今でも私にとっては悪夢を見る時があります。あれは今から数年前のこと。当時8月半ばという猛暑日に坂戸山を登った私でしたが、あまりの暑さと険しさに身体がダウン。とうとう救急車で搬送される、という苦い思い出があります。今まで戦略的後退を強いられたことは多々あれど私の城登り人生における
完全なる大敗北を喫した城
でした。あの時の思い出、意識が朦朧として最早身体がしびれてしまったこと、そしてあの時ほど「死の恐怖」をリアルに感じたことはありませんでした。以来、この坂戸城の思い出は私の頭の中にトラウマとして残り続けたのですが、今回そのトラウマを乗り越えるためにリベンジ登城を敢行することになりました。さてその結果はいかほどだったのでしょうか?
 
〇迫る日没までのタイムリミット
坂戸城までは長岡駅から上越線に乗車して、越後湯沢方面へと向かいます。
栃尾城の続きで長岡まで戻った私が列車に乗車したのは13時過ぎのこと。
北越急行の乗り換え駅である六日町駅で下車します。
2階建ての駅舎のテラスからははっきりと坂戸城の山が見えてきます。
あの険しい標高634メートルの坂戸山山頂部がその主郭なのです。

甦る悪夢・・・あの山の頂で地獄を見た

だ、大丈夫、あの時は真夏の昼間という最悪の時間帯。今は10月それも14時45分

JR六日町駅舎の1階にある観光案内所にてパンフレットを入手
この日の南魚沼市の日没時間は17時30分頃
問題は坂戸城までは3折のルートがあるのですが、どれをとっても登りで1時間以上(記載では80分)かかってしまうこと。登山口まではおよそ15分と結構近いのに、この数字は絶対動かせない。計算では16時半には実城と呼ばれる山頂部分に到達して、すぐに下山しないといけない。ギリギリの戦いとなりそうです。今回は敢えて
前回と同じコースを進むことにします。
まずは駅のコインロッカーにてリュックを預け、身軽になると飲料を充分に確保しておきます。駅前にスーパーがあるので大助かり。(この町のことは数年前でしたが、今でも鮮明に覚えています)そこでペットボトル3本(登り・山頂・下山)、そして万が一の時のために熱中症予防対策グッズを完備してこれにて出陣!!
六日町大橋にあるかつての川辺にあった石垣を復元したもの
大橋から見た坂戸城
が、ここでトラウマが再発。脚がブルブル震えだしてしまいました。
ええい、こんな所でへこたれる訳にはいかない。この城を攻略しないことには私の生涯の汚点を払拭できないのだ!!進むしかないのだ!!かくして悲愴な決意(?)とともに足を進めました。
かつての坂戸城堀跡
鴨がのんびり泳いでいる姿を見ると和みます。
麓の鳥坂神社
ここが登り口となります。
家臣団屋敷跡
幸い途中までは道路が整備されているので意外と楽なもの・・・
というのはこれは罠!
この時点で「あ~、これならいけそうだわ」とか舐めたことを考えたら、後で本当に炎上してしまったのです。
幾段にも折り重なった家臣団屋敷跡
ここは坂戸城居館部
山頂の城跡はあくまでも戦闘時の施設にすぎず、平素はここが城主である長尾家及び家臣団が生活していました。そりゃ毎日あんな山を登っていたらたまったもんじゃありません。
発掘された石垣の石材
これも再利用のために現在安置しているのだとか。
 

 

復元工事のためか何かやたらとカラフルなシールが貼られた石垣

一方こちらは特になにもナシ。はて?
現在の石垣は切石と割石、それに自然石が混在した野面積みでこれは慶長年間に入封した堀氏による改修とみられています。
坂戸城で特筆すべきは越後で最初に出現した本格的な石垣が見られる点にあります。
 
御館跡
麓の居館部で一番高所にあたる城主一家の館部分だった跡です。
さあ、ハイキング気分は終わりだ!!ここからは本格的な登山となるぞ!!覚悟して突き進みます。
 
 
・・・・・30分後
「な、何だ、この汗は・・・今は10月なんだぞ・・・耳が震えてる・・・」
まずい5合もしないうちに身体中が汗だらけとなり、しかも耳が震えだしたのは頭が熱しかけている兆候・・・!!
完全にあの時と一緒じゃないか!!
何故だ?あの時とは時間も季節も違うのに?
 
ここで私は見落としていた盲点に気付きました。夕陽の光か!!そうこの時間は太陽と山の高さからここが日光がガンガン浴びる時間だったのです。しまった~早朝にすべきであったか!この時間と角度では日陰が殆ど無い。とりあえず飲料をきちんと管理しておかねばならないのでタオルに斜面を流れる小川の水をあてて頭を冷やさせます。それにしても凄いのはさっきから地元の人が子供連れの家族も含めてさっきからすれ違っていることです。凄い、これが越後の民か・・・!それにしても降りる人はいるが登ってくる人がいないのはやはり日没が迫ってきている証。こうしちゃおれん、急がねば。
し、しかし依然として頂上が見えない・・・なんて山だ
ここまでで7合目、もうすでに六日町の街は眼下となっているのに・・・
1時間程してようやく道が平坦になってきました。
この辺も地形からして曲輪と思われます。
急峻な山城である坂戸城ですが、利点もあります。それは熊もここには現れない。そりゃこんな険しすぎる山、熊も近づかないっちゅうねん。そんな山を一生懸命登ろうとしている人間(ハイ、ここに1名)って一体なんだろう・・・と疑問に思うときがあります。
遂に見えた9合目の標示と石垣の残骸
16時03分実城到着
つ、遂に到達した・・・(歓喜)ようやくここにまで到達したのだ!!
遙か六日待ちの街並み
頂上部分には現在は富士権現社が建立されています。
これほどの山頂にも関わらず社内部は非常にきれいなものでした。地元の方が日常的に管理していることが伺われます。ここで私もお参りしていきました。

南方を向けば越後湯沢方面あの先が越後と関東を隔てる国境の三国峠です。

さて坂戸城には実城から少し離れた尾根状の部分に「小城」「大城」と呼ばれる郭があります。時間的にギリギリですが
行ってみる価値はあります!!
ここからまた細い尾根道を進みますが、これがまたかなりの難物で結構アップダウンの激しい斜面でした。
まずは小城部分
眺望に優れていることから狼煙台であったと言われています。
そして最南端に位置する大城部分
櫓台跡
大城は山城部分では最大の郭で、虎口と土塁で固められていました。
恐らくは実城まで仮に攻め込まれたとしてもなお抵抗が続けられるよう「最後の砦」としての役割を担ったのでしょう。それにしても敵兵にとってはこれほどの山城を登ってなおまだ労苦を強いられる、と考えれば
「御館の乱」で北条軍がとうとうこの城を抜くことをできなかったのも納得です。
土塁

さて気づいてみれば実城からはかなり離れてしまった。というか気付いてみれば薄暗くなってきている。

時間を見ると16:25、うわもうギリギリだよ!

急いで下山しなければ!!しかしここで足に激痛が走る!!まずい!!栃尾城にこの坂戸城で足が悲鳴を上げている!!
足を引きずりながらも歩を進めます。
足を引きずりながら下山ルートを進みます。こちらのルートは階段として整備されているのですが、それでも傾斜が急でとてもじゃありませんが、走りながらは降りれません。
16:45頃、カランカランと音がするのでさっと身構えると何と上へ登ってくる人と出くわしました。え?マジ?今から登っても完全に日没までに麓まで降りれないのに?どうやって下りるんだろう?それも数人単位で出くわしたのは驚愕。時計見ても今から登っても日没までに下山できるかどうか微妙な所。こんな照明も無い所で夜動くなんて危険極まりない。
最後に日没直前の夕陽と六日町の写真を収めて
麓部分まで下りたのは17時05分、間に合った。既に居館部分は鬱蒼と森林におおわれて闇の帳が降り始めていました。

最後に御居間屋敷跡を撮影して

坂戸城攻略!!

満身創痍、足は激痛、腰はひん曲がり、頭はフラフラというズタボロでしたが、リベンジ完了。
最後に私が駆け込んだのは六日町温泉でした。六日町はすぐ傍に湯沢温泉があるので隠れがちですがここも立派な温泉街。しかもこちらは大変リーズナブルな値段で入湯できます。ここで完全に疲弊しきった身体を湯舟に浸からせて休息しました。
 
こうして何とかかつての「坂戸城の悪夢」を払しょくしたのですが、実はこの後数日「筋肉痛」に悩まされるダメージを喰らっていたのでした。時期・準備・体調を万全にしてもなおこれほどの禍根、
最強の山城と形容しても差し支えないでしょう。

 

〇上杉景勝・直江兼続を生み出した上田長尾の本拠

坂戸城の築城年代は明らかではありません。上田長尾氏が本格的な城造りを行ったのは永正年間(1504~21)で、この頃は実城(先の権現社部分)周辺のみの城でしたが、その後戦乱の時間を過ごすうちに徐々に拡張されていき、強化が図られました。上田庄は三国峠~入広瀬~妻有という関東との出口を管轄する領主であり、そのため関東管領上杉家との結びつきも強く、越後でも有数の勢力を誇っていました。そのため府中(上越市)長尾家の為景、そして息子の上杉謙信とは長く対立関係に有りました。しかし後年には義兄となった政景は上杉家の有力与党して軍事行動を支えたのでした。その後、当主であった政景が野尻湖で舟で出ている最中に溺死すると謙信は政景の息子で甥である喜平次を養子として迎えたのでした。この喜平次こそ、のちの上杉景勝であり、そしてその側近として共にあったのが樋口与六のちの直江兼続でありました。
やがて転機を迎えたのは天正6年(1578)のこと。景勝と同じく謙信養子である景虎の間での上杉を真っ二つに割る戦争が勃発します。
「御館の乱」、景虎の実家である北条家は支援の為に9月に三国峠を越えて侵攻を開始。荒戸城、樺沢城も占領し、最後の上田衆の本拠地である坂戸城まで迫ります。ここを抜かれれば、最早食い止められる要害は無く、乱の帰趨を定める重要な局面でした。この時、麓である「宿城」は破られましたが、山城は景勝からの支援が無いにも関わらず固守し続け、遂に北条家の突破を許さなかったのでした。そうこうしている間に遂に越後を守る最強の味方が到来。いうまでもなく越後の冬です。かくして北条軍は撤退して、ここに景勝は御館の景虎打倒に専念することができたのでした。その後は上杉の国替えと共に堀氏の重臣・堀直寄が入城し、慶長15年の堀氏改易とともに廃城となりました。
 
≪参考文献≫

福原圭一・水澤幸一 編『甲信越の名城を歩く 新潟編』 2016 吉川弘文館

 

 
〇アクセス
JR上越線六日町駅から徒歩15分で登り口 そこから約1時間10分で主郭
・六日町駅観光案内所にてパンフレット有
・直江兼続伝世館
開館時間   9:30~16:30
休館日    木曜日、12月第3日曜日~3月は旧観
入館料    300円
 
「坂戸城に狼煙が二本・・・」