○「天下人」の居城

戦国時代最初の「天下人」というと誰を思い浮かべるでしょうか?

織田信長?それとも完全に天下統一した豊臣秀吉?実は「天下人」と呼ばれる人間には信長の前任者がいました。

三好長慶

三好家は応仁の乱後、信長の上洛前に畿内に勢力を誇った大名でその威勢は足利将軍をも凌ぐものでした。なおここでいう「天下」とは畿内一円を指す言葉で当時の史料にある「天下」とは畿内一円のことです。その「首都」として機能していたのが飯盛山城です。

 大阪・奈良の府県境となる生駒山地から西に派生する支脈の飯盛山(標高314メートル)に存在します。この山からの眺望は優れ、大阪平野平野一円と京都盆地を見渡すことのできる地です。山城にありながら、その交通の便に優れてかつての河内・山城・大和という畿内各国との街道、深野池という山麓の淡水湖で河内国を流れる大和川水運に接続して、瀬戸内を通して物資の集積する大阪湾岸の港町にもつながっていました。

 古くから城は南北朝期にも使われていましたが、本格的な築城は戦国時代。木沢長政という武将から始まります。彼は河内国守護畠山氏の家臣でしたが、その後敵対する細川家に転じて飯盛山城に拠りました。その後は三好家の台頭と共に、永禄3年(1560)に芥川山城からここ飯盛山に本拠を移しました。城では連歌が行われ、長慶や家臣達は山城に居住して、政治の場所となり実質的には「首都」のような存在でした。その後、まもなく長慶死後に三好家は没落して織田信長の攻勢によって落城、廃城となったと考えられます。

 

○大阪一円を見渡す

 

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飯盛山城にはJR学研都市線四条畷駅から徒歩で約10分、四条畷神社を目指します。

 

飯盛山はハイカーにも人気のスポットなので結構上り下りする人を見かける、気軽に行ける希少な山城です。

20分ほど登ると城域に到達。確かに非常に眺望に優れていますね。

山頂部となる主郭までは道も整備されながらも、城としての遺構もよく見学できます。

随所に石垣が点在していました。

高城郭跡

飯盛山城の縄張り図

城は主に3つの郭で構成されており、北端の「御体塚丸」、「高櫓郭」「千畳敷」で、それぞれ堀切で舎dなされていました。そして随所に石垣が点在しているのです。

本丸にあたる千畳敷

この区画は開けた空間となっており、現在では電波施設が建っていました。

空堀と土橋

石垣群

近くにある楠公寺

飯盛山から下山した所には出城のような存在の野崎城跡がありました。

 

○アクセス

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JR学研都市線四条畷駅から徒歩1時間

 

「飯盛山城に狼煙が一本・・・」