○歴史は謎だらけの比企城館群
川越~秩父にかけての地域には杉山城・菅谷館・武蔵松山城に小倉城と4つの城跡はその良好な保存状況が評価されて、一括して国指定史跡となっています。もっともその歴史については必ずしも明らかではありません。特に杉山城に関してはその歴史的起源について論争が巻き起こり、「城郭版(かつての)邪馬台国論争」ともいうべき「杉山城問題」まで引き起こした。今回紹介する小倉城もその歴史的起源ははっきりしていません。この比企郡は丁度戦国前期に山内上杉氏と扇谷上杉氏の両勢力がちょうど境界部分にあたったことから多くの城郭が構え整備されていきました。
小倉城主は上田氏とも遠山光景とも伝えられています。遠山光景は、北条氏の重臣で江戸城将を務めた遠山氏の一族でした。16世紀後半は小倉城も北条の勢力圏に入っていったと考えられています。
○関東でも古い「石積の城」
前回の武蔵松山城の続き
再び東松山駅から東武東上線に乗車して武蔵嵐山駅にて下車。ここは先の「比企城館群」のうち3城(杉山城、菅谷館、そして今回の小倉城)の最寄駅になります。特に杉山城に対してはかつて訪問した時より知名度が格段に上がり、今では重要な観光資源となっています。
ただし、一番遠い小倉城に対してはまだそれほど注目されていないので事前の下調べは必要不可欠。
とりあえず城址までい公共交通機関で行く手段は一つ。駅西口の
ときがわ町路線バス 02「せせらぎバスセンター行き」の便。平日は1時間に1本の割合で走っていますが、休日は半減しますので注意。
小型バスに乗って20分「田黒」バス停にて下車します。
但し周囲は何も無いので(案内標識も地図も)事前情報無しでは「これでどうやって行くの・・・?」
という状態になるので絶対地図は持っていくべき。
幸いスマホで事前に調べていたので何とか向かうことができます。
田黒バス停から嵐山方面へと少し道を戻り、すぐの信号交差点を左折。あとはこの道路をひたすら真っ直ぐ直進するのみ。
山ひとつを越えてひたすら行くとようやく「小倉城」の案内標識に辿りつきました。いや良かった、途中まで「本当にこの道で合っているのだろうか?」と不安満々でした。
更に坂道を登っていくとやがてアスファルト道が途切れいよいよここから山城である小倉城への登り口となります。
縄張り図
それでは道を進んでいきます。幸いここまでかなりの坂道だったのでここから先はそれほどキツイ道程ではありませんでした。
やがて遂に城の入り口に到着しました。
大堀切
小倉城で最大の堀切でクランクした竪堀と横堀を組み合わせて、尾根を完全に断ち切った構造となっています。
往時にはここに橋が架けられて通行手段となっていました。
城跡内に入ると土塁や虎口、堀切などの遺構が鮮明に残っており、あちこち興奮しながら進みました。
主郭南虎口
主郭内側
きれいに整備されており、雑草がほとんどない状況、そして周囲をしっかり土塁がしっかり残っている。ここも名城の一つです。
南虎口にはかつて門が構えられていたことは容易に想像できます。
主郭にある縄張り図は最新のものでより城の構造が鮮明です。
しかもご丁寧にパンフレットまで備え付けられているのではありませんか!
一段とたかくなった区画がこの城の中枢部なのでしょう。
北虎口
よく見ると随所に石が確認されます。
小倉城は石を用いた城なのです。
恐らくこの石は門の礎石なのでしょう。
一番先端部には何と枡形虎口まであります。L字状に折れ曲がった形状でしかも木柵が復元されているので、当時の防御構想がこの光景からも容易に想像できます。そして
小倉城最大の見所はこちら
三の曲輪下にある石積み
一般的に中世の城=土の城、近世の城=石の城というイメージが埋め込まれがちですが、そんなことは決してありません。戦国時代の城は敵を防ぐことができる構造を大至急、造るのが基本で、使う資材も技術もありあわせのものなのです。
ここ小倉城では地層から緑泥片岩の石ができきます。板状の石材がそのまま天然で調達できるのです。そうであればそれを切岸や土塁の土止めとして使おう、というのは自然な流れ。特に虎口は人が頻繁に出入りするので、土が崩れるのは具合が悪いことです。
この比企地方は緑泥片岩の同じような石積みの城が随所で確認されています。
ただ残念なのは近年に雨で流されたのかありこちに袋で固めたバラストが見られることでしょうか。できればこの緑泥片岩一面の約5メートルの高さに及ぶ石積みを丸々見たかった・・・・
仕方ないので往時の光景は案内板写真でご確認ください。
堀切
このまま進んでいくと
石積みはかなりの広範囲にわたっていました。
三の曲輪から見下ろしたあの石積み構造
三の曲輪からもう一度主郭へと戻ります。
本当に石がよく見られる城です。
虎口を潜り抜け
今度は二の曲輪へと向かいます。
その先端部は一段と高くなっており
かつてはここは櫓台となっていたと考えられています。
櫓台から見下ろした最初に通った大堀切
この櫓台(かつてはそれこそ高い物見台が設けられ、木々も無く一段と見晴らしが良かったでしょう)からはこの城を攻める人間達の存在は丸見えだったことでしょう。
西股氏の著作『首都圏発 戦国の城の歩き方』では
「小倉城を築いた武将は、敵は西から攻め寄せてくる、と踏んでいたようだ。そこで、西側に向けて大きな櫓台を造り、できるだけたくさんの弓・鉄砲を置いて撃ちまくれるようにした。」(同書P190)
弓・鉄砲をこの方面にそのために他の部分は要所を枡形虎口で固めて少数の兵でも守れるようにしたというわけです。
城を築く時に大事なのは「敵のつもりになって想定してみる」これができない城など何ら用をなさないのです。
その意味でこの城は城を築いた人々の知恵の結晶を見ることができるのです。
≪参考文献≫
西股総生『首都圏発 戦国の城の歩き方』 KKベストセラーズ 2017
○アクセス
東武東上線武蔵嵐山駅からときがわ町路線バス「と02 せせらぎバスセンター」行で「田黒」バス停下車(約20分、200円)
そこから徒歩25~30分で登り口徒歩10分で主郭
・主郭に備え付け解説シートあり
「武蔵小倉城に狼煙が一本・・・」












































