○播磨赤松氏の本拠地

 

{0F680F35-1005-4507-946D-3A64838CD447}

播磨地域の現在の中心はいうまでもなく姫路ですが、それは戦国時代のこと。それ以前中心であったのは、播磨国守護・赤松氏が居城を構えていた置塩城でした。その位置は姫路の北方11キロの山間部。その遺構の規模は東西600メートル、南北400メートルの規模で大規模な70以上の郭で構成され播磨国最大の山城です。

 この播磨を統治していたのが赤松氏で、室町時代、「嘉吉の乱」(1441)の敗北で勢力を失っていた赤松氏は赤松政則の時代に再興を果たして、ここ置塩の山に文明元年(1469)に新規築城したのがその歴史の始まりです。その後城は、天正8年(15809)に羽柴秀吉による「城割」による廃城まで1世紀にわたり、戦国期赤松氏5代の本城として存在し続けました。

 

 

 

 

 

 

○姫路の北にて・・・

 

置塩城へは姫路駅から神姫バスにて「塩田・前之庄」行きバスで30分ほどの距離にあります。同じ姫路市内なので姫路駅前観光案内所でも情報を仕入れることは可能でしたが、パンフレット・資料の類は無し。ただもしかしたら当該地区役場ならあるかもということでしたが、更に置塩城から北に行かざるを得ず、確証がないのでは躊躇せざるを得ませんでした。バスの本数自体は1時間に1本の割合で走っているのでそんなに不便ではないのですが。

 

 

 

「宮置」バス停から夢前川の方へ歩き15分

川沿いにある山置塩城が見えて参りました。

 

 

 

登山口

 

 

 

置塩城案内図

 

 

登山道は険しいですが、それなりに整備されていました。

 

炭焼窯跡

 

 

置塩山は面白いことに昭和時代に作られた炭焼窯の跡が作られていました。

 

 

 

25分ほどして置塩城域に到達

 

 

 

 

 

 

置塩城は標高370メートルの山頂に築かれ、そこから階段状に配置された曲輪で構成されています。興味深いのはこの構造を見ると二の丸(伝)が中心部となるのに対して、本丸(伝)はむしろ詰め所のような形になっていること。

 

 

 

 

 

 

ここから見た夢前川

 

この川を下っていけば姫路市内です。

 

 

 

置塩城には随所に石垣が設置されていました。

 

 

 

 

 

この石垣は防御機能的な意味合いよりもむしろ土崩れ防止などの機能であったとされています。

 

 

 

 

伝三の丸跡

 

 

 

伝二の丸との間にある空堀

 

 

 

伝二の丸内部

 

 

土塁を中心に綺麗に整地されており、その広大さには圧倒されます。

 

 

 

 

 

 

礎石建物跡

 

 

 

近年の発掘調査などから庭園などの推定される遺構も発見されており、観音寺城と同じ山城の都市とありました。

 

 

 

 

 

 

本丸跡

 

 

 

 

 

 

南曲輪跡

 

 

 

 

 

 

茶室跡

 

 

 

 

 

 

 

置塩城は三之丸~二の丸にかけては非常に広いエリアとなっており、また発掘調査が5年かけて行われた結果非常に綺麗に整備されていました。姫路城の前身のような播磨国最大の山城と呼ぶにふさわしい存在と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

≪参考文献≫

 

橘川真一・角田誠(編)『ひょうごの城』 神戸新聞総合出版センター 2011

 

 

仁木宏・福島克彦(編)『近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編』吉川弘文館 2015

 

 

 

 

 

 

 

○アクセス

 

{43B6209A-BBDA-4C08-8DBF-5CA8C471D3F8}

JR山陽本線姫路駅から神姫バス「塩田・前之庄」行きで「宮置」(約30分、490円)徒歩15分で登山口、そこから本丸まで50分

 

 

 

 

 

 

「置塩城に狼煙が一本・・・」