〇古代山城の難所を訪問して
基肄城(きいじょう、これ字が難解すぎて一発変換できないのが困ります)は福岡県と佐賀県の県境付近にある基山という山を利用して設けられた古代山城でその立地はちょうど大宰府政庁を挟んで大野城と向かいあう形となっています。おそらくは大宰府防衛のために、
水城・大野城・基肄城で三角状の防衛網を担っていたのでしょう。その広大な土塁線や石垣などの遺構が良好に保存されているとして2017年にここも続日本100名城に選ばれました。ただやはり他の古代山城がそうであるようにここも非常にアクセスしづらい。基本的に車か歩きの2者択一になってしまっています。それでも山頂まで登ればその威容が拝めるというものです。
この日は朝一に大分を久大本線の始発で向かいます。
途中にある豊後中村の駅舎
現在では珍しく木造で茅葺駅舎として新築された駅舎です。
途中の豊後森駅にある豊後森機関庫
古くからの鉄道施設で国登録有形文化財に指定されています。
日田駅
久大本線は数年前の水害でしばらく日田周辺が通行止めとなっていましたが、2018年夏ようやく再開したところです。
途中の田主丸駅
これが珍しいかっばを模したような変わった駅舎でした。
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特急ゆふいんの森が通過しました。
この後久留米から再び鹿児島本線へと戻り、そのまま博多方面へ乗り換えます。
基山駅にて下車します。
駅前の案内図から、遊歩道として道が整備されているので非常にわかりやすいのですが、それでもそれでも歩くと2時間ほどかかります。バスも途中まであることはあるのですが、これも曜日限定でしかも本数が非常に少ない。
基肄城へ行くときは必ず基山町役場の観光部署へ立ち寄ります。ここでパンフレットを入手。
ところがここで凶報が!なんと昨年夏の豪雨の影響で基本コースの山麓から基山山頂までの部分が道が崩落してしまい、現在立ち入り禁止
えー!それでは山麓にある水門や石垣も見れないということ!?そ、そんな何のためにここまで来たのだ?ただフォローもありまして、一応背後にある草スキー場までの道のりはアスファルト道路でそこから山頂までは登っていけるとのこと。もっとも5キロ近い道のりを登らないいけませんがね。
くねくね曲がる登坂を延々と登り続け、
やがて土砂崩壊してしまっている部分に出くわしました。とくにこの辺りはひどく砂ダムができてしまっており、もし崩落すれば大惨事になりかねない。それにしても昨年は本当に異常な豪雨災害が続きました。
延々歩くこと1時間20分、ようやく草スキー場の駐車場まで来ました。今では基肄城唯一のアクセス手段であるせいかかなりの人が来ていました。もちろん車でですけどね。歩いてここまで登ってきたのは私だけ
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本来は基肄城はこの基山山頂を起点にしてほかの古代山城がそうであるように山の一円をぐるっと塁線の円を成していました。
さて草スキー場という見慣れない名称について
これは草の斜面をそのまま滑り落ちる雪のないスキー場というものらしいのです。いやはやすごいスキー場があったものでしかもここを登っていかないといけません。これが結構足にくる負担でした。
でも確かにこの形スキー場なんです。
この斜面を当然ストックも何もなく登っていくのは結構つらい。
そして歩き続けて1時間半基山山頂に到着しました。
基肄城石碑
続日本100名城に指定されてからからここもかなりきれいに整備されていました。
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基山町の街並み
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20181109/06/bd20159/14/0f/j/o1080080914299754067.jpg?caw=800)
そして土塁状の塁線が連なります。
その先にあるのが基山山頂
本来はここから降りていけば大楚石群などの城の遺構が見れるはずなのですが今は立入禁止のロープがかけられていました・・・
土塁線の途上にある凸凹となった部分これは「いもおがんき」といって基肄城が中世に山城として再利用された際に設けられた堀切でした。この遺構の南側にある台地状の主郭へ敵が侵入するのを防止するため四重の堀切を形成していました。
基山山頂(標高404.5メートル)
この高台部分は南北朝時代から戦国時代にかけて基山が山城として再利用された際に、主郭となっていました。周囲を横堀が巡っており、非常に眺望の良い場所で、博多湾・筑紫平野・阿蘇山・普賢岳まで九州一円を展望できます。この巨石は「タマタマ石」と呼ばれ、、伝承では基山南麓にある荒穂神社のがこの当地にあったころの磐座(神様の宿る石)とされています。
堀切底部分
本来ならここからさらに1時間かけて城内散策と行きたいところですが、先述の通り立入禁止となっているため今回はここで引き返します。
山麓中腹部にある瀧光徳寺
その前に昔ながらの懐かしい茶屋がありました。せっかくここまで来たので菓子を注文します。
おやき饅頭
ここからさらに1時間以上を下っていき往復3時間ほどで基肄城散策は終了、すっかり時間は日暮れとなっていました。
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最後に基山から出る第3セクターのローカル線甘木鉄道に乗車します。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20181109/06/bd20159/a9/0f/j/o1080080914299753730.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20181109/06/bd20159/1a/bd/j/o1080080914299753720.jpg?caw=800)
終点甘木駅、ここからさらにバスで乗車すると秋月氏の居城・秋月城があるのですが、残念ながら今回は時間切れです。
本日の旅はこれまで!!
基肄城は福岡県と佐賀県の県境にある古代山城であり、北九州一円を眺められる群を抜いた展望の場所でもありました。ただ惜しむらくは山麓の石垣・水門などの遺構が見れなかったこと。昨年の豪雨水害は異常で、多くの西日本山城に大ダメージを与えました。本当今年はどうなるのでしょうか・・・。
基肄城はほかの古代山城とな竺7世紀後半、白村江の敗戦後に大陸からの侵攻に備えて築かれた朝鮮式山城でした。この山城は基山の自然地形を利用して谷を囲み、約3.9キロもの土塁・石塁がめぐらされ、途中に4か所の城門が設けられるなど非常に古代山城と似通った光景となっています。城内部分には武器や食料を備蓄するための倉庫や尾根部を階段のように整地して建てられています。当時の古代山城はその広大さから単に兵士たちの駐屯するための軍事基地だけではなく付近の住民の避難所としての役割を担っていたものと考えられています。この城は9世紀初頭までは城として機能していましたが、やがて一時歴史から姿を消しますが、その後15世紀から16世紀にかけて再びその立地から周辺勢力がここを山城として再利用した記録が残っています。
〇アクセス
JR鹿児島本線基山駅から徒歩1時間30分で城山山頂部
・基山町役場にパンフレット類あり
「基肄城に狼煙が一本・・・」