越後・・・新潟県の城の特徴を挙げるとするなら「天険」と言う言葉が一番しっくりきます。
険しい山岳地帯、それこそ普通に登るだけでもかなりの労苦を強いられる山々に城を築きあげて立て籠もる。ここに「冬将軍」が加われば、敵方にとっては非常に攻めにくいことこの上ない。
そして特筆すべきなのはそんな険しい山城であっても地元の人は日常的に登っている所。
普通、よほど有名な観光スポットになっているような城ならまだしも大抵の山城というのは
「人と出くわしすのは2、3人程度で幸運」「10人以上同じ城で出くわしたら間違いなくそれは名城
というくらい人とすれ違ったことが無い。ところがここ越後では
地元の人が日常的にこの険しい山城を登って散策している姿を目撃したのです!!春日山城しかり、後述する坂戸城しかり、こんな険しい山城が学校の遠足で組み込まれ、日常の散歩のような感覚で登れるとは「ただ感嘆あるのみ!」。そりゃこれほど過酷な気候の下で暮らせるのも納得でした。
それにしても神は何故これほど過酷な大地を作り出しのだろうか・・・・
そしてその中から人間離れした文字通りの軍神を生み出すことになるとは・・・
 
 
〇「軍神」旗揚げの地・栃尾城攻略戦

 

 
この日は前日のスケジュール遅れをカバーすべく朝5時には出発。流石に10月に入り、新潟では明け方は寒くなってきた・・・でも日中は暑いからあまり厚着はできないという悩ましい。
朝一に信越本線に乗車してまずは新潟方面へ
三条駅にて下車
ここら辺一帯はかつて戊辰戦争長岡戦での激しい戦場跡が散在する場所。いつか越後の戊辰戦争跡地の巡り旅をするのが私の夢です。
ホームにあるのは明治時代以来残る煉瓦造りのランプ小屋
通過する貨物列車
東三条駅にて弥彦線に乗車します。
ところが途中燕駅において対向列車待ち合わせで待っている最中に
「行き違い列車が遅れている為40分この駅で待ち合わせます」
との車内アナウンスが!えー、何それもう吉田駅まであと少しなのに、40分も待ち合わせするの?これ後の計画に支障きたしてしまいそう。
紆余曲折ありましたが、何とか弥彦方面の列車に乗り換えることができました。
弥彦線は列車が(特に日中)少ないですからね。これ一本乗り過ごしたらまずい所でした。

彌彦神社の最寄駅らしく駅舎はこうして寺社風の駅舎となっています。

 
標高634メートルの弥彦山
さてこれにて新潟県方面の鉄道路線の全線乗車を達成。何の気兼ねなく城登りに専念できます。
ここから再び弥彦線・信越本線で中越の中心駅
長岡駅到着。向かう栃尾城は長岡市内なので、ダメ元で長岡駅舎内の観光案内所にて情報収集。意外なことに簡易的ですが、パンフレットを入手することができました。
さて長岡駅はかつての長岡城本丸跡でした。今ではすっかり開発されて、まともな遺構が残っていない城となっています。
越後の蒼龍と呼ばれた「河井継之助」の足跡である長岡城であったことを示すのは駅から出た噴水部分のこの石碑のみ
ここから栃尾線バスに乗車して約1時間のバス旅開始
中央公園前バス停にて下車、1時間以上のバス旅というのはシンドイものです。

静かな栃尾地域の街並み

休日もあってか人どおりも少な目です。

諏訪神社到着
ここが栃尾城への登り口です。

諏訪神社

既にだいぶ色あせている栃尾城図
鬱蒼と生い茂る森林の中を突き進みます。
最初の関門・空堀
千人溜まり
かつてここで城兵達の集結していた地点です。
ここからは同じ登城者がすれ違い、これまでの孤独感が吹っ飛びます。
だが本当の試練はここからです。
あの頂上部分までが本丸部分ですが、この急な坂道を登ることに愕然としてしまいます。神は何故かくも苦難の地形を築き上げたのだ!!そして謙信公はこれほどの急峻な山城をも味方にしてしまうとはやはり尋常ではない。
やがて本丸・二の丸の分かれ道に行き着きます。近くには櫓風のトイレ兼休憩所も設置されており、非常に整備されていました。そしてここでは結構家族連れや若いカップル、そして年配の老夫婦、女性同士のグループと様々な人がいました。凄い、これほど急な山城にこれほどの人間が登ろうとするとは・・・・
二の丸部分
一応この奥に城主館跡がある筈ですが、残念ながら進む道が見当たらず、もう一つの狼煙台跡を目指します。
二の丸と中の丸を遮断する大堀切
空堀跡
狼煙台詰め所跡
ここらから道は段々草が生い茂り、獣道と化していきました。実は一緒に老夫婦も同じコースを歩いていたのですが、ここで断念した模様。かくして私は再び孤軍となって突き進みます。
 
狼煙台までの最後の空堀を越えて
遂に到達しました、ここが本丸よりも更に高所に位置する狼煙台跡
最早今となっては木々に覆われていますが、かつてはここから周辺動向を監視していたと考えられています。
そしてその背後にはとても人力では登れそうもない断崖となっていました。
 
ここから再び本丸部分へと向かいます。
先程の分岐点まで戻り、5分ほどしたら
栃尾城本丸部分にある鐘
一気に開けた地形でした。まるで展望台のようです!
ここからは蒲原平野と栃尾の街並みが一望できます。一気に視界が開けた爽快感が溜まりません。
しかしその下は急峻な断崖
これ滑落したら絶対死ぬよな・・・
でもここにはロープなどという野暮なものはありません。それでいいのです。登る人間が良識とマナーを守れたら必要ない!
ここで5分ほど休憩
本丸から東部分にある松の丸
東屋は積雪での過重からか傾き、いつ倒壊してもおかしくない状態でした。すぐ傍の大木にロープで固定していましたが、これはちょっと休めない。それにしても越後の雪とはかくも重いものなのか。
最後に再び麓から本丸部分を仰ぎ見て
 
栃尾城は一見すると狭い山の中に縦横無尽に郭が張り巡らされており、新潟県でも有数の面積を誇る城です。まるでマトリョーシカのように幾重にも配置された郭とそれを遮断する半端ない空堀、そして険しい頂上から全てを見渡す狼煙台まで、登れば登る程その堅固さを実感できます。
 
〇軍神のデビュー戦!!
栃尾城の歴史は古く、既に南北朝時代の一時期に越後守護となった宇都宮氏綱の家臣、芳賀禅可が築いたと記録には残っています。そして室町時代には古志郡の統治にあたった古志長尾氏が支配していました。
 天文12年(1543)、当時越後の覇者として君臨していた守護代であった長尾為影が前年に亡くなると、長男の晴景はまだ14歳であった弟の景虎を「古志郡司」として中越地方へと派遣。当時、中越地方の内で上田長尾(南魚沼)には姉を嫁がせ、さらに古志には弟を送り込むことで上・中越での長尾の支配体制を再構築しようという晴景の目論みでしたが、これがやがて予想外の結果をもたらします。
まだ14歳の少年であった景虎は押し寄せた反乱軍を前に栃尾城を堅く固守して、それまで去就に迷ってきた国人たちもこれを見て馳せ参じ、遂には天文13年(1544)正月に両軍は激突。景虎の采配によって大勝利をおさめたのでした。これによって中越地方を平定した景虎の声望は高まり、7年後には春日山城(上越市)に入り、兄晴景に変わって長尾氏を継いだのでした。
長尾景虎、のちの上杉謙信となる男の鮮烈な戦争デビューの場所でした。

その後、天正6年(1578)に勃発した御館の乱時には先に栃尾城にあって景虎を補佐していた本城実及の息子・本城秀綱が城主でしたが、彼は上杉景虎に味方して、景勝方の直江信綱の守る与板城を攻撃するなど景虎方で有力者として活躍しました。しかし乱はやがて景勝の勝利に終わると秀綱は会津へ逃亡。栃尾城も落城しました。その後慶長3年(1598)に上杉氏に替わって、堀氏が入ると家臣の神子田政友が入りますが、慶長15年の堀氏改易で廃城となりました。

 

≪参考文献≫

福原圭一・水澤幸一 編『甲信越の名城を歩く 新潟編』 2016 吉川弘文館

 

〇アクセス

JR信越本線長岡駅から越後交通バス「栃尾車庫」行「中央公園前」下車(約1時間 560円)徒歩10分で登り口、そこから徒歩25分で主郭跡(狼煙台まではそこから25分)

・長岡駅構内案内所にてパンフレット有

 

「栃尾城に狼煙が一本・・・」