〇古代山城と柵
日本列島は古代からおおくの「城」が建設されました。近畿から西日本にかけては「鬼ノ城、屋嶋城、大野城」といった「古代山城跡」、そして東北地方を中心とする東日本の遺跡は「古代城柵跡」と呼ばれています。「城」が西日本の、「柵」が東日本の当時における呼び方でした。前者が白村江の戦で敗戦したことによる大陸からの侵攻に備えて築かれましたが、後者は異なります。東日本の古代城柵は大和朝廷が当時蝦夷と呼ばれた東北地方への勢力拡大の過程で築かれ、それは徐々に北上して造営され、当地の拠点として、時には「先住民」である蝦夷からの軍事防衛の観点から築かれたのでした。
 さて当初 大和朝廷の東北における「首都」は郡山遺跡とされています(現代の宮城県仙台市太白区)であったとされます。その後7世紀初頭に蝦夷による反乱が拡大したことから、調停では軍事拠点兼行政機関としての多賀城建設を開始したのが、天平9年(737)であったとされます(『続日本紀』)その後、多賀城は10世紀まで東日本における朝廷の統治機関として東北の中心部として使用され続けました。相次ぐ蝦夷の叛乱や自然災害などで損傷を受けることも多かったですが、その度に何度か修復・改修が行われたそうです。しかし、10世紀に朝廷の統治能力が低下すると共に多賀城も機能を失い、いつしか崩壊したとされます。しかしその後も東北における軍事拠点としては重視され、前九年・後三年の役や南北朝時代には後醍醐帝により「陸奥将軍府」が置かれています。
 
〇古代の東北「首都」の今
多賀城までは仙台から東北本線で4駅「国府多賀城駅」で下車して10分ほどです。いまでは外縁部を木々でそしてその内部は広大な平地として整備されていました。
 
内部はウォーキング道が敷かれ、おおむね1時間ほどで周遊できます。
外郭南跡
 
南門跡
流石にこれでは、我が地元の「H城宮」と変わりませんが、随所に土塁が残っていました。
多賀城政庁跡
政庁正殿跡
 
〇アクセス
JR東北本線国府多賀城駅から徒歩10分
 
「多賀城に狼煙が一本・・・」
 
多賀城