2012年8月18日

高田城を後にして、再びJR信越本線(当時)に乗り込んだ私は次なる目的地・妙高市の代表駅の新井駅まで来ました。

さて、ここで観光案内所で情報収集をば・・・って!観光案内所が無い!!弱りました。今までは自治体の代表的駅であれば必ず観光案内所があったので、最低限でも地図だけでも入手できたんですが、これが無いとなると、手探りで探さねばなりません。最悪タクシーを使わざるを得ないかも・・・と悩ましていた時に駅でレンタサイクルの案内がされているのに気づきました。

時間は14時。17時までに駅に返却しなければいけないそうで、時間的にギリギリ、数分悩みましたが遂に決断して自転車で出発しました。聞いた話ではやはり観光案内施設の類が無いそうな。うーん、これは計算外。

※調べてみましたが、新井駅はJRからえちごトキメキ鉄道に移管後はレンタサイクルサービスは無くなってしまったそうです。御注意下さい。

 

当然ながらあくまでも地図が無いので、事前にネットで頭に入れていた大まかなマップの記憶だけを頼りに手探りで進みます。ぶっちゃけ確かなのは方角のみで場所も道筋も不安だらけでこれで到着するか自分でも全く自身がありませんでした。持参していた飲料は見る見る減っていきます。一度グルグル回った末、反対方向に入ってしまい、一度引き返しますが、今度失敗したらもう諦めて引き返そうかと思った時でした。「斐太歴史の里」という案内板が目につき、これにすがることにしました。後はあんなに1時間も迷ったのが信じられないくらいスイスイと進み、ようやく目的地「鮫ヶ尾城」に着きました。それにしても、もうちょっと案内板とか充実させてほしかった。

 

○歴史

かの有名な川中島合戦に代表される武田と上杉の信濃での戦闘は次第に下火になり、上杉方は越後との国境近く、飯山・野尻一帯を確保するのにとどまります。上杉の本拠地・春日山城から信越国境までは30キロ余り。永禄年間以降、上杉謙信は信越国境一帯の城郭の整備を図り、防御強化を図る必要に迫られました。鮫ヶ尾城もそんな中で拡充された城でした。

 その後、謙信死後に起きた内乱「御館の乱」で、二人の養子の景勝と景虎はそれぞれ春日山城・御館に陣取り、攻防を繰り返していました。当初こそ春日山の四周の城を抑えた景虎が優位に立っていましたが、いつしか戦局は逆転。天正七年(1579)3月17日景虎は御館を出て、この鮫ヶ尾城まで逃れました。それから一週間後の3月24日、この城へ立て籠もった景虎でしたが、多勢に無勢。周囲を包囲され、昼過ぎに自刃。この時北条から付き従っていた家臣も含め、全員後を討死しました。この時、城将の堀江宗親は江戸時代の文献では景勝に内応して裏切ったとされていますが、実際にはその後堀江氏の形跡が見られないことから、運命を共にしたと見られています。

 鮫ヶ尾城はこの時焼き払われ(自焼か放火かは不明)、ここに鮫ヶ尾城はその役割を終えたのでした。極めて皮肉なことでしたが、その後に荒れ果て朽ち果てることなく、そして上杉移封後に入った領主の改修も受けずに済み、上杉時代の城としての形を現在に留めたといえるでしょう。

 

○ようやくの情報収集と登城へ

 鮫ヶ尾城はその周囲を「斐太歴史の里」として弥生時代の大規模集落の斐太遺跡や日本海地域では最大の古墳群である観音平・天神堂古墳群と様々な遺跡が集まって、一帯そのものが史跡公園として整備されていました。歩くこと10分で総合案内所に辿りつきます。ここでようやく念願の鮫ヶ尾城に関するパンフレットを購入、そして案内所の方に振る舞われた冷たいお茶が有り難かった!!公園一帯はここまで整備されているのに駅付近からのアクセスが不便なのは勿体ない。何とか改善してほしいものです。

いよいよ城域へ。もっともここから先、余り訪れる人がいなかったよう(真夏だからね、仕方ないよね)で道中蜘蛛の巣だらけで、かいくぐるのに苦労しました。

歩くこと20分遂に本丸跡に到着。山頂付近にあり、ここらへん一帯を見渡せます。

こうしてみると結構広大な城郭であることがわかります。流石に全域を回るのにはもう時間がなさそうなのが残念。

二の丸と暫定的につけられていますが、まだまだこれからの調査が必要なのか番号でつけられています。

通称三の丸付近。静かな静寂があたり一帯を覆っていました。

土塁跡。

井戸跡。

大堀切跡・・・なんですが、真夏の山城の悲しい性。草に覆われていました(涙)、うーんやはり上越の城は雪解けに行かんといかんなあ。しかし雪解け直後のラスプティッツァ(春の泥濘)は凄まじいものがあったし、タイミングが難しいんですよね。

急いで城を下りた時には時計の針は16時を回っていました。そして私の頭は蜘蛛の巣が縦横無尽に張り巡らされていました(笑)。とりあえず蜘蛛の巣を払って、自転車で突っ走ります。

帰ったのは16時40分。かなり際どい所でした。それにしても「御館の乱」最期の地、これはもうちゃんとした大河ドラマでぜひとも取り上げてほしいものです。え、「天地人」?

知らん、そんなドラマは。

 

 

○アクセス

えちごトキメキ鉄道妙高はねうまライン「北新井」駅から徒歩40分で登山口。そこから約30分程で主郭

「斐太歴史の里」公園総合案内所 9:00~16:00

案内所に鮫ヶ尾城のパンフレット販売。

 

「鮫ヶ尾城に狼煙が一本・・・」