〇謀将のデビュー戦・鏡山城攻防戦
広島県東広島市にある山城である鏡山城、この城は戦国時代に大内氏が安芸支配の拠点として活用し、以降何度も攻防が繰り返されました。大永3年(1523)6月13日、山陰の大大名である尼子経久がこの城を攻撃を開始し、この時に毛利家当主は幼い幸松丸、元就は叔父であり後見役でした。大内方の城将・蔵田房信は籠城して寡兵ながら粘り強く抵抗を続けていました。そこで元就は一計を案じ、房信の叔父である直信を寝返らせ、尼子軍を引き入れさせることに成功。城内は大混乱が生じ、蔵田房信は妻子・城兵の助命を条件に自害し、落城したのでした。ところが経久は直信の行為を「不忠」として処刑、功績を建てた元就には恩賞が出ず、これが原因で元就は尼子を見限ることになった・・・というのが軍記物で記される顛末です。もっともこのような行為が果たして有効なのか(そんなことをすれば投降する者がいなくなる)疑問ですし、元就のスタンドプレイであったのかそれとも経久の掌返しだったのかは経緯は解りません。
 なおこの戦いで当時9歳であった幸松丸は首実検への立ち合いを嫌がったにもかかわらず家臣達が無理やり立ち会わせ、生首を見てしまった衝撃で健康を害してしまい、そのまま亡くなる結果となりました。無論跡継ぎはおらず、そのまま叔父である元就が家督を相続することになったのです。なんとなく作為的なものを感じてしまうのが筆者だけでしょうか。
権謀術数の限りを尽くして中国一の大大名へとのし上がり、大内も尼子も滅ぼすことになる元就の人生はここ鏡山城の戦いから始まったと言えるでしょう。

 

〇ハリネズミのように築かれた城

鏡山城へは山陽本線で広島から東へと進みます。かつては「国鐡広島」とまで言われた広島支社管内には旧式車両が「魔改造」とまで言われたほど跳梁跋扈していたのも今は昔、すっかり「RED WING」と呼ばれる227系の新型車両が走っており、すっかり装いを変えておりました。
東広島の山陽本線中心駅・西条駅にて下車
さてここから鏡山城まではかなり距離があり、自転車が欲しい・・・のですが、観光案内所にはレンタサイクルがやっておらず、当てが外れてしまったのでした。ところがここで案内所から「近くの旅館ならレンタサイクルがやっている」との情報を得て、歩いて5分ほどの西条ユースホステルにて受付していました。3台のみですが1日500円で観光客でも利用できる自転車ということもあってかなり便利です。
まずは山陽新幹線の単独駅・東広島駅まで
半年前の豪雨被害で在来線がかなりの長期間不通となったために新幹線で代行輸送で利用する人でかなり混雑したそうです。普段は新幹線駅でも静かな方なのですが・・・
それでは鏡山城まで向かいます。
鏡山城は標高335メートル、比高は100メートルほどの山城です。現在城域は鏡山公園となっていますが、昨年の豪雨被害で多大な被害を被っており、現在立ち入り禁止です。
 
畝状竪堀群
山腹を巡らせていた竪堀群
訪問当時はかなり雑草が酷い状態でした。
4郭
城の大手門があった場所です。
かなりの雑草が酷い状態でしたが、それでも石材などが残っておりそれらを見物しながら進みます。
古井戸
5郭「下のダバ」と呼ばれる区画、2郭に次ぐ広さを誇る広大な郭で入口部分には土塁がありました。
その先が3郭「馬のダバ」と呼ばれる郭
「馬のダバ」とはここに厩があったから・・・というわけではなく、城の南側に位置することから「干支」の方角に従って「馬」と付けられたそうです。
更に細い遊歩道を上って行きますが随所には石垣の断片が残っています。
2の郭
鏡山城で最も広大な郭であり、1郭と共に「本丸」を構成していました。周囲の切岸は断崖となっており、細い登り道のみが本丸への侵入手段です。
 
井戸跡
1郭
場内で最も高所にある主郭部分で、礎石建物があったために通称「御殿場」と呼ばれています。
櫓台となっていた巨大な岩場
礎石建物の跡
北郭跡
一部には石垣の断片が随所に残されていました。
 
残念ながら現在鏡山城は昨年の豪雨被害で城内の道は崩落してしまっており、立ち入り禁止となっています。昨今の豪雨被害は日本各地の城の多くにも多大なる被害を与えてしまいました。ほんとうにどうなるんだろう・・・
 
〇アクセス
JR山陽本線西条駅からレンタサイクル20分登城口から徒歩15分で主郭
・西条駅観光案内所にてパンフレット有
 
「鏡山城に狼煙が一本・・・」