〇そして船で九州へ

2日目はいよいよ最終幕、今治(来島城)→松山(湯築城)→ときました。これまで愛媛県の城郭はどちらかというと海岸沿いの城が多く、山城、それも険しい山城は少なかったので

ここらで一発デカい山城を登ってみようか

などと思い、ここで適度な城が無いか探して見つけたのが黒瀬城でした。ここを巡ると更に船でいよいよ九州へ向かいます。

松山からは1両の気動車が走るローカル線となる予讃線を利用します。

予讃線は特急の乗るとトンネルだらけの山線を通りますが、普通列車ですとこうして風光明媚な海岸線沿いを走ります。

瀬戸内海の海

八幡浜駅にて更に乗り換え、ここからは普通列車の本数が減るので乗り換えは計画的に行わないといけません。

八幡浜は四国の船の玄関口、九州へ向かうフェリー港があるので、最後にここで降りることになります。

特急宇和海

卯之町駅にて下車

 

観光案内所の類が無いのでスマホでの検索になります。あの左側の山が黒瀬城になりますが、問題は入口は何処になるのかな?

川を渡り、山麓の所に運動公園があります。
石垣らしい所があるのを見ると山麓のこの部分には居館があったのでしょうか?資料が無いと辛い・・・

それでも運動公園傍のアスファルト道路がまっすぐ進むと黒瀬城入口にたどりつきました。丁度入口に案内板があったので確かめたら

案内板の地図と解説部分が剥がれ落ちてしまっている・・・

近年の豪雨災害の影響か、完全に剥がれ落ちてしまっていていて縄張りとか歴史がさっぱりわからないのは辛い。

登山道を進みます。

途中にある石材

渓谷部分の小川に沿って険しい山道を登ると黒瀬城と岡城という2つの城への分岐道に辿りつきました。

入口から歩くこと15分、遺構である堀切に行き着きました。
堀切横面
20分で主郭に到着
帯曲輪
中心部には送電線のアンテナがありました。
横堀
土塁

山道を登っていくときはさてどんなものだろうと不安でしたが、城趾部分は案内板もあり、ちゃんと分かるように整備もされていて安堵した自分がいました。

帯曲輪から更に尾根に沿って郭が続きます。
恐らくはここの部分に屋敷があったのではないでしょうか。
空堀跡
二の郭跡
井戸跡
三の郛跡
三の郛土塁
三の郛を超えると展望台のように開けた空間と四阿がありました。恐らくは物見台でしょう。

水溜まり池

これほど多く水源があった所を見ると黒瀬城は詰めの城というものではなく、居住性空間であったのではないでしょうか。

さて一旦先程の分岐道まで戻り、更に高い部分にある岡城へと向かうのですが・・・

多分城跡?こちらは表示板も何もないので自信が持てない。

多分ここが主郭かな?でももう日没が迫っているしこれ以上は流石に上がれない。もうここまで行けて十分だと思うことにします。

それにしてもこちらの岡城は道も分かりにくく途中からは明らかに道に迷ってしまい藪の中を突っ切る羽目になりました。やっぱり縄張りが必要だ・・・
運動公園部分
あのアンテナ部分が黒瀬城です。
宇和川と西予市街
西予市は愛媛県でも高地に位置する町であり、流石に肌寒くなっています。
卯之町には高野長英が隠れ家となった場所でもあり、施設もあるのですがもう日暮れ時で断念。さてここから一度3時間かけて松山まで戻り、ここで食事してから再び八幡浜まで向かいます。到着したのは23時30分
八幡浜港は四国の西の玄関口、九州への船便の港湾です。四国~九州への移動はやはり船が一番、ここから大分県別府・臼杵まで船便があり、しかも深夜便は朝5時まで船内で就寝できるので夜行としてもうってつけです。

値段は別府までで3200円、宿泊所としてみたらなかなかのものです。

船内は調度品も新しくゆったりできる。飛行機やバスでは絶対味わえない気分です。
甲板
それではまた船内でごろんと横になって明日は九州です。
 
〇公家から大名になった西園寺氏
四国には鎌倉~室町時代の戦乱を避けて、多くの公家が下向したそのまま領主となった例があります。有名なのは長宗我部氏に滅ぼされた土佐の一条氏がその代表です。もっとも伊予でもやはり抗争が激しく、この地に落ち着いた西園寺氏もやがて戦国時代には細川氏や河野氏との抗争に乗り出すようになります。当初の居城は松瀬城にしていましたが、やがて南方土佐の長宗我部、そして西方の大友からの攻勢が激しくなり、あらためて南方への防備強化のために標高350メートルの山に築いたのが黒瀬城でした。しかし元亀3年(1572)、天正9年(1581)には長宗我部氏の攻撃で城下を焼き払われるなど劣勢であり、遂には長宗我部元親に臣従するに至りました。天正13年の秀吉の四国征伐で西園寺氏も豊臣政権に降伏、一度は黒瀬城の保持を許されましたが、やがて天正15年に豊臣大名の戸田勝隆が入り、城を明け渡され、さらには西園寺氏は勝隆により謀殺するに至ったのでした。
数百年の長い歳月を西予地方の名族であった西園寺氏の無残な最期でした
 
〇アクセス

JR予讃線卯之町駅から徒歩10分で入口、そこから徒歩20分で主郭

 

「黒瀬城に狼煙が一本・・・」