〇南部氏発祥の地
青森県から岩手県北部にかけては一戸、二戸、三戸・・・と続いています。岩手県との県境にあたる三戸にある山城は永禄年間以降、三戸南部氏の本城でありました。16世紀半ばに勢力を拡大して、確固とした居城の必要性が高まり、築かれたとされています。その後、、晴政に嗣子がいなかったために一族の石川信直を養子としていたのですが、その後実子の晴継が生まれた為に、あとはお決まりの後継者をめぐる騒動が勃発。この時、信直は一時逼塞していたのですが、その後晴政・晴継親子が相次いで死去しており、これに関して「黒い疑惑」が持ち上がりました。その後、後継者候補として信直と九戸政実の弟・実親に挙げられていましたが、信直と重臣・北信愛の多数派工作で信直が南部家を相続することになったのでした。やがてこれが「九戸政実の乱」へとつながっていきます。その後、信直が江戸時代に盛岡城に居城を移したのですが、三戸御古城として残されていましたが、城の建物が何時取り壊されたのか残っていません。貞享年間(1684~87)に三戸代官所が設置されており、この頃の廃城かと推定されています。

 

 

〇本丸は今は駐車場・・・

尻八館から再び青森に戻り、今度は青い森鉄道で東部・八戸へと向かいます。既に旅も半分以上終えたのか、それとも青森近辺はこれまでも何回も行ったためか、疲れがどっと出てきて車中で完全に寝てしまう状態に。

そして八戸駅から更に盛岡方面へと向かうIGRいわて銀河鉄道線の車両に乗り換えようとしたその時・・・

ついに雨が降ってきたか!!

三戸駅にて下車

向かう三戸城は歩いてもいけないことはないのですが、この雨天ではそれもキツイのでバスで向かうことにします。

 

 

三戸駅前から出るバスに乗車

三戸町役場までは100円とかなりリーズナブルな値段だったのでこちらにしておいて正解でした。

バスの車窓からみた三戸城の城山

既に雨足が強くなってきて靄がかかってきています。

10分ほどして「三戸町役場」前にて下車

ここから城山公園までの登り口はすぐそこです。

三戸城址は現在では城山公園として整備されているので実は上まではアスファルト道路で舗装されていてそれほど登るのは苦労せずに済みます。まぁ午前中は片道1時間半かけて登ってきた山城だったので、今回は少しだけ楽な城・・・と言えなくもない。それでも重い荷物(三戸駅にコインロッカーが無かったので持ち歩かざるを得ませんでした)を抱える身としてはかなりきつい行程でしたが。

ここで車道道から外れてかつての三戸城登城道を登ってみることにします。三戸城の場合は

中心部より周辺部のほうが見どころが多いので。

まずは外郭部分の草むらに埋もれるなかで顔を出す石垣を発見

綱御門

現在は城門が復元されており、雰囲気としては城に登る者を迎えるにふさわしい威容です。

周辺部の石垣もきれいに整備されていて私的には好ポイント

ここから本丸までは家臣団屋敷などが段々状に配置されています。こちらは武者溜まり跡

よーく見ると奥のほうが土塁状になっています。

 

現在中心部は神社境内となっています。こちらの名前は糠部神社と言って南部氏の祖である・南部光行を祀っています。

かつての三戸城復元図

 

三戸城模擬天守閣

この天守閣が誕生したのは昭和42年。かつてあった本丸御三階櫓を模して、関係ない位置に鉄筋コンクリートで再建されたものです。「温故館」という名で現在は歴史資料館として開放されています。ただもう少し「城」らしい復元としてほしかったなぁというのが実感です。

大御門跡は現在発掘調査中でした。よく形状を見ると枡形の形となっているのがわかります。

三戸城本丸部分

現在ではここらへん一帯は城山公園訪問者のための駐車場となっていました。

普通は本丸というと一番城跡では残りやすいのですが、ここでは真逆に一番改変が激しい。今となっては石碑と

御三階櫓の標柱のみがかつての遺構の所在を静かに語る存在であるのみです。

見ての通り、中心部は公園としてかなり改変が激しく城跡として連想するのも難しい状態です。

でもその裏手を見るとここがはっきり城があったとわかるようになっているのが嬉しかった。こちらは「鍛冶御門跡」の石垣

保存状態が良好でここの石垣は非常に惹かれるものがありました。

その奥から三戸町一帯を眺望して帰ります。雨は更に本降りとなり、結局この日一日はあまり散策できなかったのが悔いとなっています。

 

〇アクセス
青い森鉄道三戸駅から南部バス「田子(田子高校前)」行で約10分「三戸町役場前」下車徒歩25分
・三戸城
開館時間  9:00~16:00
休館日    月曜日、祝日の翌日、12月1日〜3月31日
入館料    200円
 
「三戸城に狼煙が一本・・・」