に天正18年(1590)結城晴朝は豊臣秀吉の養子・羽柴秀康を養子に迎えて、新たな当主となりました。彼こそ
徳川家康の二男・結城秀康
でした。秀康は城と城下町の再整備をすすめ、現在に続く結城の街となりました。慶長7年(1602)秀康が越前に国替えとなると一旦廃城となりますが、江戸時代中期に譜代大名の水野氏が入り、結城城が再興され、そのまま明治の廃藩置県に続きました。戊辰戦争の際には当時多くの藩にも例にもれず、結城藩でも佐幕派と勤皇派に分裂、この時に藩主・勝知は彰義隊の指揮を任されるなど熱烈な佐幕派で、勤皇派は先代藩主の子を新藩主として擁立。激怒した勝知は彰義隊を引き連れて、自らの居城を攻撃して落城に追い込みました。しかしすぐに新政府軍によって奪回され、勝知はこの後に実家の二本松まで逃れました。結局、結城藩は石高1000石の減封と言う結果で維新を迎え、城も廃城となりました。

 

≪参考文献≫

峰岸純夫・斎藤慎一 編『関東の名城を歩く 北関東編』 2011 吉川弘文館

 

 

 

 
〇アクセス
JR水戸線結城駅から徒歩25分
 
「結城城に狼煙が一本・・・」