〇温泉=信玄
田中芳樹先生の著作にて登場人物が「武田信玄はなにした人?」と聞かれて主人公(3弟)が
「温泉を堀りあてさせた偉人」
と紹介しています。まあかなり偏った知識ですが、確かに間違ってはいないです。勿論信玄だけではなく、他の戦国武将も温泉を嗜んだのですが、これほど温泉と切っても切り離せない人物もそうはいないでしょう。これに関しては信玄の業績では手放しで評価できる事績と言えるのではないでしょうか。さてことほどさように信玄の征服地では温泉が盛んな地域がたくさんありますが、ここ飯田城の場合は
城跡そのものが温泉地となっている
のです。これは信玄もある意味本望だったのではないでしょうか。
 
信濃南部伊那地域、天竜川沿いに位置します。古くは室町時代に入国した国人の坂西氏によって築かれたと言われています。戦国時代には甲斐の武田信玄が天文23年(1554)に下伊那に侵攻して、この地域を武田領となりました。侵攻後は西上に備えて改修を行い、伊那谷支配の拠点として、高遠城・大島城と共に重視されました。武田家が滅亡すると、織田・徳川と支配者がかわり、最終的には江戸時代には堀氏が入りました。それ以降飯田城は下伊那地域では唯一明治維新まで存続した城郭となりました。
 
〇現在は往時をしのぶ遺構も少なく・・・
JR飯田線飯田駅
飯田線の中心駅であり、飯田線内では数少ない有人駅です。飯田線は大体5時間~6時間に及ぶ乗車であるため、大抵ここで飲食物を買い込みました。飯田城訪れる時には駅舎内観光案内所に行きましょう。飯田城に関する地元発行の書籍を買うことができます。
さて飯田城ですが、現在では城跡としての遺構は僅かになっています。現在では役所や美術館、図書館が立ち並ぶ飯田市の文化ゾーンになっているのですが、これほどまでに破壊されてしまった理由として語られるのは明治新政府に睨まれたからと言い伝えられています。
①最後の藩主・堀親義が京都守護職の松平容保のもとで志士たちを弾圧した
②これも親義が江戸城開城の折、慶喜の助命を嘆願した
③明治17年には明治政府への転覆を計画した「飯田事件」が発生した
と言われていますが、さあ果たして真相はどうでしょうか。その論法だと鶴ヶ城は徹底的に破壊されていないとおかしいのですが・・・
飯田城に残る貴重な建築物「赤門
正式名称は桜御門であり、屋根には堀家の家紋「向梅鉢」がついています。赤門は幕府から特別に許された大名家などにある門で、これは10代藩主が将軍側用人を務めたことから許されたといわれています。
現在ではペイントでされていますが、かつては赤いベンガラでした。
本丸のあったあたりは神社となっていました。
今となっては本丸内にかつての城の痕跡を偲ばせるのは「飯田城」の表示板のみです。
そして突き出た台地上にある先端部にあるのが
飯田城温泉・天空の城三宜亭本館

かつて「山伏丸」と呼ばれた一帯は現在では温泉旅館となっています。日帰り入浴も可能なので、一度信玄の気分を味わってみるのも一興

ここから先は急斜面の断崖となっています。そしてその断崖に温泉旅館の建物があるのです。
二の丸跡の美術館跡に残る城の水路跡
石組竪穴跡
屋敷の洗い場として活用されたと考えられています。
二の丸御門跡
 
〇アクセス
JR飯田線飯田駅から20分
飯田駅舎内観光案内所にて飯田城に関する書籍販売(1000円)
 
「飯田城に狼煙が一本・・・」