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勝端城は室町時代の阿波(徳島県)の中心でした。阿波国守護の細川氏、そして三好氏といった阿波の支配者はここを本拠地としていました。なお、県内の多くは山城(もしくは平山城)ですが、徳島県内に残る数少ない平城です。15世紀中ごろ細川氏は守護所をここ勝端にしたとされ、勝端城を中心とした守護町勝端は当時の政治・文化の中心として栄えました。勝端城は京都の管領屋形に対して阿波屋形と呼ばれる重要拠点で、応仁の乱やその後の細川氏の内訌でも重要な存在でした。

 天文22年(1553)守護代三好義賢が守護・細川持隆を殺害して、阿波の実権を握りました。そして以降も勝端は三好氏が使用し続け、その繁栄は変わることはありませんでした。しかし天正10年(1582)土佐の長宗我部元親が勝端を守る十河在保を包囲、8月28日の中富川の合戦で十河側は大敗を喫して9月21日には開城して讃岐へ退去。ここに勝端城は廃城となりました。そして天正13年に豊臣大名蜂須賀氏が阿波に入封して勝端城にあった寺院の多くは新たに建設された徳島城下に移され、以降に勝端の町は衰退しました。現在では国指定史跡に指定され、阿波の重要な城跡となっています。

 

勝端へは高松から高徳線に乗って、2時間程。途中までは高松近郊の通勤路線でしたが、県境を越えると普通列車は一気に激減します。

 

勝端駅到着。同駅は高徳線では数少ない有人駅です。さて案内所の類はありませんが、地図で確認して徒歩10分程の距離にあるので探すのはそんなに苦労しませんでした。

 

住宅街の一角に勝端城の入口があります。

 

今は池のようになっているこれがかつての水堀です。

 

土塁跡

現在ではこの一角しか残っていませんが、かつては四周の水堀を囲うように土塁がかためられていました。

 

城跡内にある建物は三好氏の菩提寺・見姓寺でかつては城の西方にありましたが、江戸時代に城跡内に移されました。

 

御覧のように勝端の城は水堀に囲まれており、ちょうどこの城跡が田園地帯と住宅街の境界線となっています。

 

静かな住宅街と田園地帯の丁度境目に位置する城郭、そこはかつてここ徳島の政治・経済の中心地となる「居館」の痕跡は四周の水堀がかつての栄華をしのばせています。

 

 

○アクセス

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JR高徳線勝端駅から徒歩10分
 
「勝端城に狼煙が一本・・・」