
〇船旅5分の水軍城
瀬戸内海に点在する島嶼部には多くの水軍城があります。しかしこれら水軍城は山城とは別の意味でアクセスが困難でした。何しろ、無人島なので人力ではアクセスできない。船をチャーターするか特別企画で行く船便旅行(大体2000~4000円)でないといけない。ところがそんな水軍の城で気軽にアクセスできる城があるのはご存知でしょうか?その城は僅か5分の船旅で片道140円で訪れる場所に有ります。そんなミニ航海旅行を今回ご紹介します。
前日徳島から今治まで普通列車を乗り継いで乗り継いで結局「宿」まで到着したのが23時半。しかも「宿」自体は駅から大分離れた位置にあったので結局横になったのは0時を回った時でした。そして朝5時に「宿」を出て無人の今治市街を歩いていきます。
その途上で今治城内も散策してみます。といっても僅かな照明だけでほとんどは闇に消えてしまっているのは残念ですが・・・
天守
5時40分今治駅に到着
朝一番の松山駅行の始発列車に乗って隣の駅までまず進みます。
波止浜駅到着
到着時にはようやく朝日が昇りだし、うっすらと夜が明けつつあります。
海岸沿いの道を進むこと15分

波止浜港到着です。港には現在では今治市による待合所が整備されており、ここで待ちます。右手に有るのは灯明台と呼ばれる和式灯台であり、江戸時代までの灯台の貴重な現存史跡です。
この付近の海域は来島海峡と呼ばれ、潮の流れと強風のために船の風待ち港として機能していました。
今では付近にある馬島・小島、そして来島への渡し船の出発港です。運賃は来島までで140円、一番遠い270円の定期船乗り場となっています。さて朝早く到着したために待合室は運航開始20分前までは施錠状態。流石に四国であっても11月早朝は冷えてきます。
職員の方が来て開錠すると釣り客の人達が一斉に入室。渡し船の支払は待合室内の自販機で購入
待合室内には来島城のパンフレットと共に
来島城案内
芸予諸島史跡マップ
手前にあるのが渡し船
20人~30人が乗れる本当に渡し船です。
船内
船尾
ここ今治は造船の街、周囲は造船所であり、大型船がずらりと並んだ壮観
その中でこの小ぶりな船は何か愛嬌がありました。
来島は今治からほんの280メートルほどしか離れていない小島です。ここ波止浜港からでも肉眼で見えます。
それでは出港します。乗客は10人ほど、私以外は全員釣り客でした。

5分ほど、あっという間に来島が見えてきました。乗って観たらわかりますが、ほんとうにあっという間です。
来島の接岸所にて下船
渡し船は大体10分~20分ほどで戻ってくるので帰りの船便は時刻表を要チェックです。
対岸の今治の造船ドック
来島城はこの来島城そのものが城趾です。周囲850メートル、標高41メートルの小島全体を城として造営されたのでした。
かつての来島城復元図
来島は今での有人島で20軒ほどの家々が並んでおり、今でもこの島の住民は漁業と小さく農業を営んで細々と営んでいます。
もちろんここでは車も無縁の社会となっており、歩いても30分ほどで一周できそうです。
八千矛神社
湯築城城主である河野氏が来島城の守り神として建立したと伝えられています。
来島城の石垣
城跡は集落の中を歩いてすぐにあり、
現在でも入口付近には石垣が残っていました。
来島城本丸
本丸中心部
来島大橋
芸予大橋を構成する橋の一つです。あの橋から中国地方福山まで橋でつながっています。
小島
来島は他の水軍城もそうですが、周囲の海こそ最強の堀。潮の流れが速く急流の川のようであり、干潮時には時速18.5メートルにも及びます。
物見台跡
現在でも瀬戸内海全体を見渡せます。
本丸の中心部は綺麗に整備されていると共に鉄塔が建てられていました。
二の丸跡
三の丸跡
村上神社
二の丸跡に起つ村上氏の祖先が祀られた神社
こちらは心月庵
ここはかつて来島城主の屋敷があった場所です。屋敷内には古井戸も残っていました。
背後の石垣
来島城山城部分
出丸跡
城の東側はかつて桟橋がありました。
この海中には柱穴という岩礁ビットがありますが、残念ながら現在は満潮時で海中に没して今しあ。
西側も同じく
集落内部
かつての来島城図
1時間程待合室で待っているとやがて波止浜へ戻りの船が到着
さあこれにて朝一番の小さな船旅は終了。次の目的地へと向かいます。
片道5分の小さな船旅、そして今も人が住む島に残る水軍の城、そこは瀬戸内海の潮流が手に取るように分かり、そして石垣などの遺構が現存している貴重な水軍城です。
〇来島水軍の本拠地
中国・朝鮮からの人・物・金の流れは全て瀬戸内海を通り、畿内へと流れてきました。その中で瀬戸内の海に割拠する「海賊衆」が伊予の芸予諸島を根城に活動し、繁栄してきました。伊予大島を本拠地とする村上氏はやがて能島・因島・来島の3家に分かれて、戦国時代には瀬戸内海を制する絶対的な支配者として君臨したのでした。来島村上氏の本拠地として築城されたのが15世紀初めの頃で、難攻不落の海の城郭として西国中に知られる存在でした。天正10年(1582)当時の当主・村上通総は主家である伊予の大名・河野氏を見限り、織田信長に内通したために、毛利・河野軍に攻められて、彼は一時この城の放棄を余儀なくされます。その後は豊臣秀吉に接近し、秀吉の四国平定後には再びこの城に復帰。通総はその後、文禄慶長の役でも水軍大将として参戦して戦死しています。そして関ヶ原合戦の際、村上氏は西軍に属したために所領を没収、そして九州豊後森(大分県玖珠町)に国替えとなりました。当地は海の無い内陸部・文字通りの「陸に上がった河童」となり、村上氏はこの瀬戸内を去って行ったのでした。(その後は久留島氏と改名)
〇アクセス
JR予讃線波止浜駅から徒歩15分で波止浜港、そこから渡し船で約5分(140円)で来島、徒歩10分で主郭
・波止浜港待合室にパンフレット有
「来島城に狼煙が一本・・・」