〇厳原を眺める絶景と多種多様な石垣
国境の島というのは時に侵略の最前線に立たされ、時には侵略の先鋒の役割を強制的に担わされます。対馬も例外ではなく、元寇の時には大陸からの侵攻軍に蹂躙され、そして太閤秀吉が始めた朝鮮出兵(唐入り)では豊臣の大本営である肥前名護屋城から朝鮮半島釜山を結ぶ輸送・連絡の中継拠点としての役割を担っていました。そしてその象徴こそが、
厳原の街と金石城の背後に聳える清水山城でした。
金石城の背後にある清水山城
それは有明山からの連続する尾根状の標高200メートルほどの清水山に一ノ丸・二の丸・三の丸が連続して石垣を構築して築城されました。
清水山城は現在では観光名所となっており、随所に案内板があるので迷う心配はありません。ただかなりの急こう配で自転車で上がるのにはかなり苦労させられました。
民家の傍に登城口
近くの茂みに自転車を止めて
さて出発します。
 
歩き始めてから10府も経たないうちに明らかに人工の石垣が見えるようになりました。
途中で人とすれ違ったので挨拶を交わしたのですが、ここで出てきた会話は「韓国語」、そうここ対馬で観光客といえばやはり韓国の人が大半なのです。無理もありません。日本本土からは遠くむしろ韓国の方が近いのですから。「おはようございます」って韓国語では何て言ったっけ?と頭を悩ませながら人とすれ違います。
 
 
二の丸石垣に到達しました。

二の丸部分石垣

 
そして見てください、この石垣部分から見る厳原港の夜明の光景は実に美しい。
 
 
二の丸跡
ここは東西50メートル、南北約30メートルの曲輪で、直線で構成された石垣や枡形虎口が設けられるなど織豊系技術の特徴が多く見られます。実質的に清水山城の中心はここであったのではないかと見られています。

 

ここから岩の道を真っ直ぐ進んで・・・・

 
一ノ丸石垣に到達です。
 
 
 
 
ここの石垣は楕円形の石垣が多く多用され、明らかに他の曲輪とは特徴が異なります。これは築城大名の違いで城内最高所にあたる一ノ丸を担当していたと思われる宗氏が築いた石垣と見られています。
東西約70メートル、南北約40メートルの曲輪で、岩盤が露出した山頂部を石垣で張り巡らされています。
そしてその背後には更に高い有明山がそびえています。
 
 
石垣は二重構造となっており、しかもきちんと喰い違い虎口となっている様子が見てとれます。
 
一ノ丸の中央部分は岩盤が隆起しており大規模な建造物はとても設けられそうにもありません。「秀吉の御座所」として築城されたと言われる清水山城ですが、実質的なその機能は麓の金石城(屋形)であるとされており、ここはあくまでも「詰めの城」という扱いでした。
山頂部から見た厳原港と
西側
 
この石垣は築城当時の姿をそのまま留めています。
 
 
それではさきほどの急こう配の道を戻っていき
 
 
 
二の丸内枡形虎口
 
三の丸から二の丸~一ノ丸へ登り石垣が延々と続いており、かなりの工事量です。
 
 
そして三の丸虎口へとたどり着きました。
清水山の東端部分にあたる三の丸、東西約80メートル、南北約30メートルの細長い曲輪で、城下町の街並みや港が一望できる場所です。
 
 
石垣は算木積や巨石を随所に配置する鏡積、として横矢型枡形など戦国末期の多様な石垣を観察できるのが特徴です。
ここを降りていけば先程の金石城です。
それでは厳原の観光案内所も開いたのでここで一旦情報収集、何しろ次に行くのは過去最強クラスの難易度を誇る城なので十分な休息と情報収集は欠かせません。
清水山城は極めて短期間に築城され、そのまますぐに廃城となったために後世の改変や破壊をまぬがれ、当時の石垣がそのまま残る貴重な山城です。そしてここからの厳原と海の眺めはまさしく絶景で絶対お勧めしたくなるような名城でした。
 
〇対馬にとっても苦難の時期であった朝鮮出兵

清水山城は天正19年(1591)に豊臣秀吉がきたる唐入りの前線基地として築城するように指示して造られたのが始まりです。対馬領主の宗義智に肥後人吉領主相良長毎、筑後三池領主高橋直次、筑後福島領主筑紫広門ら九州の諸大名が合力して築かれました。前述の通り、本営の名護屋城と朝鮮半島の中継基地として築かれていたのです。しかし、「秀吉の御座所」として整備された筈の同城でしたが、結局秀吉は本営の名護屋城から先へは一歩も足を踏み入れることなく結局益することなく撤兵、まもなく廃城となりました。

 朝鮮出兵による軍役負担と戦争の激化は島の経済の命綱であった交易の断絶を意味し、島民は塗炭の苦しみを味わうこととなりました。それは撤兵後も同じでしばらく豊臣政権時代は交流は断絶されたままであり、対馬にとっても多大なる迷惑となっていたのでした。やがて徳川幕府の時代になると、家康からの命を受けた宗義智は、日朝の関係修復に尽力して、やがて再び対馬は朝鮮通信使の往来を迎えるようになったのでした。

〇アクセス

厳原港よりレンタサイクルで20分で登山口徒歩25分で一の丸
・厳原観光案内所に解説書あり
 
「清水山城に狼煙が一本・・・」